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日本を捨て「中国人」になったサムライ。成長するには「気概」を持て

これまで数多くのアパレルや流通チェーンなどを、経営危機の状態から復活させてきた経験を持つ、経営コンサルタントの河合拓さん。メルマガ『FRI Magazine』では、そんな河合さんが実際に携わったという、とある素材メーカーの改革を例に挙げつつ、企業再生のカギを握る社員たちの「気概」について論じています。

日本企業再生の論点

私は今、中国に向かう飛行機の中でこの原稿を書いている。

最近は「クロスボーダー」と呼ばれる仕事が増えてきた。これは、日本企業海外の企業買収する、あるいは、海外の企業日本市場参入するなど、二国間以上の国またがって同時にプロジェクトを進めてゆく仕事をいう。

私の会社には米国人が何人もいるが、彼ら、彼女らは母国を離れ、家族とともに全く文化も言語も違う東洋の果てに住み、頑固で日本語以外話せない旧体質の経営者達に、米国の最新ケースを武器に仕事を進めている。夜は我々日本人と居酒屋にゆき日本に溶け込もうともしている。

一方、私の周りの日本人を見ていると、突然英語社内公用語になったからといって、慌てて英会話学校に通うぐらいのことしかやっていない。私は「気概」のある米国人を見ていると「こいつらはものすごい奴らだ。これじゃ日本人は絶対勝てないな」と感じることが多い。

しかし、私の専門である繊維アパレル業界には、昔はもっとすごい侍(サムライ)達が何人もいた。

私が大学を卒業して繊維商社に入社した20年も前の話だ。中国企業の激しい日本参入に追いやられ、廃業寸前まで追い込まれた繊維産業の経営者たちは、日本を捨て、体ひとつで台湾香港中国出向き自ら起業。その後も順調に事業を拡大している。

先日もその中の一人と久しぶりに会ったのだが、彼は「最近は円安で日本の不動産が下がっている。港区あたりに投資用のマンションを買ってやろうと思っているのだが良い物件はないか」という話をした。彼はまともに大学も出ていない。

実は、今でも日本人相手に仕事をしている中国企業の多くが、元々日本人」が設立した逆輸入企業だということは意外に知られていない。中国からの追い上げに対抗して、逆発想で中国に移り住み、日本を捨てて「中国人」となり仕事するなど、今の企業経営者には持てない発想ではないか。

実際、この5年、私たちコンサルタントの仕事はコスト削減リストラだった。「コスト削減」は徹底して絞れば比較的簡単に利益がだせる。これに対して競合と差別化し、市場に新しいマーケットをうみだし成長することは極めて難易度が高い。

日本企業はこれまで伝統的に「リストラ」など人件費に手をつけることはしなかった。しかし、長引く不況から、「コスト削減」という便利な「魔法の杖」を手に入れた日本企業は、「成長」という、本来会社が追求しなければなないミッションより「停滞」を選択したのである。そして、この「停滞」、すなわち成長に対する「気概」の喪失こそが、私たちから競争力をじわじわと奪い去り、我々を「失われた20年」へと導いてきた。

そうした分析の中から、私は日本企業が直面している大きな課題、そして、その課題を生み出す構造に気づいたのである。それが、本日のテーマである「気概」である。

先日もこんなことがあった。

ある投資ファンドに、アパレル卸おろし)のM&A案件が持ち込まれた。

そのアパレル卸(おろし)は「提案営業」と「企画力」が強みだという。しかし、実は、卸(おろし)業態の会社のホームページを見てみると、ほぼ例外なく日本中の卸(おろし)会社は同じことをいっていることは皆さんご存じの通りだ。

