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テレビキャスターは「権力」と対峙できるのか?

高市早苗総務大臣の放送電波停止発言で反発の声が高まる中、テレビキャスターやジャーナリストたちが記者会見を開き、反対意見を表明しました。これについて、報道する側のひとりであるメルマガ『NEWSを疑え!』の著者で軍事アナリストの小川和久さんがメルマガで自身の考えを述べています。

テレビは「口先ジャーナリズム」

Q:放送法第4条が定める「政治的な公平」の問題が議論されています。2016年2月には高市早苗・総務大臣が衆院予算委員会で、放送法4条違反による電波停止の可能性に言及、極めて慎重な配慮が必要としつつも、放送局が政治的に公平性を欠く放送を繰り返すときは、総務大臣の判断によって電波停止もありうる、という考えを示しました。これに対して2月29日、テレビキャスターやジャーナリスト6人が記者会見を開き、反対を表明しています。小川さんの考えを聞かせてください。

小川:「最近、消防関係のことで総務省を訪れたとき、たまたま高市総務大臣に会う機会があって、この問題をちょっと話しました。高市さんは、これ以上問題は広がらず、沈静化にむかうと見ている、といっていました。テレビ番組には確かに目に余るものがたくさんある、という点では、彼女と私の考えは一致しましたね」

「一連の動きを伝える朝日新聞サイトにリンクを貼っておきます。29日に発表された声明も、長くなりますが、引用しておきましょう」

高市総務相、電波停止に言及 公平欠ける放送に「判断」 (朝日新聞 2016年2月9日) 

「私たちは怒ってる」高市氏発言に抗議 岸井氏降板語る (朝日新聞 2016年2月29日) 

2016年2月29日に発表された声明全文 

声明 

私たちは怒っている 

──高市総務大臣の「電波停止」発言は憲法及び放送法の精神に反している

 今年の2月8日と9日、高市早苗総務大臣が、国会の衆議院予算委員会において、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性について言及した。誰が判断するのかについては、同月23日の答弁で「総務大臣が最終的に判断をするということになると存じます」と明言している。

 私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている。そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない。所管大臣の「判断」で電波停止などという行政処分が可能であるなどいう認識は、「放送による表現の自由を確保すること」「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」をうたった放送法(第一条)の精神に著しく反するものである。さらには、放送法にうたわれている「放送による表現の自由」は、憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」の条文によって支えられているものだ。

 高市大臣が、処分のよりどころとする放送法第4条の規定は、多くのメディア法学者のあいだでは、放送事業者が自らを律する「倫理規定」とするのが通説である。また、放送法成立当時の経緯を少しでも研究すると、この法律が、戦争時の苦い経験を踏まえた放送番組への政府の干渉の排除、放送の自由独立の確保が強く企図されていたことがわかる。

 私たちは、テレビというメディアを通じて、日々のニュースや情報を市民に伝達し、その背景や意味について解説し、自由な議論を展開することによって、国民の「知る権利」に資することをめざしてきた。テレビ放送が開始されてから今年で64年になる。これまでも政治権力とメディアのあいだでは、さまざまな葛藤や介入・干渉があったことを肌身をもって経験してきた。

 現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく「息苦しさ」を増していないか。私たち自身もそれがなぜなのかを自らに問い続けている。「外から」の放送への介入・干渉によってもたらされた「息苦しさ」ならば跳ね返すこともできよう。だが、自主規制、忖度、萎縮が放送現場の「内部から」拡がることになっては、危機は一層深刻である。私たちが、今日ここに集い、意思表示をする理由の強い一端もそこにある。

〈呼びかけ人〉(五十音順 2月29日現在) 

青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎

キャスターは権力と対峙できるのか

Q:テレビキャスターやジャーナリストの会見や声明を、どう思いましたか?

