イギリスの失望と怒り
日本側の冷淡さについて、駐日イギリス海軍武官エドワード・H・ライマー大佐は、1918年3月11日「日本の現状」という文書の中で、以下のように報告しています。
われわれが強い態度で状況を明確に説明し、イギリスが過去いかに日本を援助したか、同盟国として何をすべきかを明確に説明し、同盟国としての義務に耐えるべきであると強く示唆すると、日本人はわれわれから離れてしまう。
そして、イギリスが援助を哀願し、へつらい譲歩すると、賢い者はうまくやったと秘かに得意になり、無知な者は単に自信を増加させ要求をエスカレートさせるだけである。(中略)日本は金に酔いた太平洋のリーダーという夢に目が眩んでいる。
第1次大戦中、駐日大使だったウィリアム・C・グリーンさんは、
戦争が勃発しわれわれが手一杯の時に、わが同盟国にいかに失望したかを語る必要はないであろう。任期中に加藤高明、本野一郎、後藤新平、石井菊次郎の四人の外務大臣に接したが、イギリスの協力要請に対する対応は常に同一態度、すなわち、直ちに拒否するか、後程回答すると述べて拒否するか、未だ考慮中と述べて時間切れを待って拒否するかの何れかであった
当時の日本政府には、「同盟国イギリスを助けよう」という気持ちは「まったくなかった」ようです。
外務次官ニコルソンさんは、
私は日英同盟を全然信用していない。日本は最小のリスクと負担で最大の利益を引き出そうとしている
そして、最大の衝撃は、1917年3月に大英帝国会議で配布された、「日英同盟に関する覚書」でしょう。
日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性、基本的に偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的国家である。日本は自分の将来に偉大な政治的未来があると信じている。すべての日本人は侵略的な愛国心、近隣の黄色人種、褐色人種よりも優れているとの優越思想を、生まれた時から教えられてきた。そして、近隣諸国に日本独自の文化を押し付けることを道義的義務と考えている。この日本の侵略的な野望とイギリスの適正な要求とを調和する余地があるであろうか。
う~む。
「世界一広大な植民地をつくったイギリスに、『道義云々』を口にする権利があるのか?」と突っ込みたくなりますが。
しかし、事実として、イギリス議会は日本に対して大いに憤っていたのです。
これは「人種差別」でしょうか?
もちろんそういう要素もあったでしょう。
しかし、「イギリス史上空前の危機に、日本は同盟国としての義務を果たさなかった」ことが最大の理由といえるでしょう。
第1次大戦の結果、イギリスは「日英同盟破棄」を決意します。
そればかりではありません。大戦時イギリスを救ってくれたアメリカと急速に接近していった。
米英はこの時から、「日本をいつか叩きつぶしてやる!」と決意し、「ゆっくりと殺していく」ことにしたのです。日本は、日ロ戦争直後、第1次大戦時の不誠実な対応で、「敗戦への道」を歩みはじめていたのでした。