「提案営業」とか「企画力」などというのは、「強み」でなく、それ以外にやりようがない、その他の戦略が見えないということである。

卸(おろし)業態というのは伝統的に、「工場」と「小売り」の中間に位置し、「ブランド管理機能」「商品管理機能」「ファイナンス機能」の3つを主要素として付加価値を持っていた。しかし、商品管理機能を「小売り」が持ちだした。また、ファイナンス機能を「工場」が持ち始め、業界全体が流通簡素化短縮化SPA化)を行う流れの中で「中抜きされてきたのである。ニトリ、ユニクロなどSPA型専門店が圧勝しているのはこのためだ。

だから、卸(おろし)業態というのは、例えば、その卸(おろし)しか持つことができない強烈なブランドを保有し差別化するか、財閥系商社のように「さらに高度な金融機能」、例えば投資機能を絡めながら流通改革を行うような、投資銀行型モデルを選択しなければ、生き残れない時代になってきているわけだ。

今、日本の多くの企業は、事業環境の変化に対してビジネスモデルが旧態化しているという組織課題に直面している。例えば、構造不況といわれる日本の製造業がそうだ。日本の製造業というのは伝統的に製版分離(製造と営業を別の組織でもつこと)をしてきた。従って、どの製造業にも販売会社というものがある。

製造業が販社を持つのは、親会社が製造する製品のライフサイクルが成長期から成熟期に入るまでは機能する。なぜなら、その製品に対する需要が供給力を上回っていることが多いため、生産機能と販売機能を別けた方が、お互いに得意なところに集中でき効率的だからだ。

しかし、製品のライフサイクルが成熟期から衰退期に入り、競合製品が市場に出回った時、販社は単に製品を売れば良いという仕事のやり方では差別化がしにくくなる。顧客の細かい要求に対応してサービス力を強化しなければ生き残れない。そのとき、製造機能と販売機能が分断され、親会社が「作って終わり」、販社が「売って終わり」という関係になると、「ものづくり」と「顧客の要求」にズレが出てくる。

さらに、日本企業にはもう一つの根深い課題がある。それは、親会社がこうした変化に気づいておらず、「文句を言うなら数字をあげてからにしろ」というスタンスになってしまっていることだ。販社側からすれば、「立て付け」が悪いから売れないのだということになり、親会社からすれば「売ってから考えろ」ということになる。その結果、両者にらみ合いの状況となり、組織が動かなくなるのだ。

もし私がこうした製造業に提案するとしたら、親子関係という現実論を理解した上で、逆発想型のアプローチをとるだろう。平たく言えば、大きな山を動かす前に、まずは小さい成功クイックウィン)を狙い、親会社が聞く耳を持ち始めてから、親会社との関係を変える(本質的な課題に食い込む)というアプローチをとるだろう。

というのは、私の経験からいって、この販社のように、「構造的に」動きにくい組織というのは、現場の小さな失敗やミスを、親子関係など「本質論」に転嫁し、現場がやる気を失い総評論家になっていることが多いからである。

例えば、ある地方機能素材メーカー改革をやったときの事例をご紹介しよう。その素材メーカーは、今回の質問者と全く同じ課題が起きていた。販社の現場は、親会社の指示が一方的で、顧客の細かい要求に応えられないと文句ばかりいっていた。

しかし、現場に入ってよく見てみると、顧客の細かい要求に応えすぎるあまり、同じような製品の派生品が3000パターンもあり在庫過多になっていた。また、値段も現場が「顧客第一主義」の名の下に、都度対応で適当に決めていたため、値引き販売のオンパレードと化していたのである。

しかし、現場はこうした細かいところに目を向けず、「何をやっても本社はきいてくれない」と本質論に責任転嫁し地道改善努力怠っていた。このケースが難しいのは、販社の現場が感じている本社への不満は、決して間違っていないということだった。

こうしたケースの場合、強烈なリーダーが現場に入り込み、現場に勢いをつけ動かしてゆかねばならない。結局、人を変えられるのは「戦略でなく」だからだ。当時、販社にはそうしたリーダーがいなかったので、私自身が社員寮に住み込み、腕まくりをしてリーダー役を演じていた。

