それは「庶民性レトリック」とでもいうものだと思います。そう言うと、かなり突き放した言い方になりますが、端的に言えば「心にマイナスの感情を抱えた人間に寄り添う」ということです。
この「教育水準」の問題が正にそうです。アメリカは「人間の平等」ということがタテマエとして貫かれている社会です。ですから「学歴によって人の価値は変わらない」ということは、相当強いタテマエとして存在します。口に出して学歴差別をするような人は、激しく糾弾されますし、そもそもそんなことをいう人はいません。
ですが、そのウラには厳しい「学歴社会」があるわけです。学歴やコネクションの有無によって得られる職というのは大きく左右されますし、それも「実力のうち」ということになっています。
これに加えて「高学歴の人向けのカルチャー」というのが歴然として存在します。『ニューヨーク・タイムス』や『ワシントン・ポスト』のような高級紙、アート系の映画、オーガニック食品や日本食、そして「アップル製品」などがそうです。
また、教育に関しては「機会は万人に向けて開かれている」ことになっており、30代でも40代でもヤル気と資金のある人間は、大学や大学院に入り直してキャリアの方向転換を果たすこともできる社会だということがあります。
ですが、中高年になってのキャリアの転換というのは、万人にとって可能な選択ではありません。反対に、学歴を得られなかった中で、職を失ったり、収入減に苦しんだりしている人は沢山いるわけです。
そうした人に「自分は教育水準の低い人が大好きだ」というトランプのメッセージは届いてしまうのです。トランプ自身は「ペンシルベニア大学(Uペン)」というアイビーリーグの名門を卒業していますが、中学生レベルの語彙しか使わない彼の話法にはそうしたエリート臭は見事に消されています。
また多くのアンチの人々は、「Uペンの学位だって、カネで買ったものだろう」的な悪口を言うのですが、そういう悪口を言うことで、批判者は「トランプもトランプの支持者もバカだ」と言って勝手に納得している一方で、そのようなバッシングは、心に「マイナスを抱えた」支持者には逆効果なのだということがあります。