小川:「みんな知っている人たちですが、率直にいって、強い違和感を覚えざるをえませんでした。というのは、『私たちは怒っています!』といい、高市発言に猛抗議する彼らは、こういっては失礼ながら、『電波芸者稼業の人たちばかりでしょう」

「権力に対して本当に強い人──つまり、ジャーナリストとして研鑽を積み、実績も重ねて、もちろんある分野に限っての話ですが、どんな政治家や官僚が出てきたときも『あなた方の考えは、ここがおかしいではないか。何をやっているんだ』と、権力と渡り合えるような人が一人もいないようです。それで、権力と向きあうだの、彼らの圧力をはねのけるだのと、よくいうよ、という感じが否めません」

集団的自衛権の問題で参考人として国会に呼ばれたとき、誰とはいいませんが、会見出席者の1人と同席したことがあります。その人が『平和が大切で戦争は反対』と考えていることはわかりましたが、それ以上に実のある話は何一つしませんでした。この人に生放送で『いい加減なこというな』と言ったことがありますが、その後1年くらい、顔を合わせるたびに、遠くから私をにらんでいましたね(笑)。会見出席者のなかには、安保法制廃止を主張する人もいますが、残念ながらいくら聞いても、高校生あたりが叫ぶ反対論との違いがわかりません

「私は彼らの番組に出たこともありますが、呼ばれるのは、イラク戦争の戦況はどうで、あと何日で決着がつくだろうかとか、北朝鮮が発射したミサイルはどんなもので、日米韓はどんな態勢で備えているかとか、ようするに軍事オタクならわかるようなことを解説してくれ、という依頼ばかりです」

集団的自衛権の行使容認をどう考えるべきか、といった重要な問題では、まず呼ばれることはありません。そういうときはテレビは、私がかつて何度も論破した、素人に毛の生えたような人たちだけを集めて、低次元の議論をするのが常です。たぶん私が入ると、『Aさん、あなたの考えはここが間違っていますよ』、『Bさんはそういうけど、米軍のこんな例をご存じないのですか』……というように収拾がつかなくなるので、呼ばれないのでしょう」

「いつも専門家の私をテレビから排除しようとしてきた人たちですから、そもそもまともに主張を聞く気になれない、と思ったのも正直なところです」

電波を私物化?田原総一朗氏

Q:29日の記者会見で、田原総一朗さんは『高市氏の発言は非常に恥ずかしい』と語ったようです。田原さんと高市さんは、かつてテレビで一悶着ありましたね?

小川:「そうでした。高市さんには、電波を私物化したのと同然の田原さんに対する抜きがたい不信感があることは、知っておいてもよいですね。2002年8月に田原さんの番組、テレビ朝日『サンデープロジェクト』で起こった出来事で、ちょうど私も見ていました」

田原さんが突然下品下品と言いはじめたので、私は非常に驚きました。自分が出ていたとしたら、すぐ立ち上がってぶん殴ったに違いない、と思いました(笑)。何かヒドい錯覚でもしたのか、よほど体調が悪くてイライラしていたのか、ちょっと普通ではない感じでしたね。当時の高市さんのブログは、いまでも読むことができます」

田原総一朗さんへの反論(早苗コラム 2002年08月27日) 

(以下、冒頭部分を引用)

8月18日放送の「サンデープロジェクト」にて、田原総一朗さんが、私に対しておっしゃった言葉について、25日の番組で謝罪がありました。

18日の放送では、「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」との田原さんの問いに対して「セキュリティーの為の戦争だったと思う」と私が答えた途端、田原さんがまくしたて始めました。「下品で無知な人にバッジつけて靖国のことを語ってもらいたくない」「こういう幼稚な人が下品な言葉で靖国、靖国って言う」「靖国神社に行ったら、下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」

全国ネットの生番組で突然「下品」といった言葉で罵倒され、あまりの出来事にしばし茫然。数分前に「国立追悼施設新設の是非」について私が行なった説明の中に下品な言葉遣いでもあったのかしら・・と思いを巡らしながらも怒りが込み上げ、怒鳴り返したいのを我慢して座っているのが精一杯でした。その後、この件では反論のタイミングも得られないままに番組が終了。