余談ながら、その社員寮は夜になるとゴキブリがでてきて、寝ている私の顔の上を夜な夜な這っていた。私は神経が図太い方だからそうしたことも笑い飛ばしたが、実際、一緒に暮らしている社員の人も同じ経験をしているのだから、私たちは大いに仲良くなってきた。

私は、まず、3000以上に分解された派生製品を「戦略製品群」と名付け、12の戦略立案単位に分類し、さらに派生形については、「急ぎ対応型」「小分け対応型」「大ロット対応型」の3パターンのみに分類。例外認めない36基本パターンに絞り込んだ。

もちろん現場は、「そんなに絞り込んだら売れなくなる」とぶーぶー文句を言ったのだが、私はしつこく3000の派生製品を細かく分析し、時に、担当営業マンと一緒にお客様に同行し、一緒に話を聞くと「確かに、ここまで細かく対応しなくても現場でキチンと説明すればお客様は受け入れてくれる」ということが分かってきた。最終的には、例外を含め50パターンぐらいに落ち着いた。

この絞り込み戦略の成果は絶大だった。まず、例外対応がなくなり、コスト激減した。また、在庫も減少してキャッシュフロー良化したのである。

さらに、私は値引き販売常態化している販売価格すべて見直し、12の戦略製品群単位で競争相手の状況を調べた。中々動かない営業マンの人たちをつれ、国立図書館につれてゆき、横に座って資料を一緒に読んだこともある。

その結果、3つの製品は中国からの安価品で安売り競争に巻き込まれていたが、5つの製品は、競合がすでに撤退していて独占的地位を築いていたということが分かった。そこで、いろいろなシミュレーションをエクセルで行い、後者の5つの製品価格倍に上げるという大胆価格戦略を実施した。

こちらも、当初、営業から得意先との関係が悪くなるということで文句が出たのだが「競争相手がいないのだから、なんで高く売って悪いのか」と根気強く対話した。当時を思い出すと、「気持ちの良い喧嘩」を毎日していた気がする。

また、安売り競争をしていた3つの製品についてはカスタマイズを禁止し大量販売のみに限定した。当然ながら、中国の製品に価格で勝てることはなかったが、顧客からの「不要な要求」を排除することで流通効率を高め、固定費を軽くすることは可能だった。製品の絞り込みと価格改定。私がやったことは「魔法の杖」でもなんでもない、改革のABC(A当たり前のことを、B馬鹿にせず、Cちゃんとやる)である。

実は、実際の改革というのは、このように基本実直に、そして、地道やり続けることで成果につながってくることが多い。実際、この販社は5年連続赤字だった状況から、半年で単月黒字になり11ヶ月目に通期黒字となった。プロジェクト最終日に、現場と抱き合い5年ぶりの復活の酒に酔いしれた当時を思い出す。

話は続く。実は、この変化に最も驚いたのは本社トップだった。見違えるように元気になった販社をみて、「現場の戦闘力」がここまで会社を変えるのかと意識あらため、新しい経営者(リーダー)を外部から傭兵。さらに積極投資を行って本丸だった組織改革に取り組みだしたのである。ここまで来れば、私はもはや不要だった。

今、コンサルの中でもこうした現実的なアプローチをとれる人材が少なくなってきた。閉塞感漂う今だからこそ、我々世代が「気概」をもつべきなのだ。

image by:Shutterstock

 

『FRI Magazine』
著者/河合 拓
コンサルティングファーム取締役。講演、セミナーを数多くこなす傍ら、IT企業、製造業、商社、流通・小売など再生案件を手がけた企業は多い。本当の問題解決力を身につけたいと思いませんか。私は、数多くの企業と事業の再生を手がけ多くの成果をあげてきました。私は実際に事業を動かしている実務家です。このメルマガは生々しいプロフェッショナルビジネスの現場から、私自身が解説してゆくノンフィクションストーリーです。
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