小川:「靖国問題や歴史問題については、さまざまな考え方がありますし、高市さんと私は25年以上の付き合いですが、考えは違います。それを議論するのはよい。問題だと思うのは、テレビでは政治家は、何をいわれても相手をぶん殴れないわけです。何百万人か見ている前で逆上して人を殴るような、感情をコントロールできない人物なのか、と思われてはアウトですから。そうと知りながら、政治家に下品』『幼稚』といった言葉をぶつけて煽るのは、やはりフェアな態度とはいえないし、電波を都合のよいように私物化していると言われても仕方ないでしょう」

「そもそも番組に呼んだ相手が中曽根康弘さんとか、あるいは小泉純一郎さんや小沢一郎さんだったとしたら、やっぱり『下品』『幼稚』といった言葉は使わなかっただろう、と思いますよ。田原さんだけではなく、記者会見に出てきたキャスターたちは抵抗できない相手を徹底的に叩くけれども、強い相手には形通りの反権力の姿勢を示すだけだし、その場で反論してくる相手は避ける、つまり番組に呼ばないということです」

権力が一目置くのは調査報道

Q政治的に公平性を欠く放送を繰り返すときは、総務大臣の判断によって電波停止もありうる、という政府見解については? 

小川:「意見の分かれるところでしょうが、ここで放送法第4条や、放送法のつくられた経緯などの詳細に触れるわけにもいきません。今後さらに議論を深め、国民的なコンセンサスを得ていくべきだ、とだけ申しあげておきましょう」

「ただし、私がいいたいのは、今回のようにジャーナリストたちが集まり、政府の考え方は間違いだといくら主張しても、それだけでは権力の側は痛くもかゆくもない、ということです。権力に間違いがあり、ジャーナリズムがそれを直していくには、口先だけで何をいってもダメなのです。もっとも有効なのは、調査報道を積み重ね、確かな事実を権力にも社会にも突きつけて、『おかしいではないか』と問い続けることでしょう」

「調査報道は英語で『Investigative reporting』あるいは『Investigative journalism』と呼ばれています。これは、ある出来事を報道するとき、政治家・警察を含む官庁・企業などからの一方的な広報や情報リークに頼らず、報道する者が主体的に内部通報者を含むさまざまな人や組織を取材したり、資料をしらみつぶしにあたったりして得た情報を積み上げていくことで、新しい事実を突き止めていこうとする報道をいいます」(当メルマガ2014年11月20日号より)

「インタビュー記事や記者会見に基づく記事のように、誰がなにを話したと伝えるだけの報道とは異なり、調査報道は、仮説をたて、取材を重ねて検証し、さらに関連取材を広げる、データの裏付けをとる、といった調査的・科学的・論理的な手法をとります。ですから当然、手間も時間もかかります」(同)

「世の中に流通するのとは違う見方を提示するわけですから、証言者を見つけるのも一苦労ですし、証言者を隠して守ることにも神経をつかいます。発表する段階で各方面からかかる圧力も覚悟しなければなりません。ようするに調査報道は、『発表報道』と揶揄されるような浅い取材・報道と比べて、はるかに難しいのです。そんな深い報道がめっきり減ってきたことは、日本のジャーナリズムの危機を意味するでしょう」(同)

「読者のみなさんは、以上のような『調査報道』に価するものを、いまのテレビ報道のなかに見つけることができるでしょうか。誰かが発表したことだけをそのまま伝える『発表ジャーナリズム』や、悪いことをしたと世間が認めた者のところに押しかけて悪い悪いという『岡っ引きジャーナリズム』と呼ぶべき報道は氾濫しています。でも、まともな『調査ジャーナリズム』番組は、ほとんど見たことがないはずです」

「政治圧力によってテレビに自主規制、自粛、忖度などが広がっているならば、その事例を発掘し、テレビの萎縮のせいで社会はこんなにダメになった、と訴える調査報道番組を作るべきでしょう。しかし、それはありません。権力によるメディアへの圧力など、ないほうが不思議な当たり前のことです。それが存在することより、調査ジャーナリズムが存在しないことのほうがよほど深刻な問題だと私は考えています」

聞き手と構成・高坂 龍次郎

image by: Shutterstock

 

NEWSを疑え!』より一部抜粋

著者/小川和久
地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。一流ビジネスマンとして世界を相手に勝とうとすれば、メルマガが扱っている分野は外せない。
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