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中国脅威論はどこまで本当か? 哀れマスメディアの機能不全

自民党議員やそれに近い筋から相次ぐ報道圧力発言。実際、官邸などからの報道現場への介入は頻繁に行われているものなのでしょうか。講演などでもよく同様の質問を受けるというジャーナリストの高野孟さんが、ご自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』に明快な答えを記しています。

「報道の自由」はどんな風にして掘り崩されていくのか?

講演の際の質疑応答で最近よく出る質問は、「日本では報道の自由がかなり制約されていると国際的にも指摘されているが、実際に報道の現場で、権力による圧力とかで情報がねじ曲げられて操作されるということがあるんですか?」というものである。

私の答えは、こうだ。

  1. 情報のねじ曲げとか操作とかは日常不断に、1日に何百回でも行われて、それが皆さんの頭にシャワーのように降り注いでいる
  2. ただし、どこぞの権力機関や自民党の秘密チームが四六時中、あらゆるメディアを監視して「ああせい、こうせい」と命令するといった、ジョージ・オーウェルの世界のようなことは起きていない。大臣や官邸や自民党が直接出て来るのはむしろ稀で、だからその都度大騒ぎになるのである
  3. ほとんどの情報の歪曲や操作は、メデイアの側で「自発的」に行われている。その行われ方には濃淡いろいろあって、その担当記者・編集者が、政権に媚びを売ろうとしたり、自分のイデオロギーに忠実たらんとして、意図的にねじ曲げる場合もあるだろうし、無知・不勉強ゆえに自分では判断できず、上司が言うなりにしておくとか、他社や世間の空気に何となく調子を合わせてしまうとかいう場合もあるだろう

メディアの側で、ジャーナリズムとして当然持ち合わすべき独立不羈ふきの思考能力がどんどん劣化していて、政権に媚びるのも安易だが、逆らうのもまた安易で、だからここぞという時に権力の側がつけ込んでくるのをハネ返すのが難しくなる──というのが、この問題の基本構造である。私は、この国に足りないのは報道の自由そのものではなくて、その報道の自由を精一杯活用し拡張して真実に肉薄し権力を脅かすジャーナリズム精神が足りないのだと思う。

そういうわけで、問題は、大きな権力による介入や操作よりも、むしろメディアが自発的に行う小さなねじ曲げの積み重ねである。

「中国は怖い」というイデオロギー

敢えて、まったく地味な実例を取り上げよう。

5月7日にNHKのニュースで「米海軍の司令官、南シナ海巡り中国を牽制」という見出しで、米海軍第7艦隊のアーコイン司令官が南シナ海における米軍の活動の目的について、「国際法が認める範囲で航行や飛行を行い、(中国の)過度な海洋での主張には異議を申し立てる」と述べ、この海域で海洋進出を進める中国を牽制した、と報じていた。

その見出しとリード部分を聞いた限りでは、米中の南シナ海を巡る軍事的な対立は一段と深まっているのだな、という印象を受ける。が、この司令官がどういう状況と文脈でこの発言をしたのか、ちょっと気になったので、後でNHKのサイトで記事全文を確認した。

米海軍の司令官 南シナ海巡り中国をけん制

すると、まずこの米司令官がどこでこれを語っているかと言うと、上海であって、第7艦隊の旗艦ブルーリッジが6日、中国との軍事交流のため上海の軍港に寄港して、そこでメディアの取材を受けたのである。もし米中の軍事衝突が今にも起きかねないほど剣呑な状態にあるなら、第7艦隊の旗艦がお供の護衛も付けずに上海になんぞにノコノコ行くわけがない。この状況そのものが米中の軍事交流の深まりを象徴するのではあるまいか。

さらに同司令官は……、

先月、アメリカ軍の空母が中国政府から香港への寄港を拒否されたことについて「ささいな障害」と表現し、「関係の妨げにはしない」と述べた。

その上で、米軍が主催して(2年に一度)行われる、今年の多国間海軍演習「リムパック」に中国海軍が一昨年に続いて参加を予定していることなどに触れ、南シナ海を巡って対立が続くなかでも米中の軍事交流を深めることの重要性を強調した。

だとすると、昨年11月の米海軍による南シナ海に対する「航行の自由」作戦の実施以来、米中の軍事緊張が強まっているかに見えるけれども、その中で米艦船が上海を訪問していること、先月の米空母の香港寄港拒否を米側は「ささいなこと」と考えていること、今年のリムパック海軍大演習に中国も参加することなど、米中海軍の交流と相互理解はむしろ深まっているのであって、だとするとこの記事の見出しは「米海軍の司令官、中国との軍事交流の深まりを強調」とでもするのが正しかったのではないか。

しかし、これを書いた記者は、米司令官が中国に異議を唱えたことがニュースであると判断したのか、そうしろと言われたのか、その部分をメインに据えて見出しもそこから取り、少しバランスを考慮して、米中軍事交流が進んでいる側面も付け加えた。

同じことを産経やAPは?

この同じ出来事を、産経はどう伝えただろうか。

米第7艦隊指揮艦が上海寄港 報道陣に公開 「過度な海洋主張に異議」

これはもうハッキリしていて、見出しも中身も、米中の矛盾の面だけを取りだして、「南シナ海の軍事拠点化を進める中国への警戒感をにじませた」などと、司令官自身が用いてもいない勝手な解釈表現を挟み込んで、反中国感情を煽っている。産経が「アジビラ」と言われる所以である。

次に念のためAP通信を見ると、産経の真反対である。

US Navy Commander: Canceled Hong Kong Visit a Minor Hurdle

見出しは「米海軍司令官香港寄港拒否はささいな障害と」と、産経が無視し、NHKが補足的に付け加えたところを見出しに持ってきて、記事全体の構成が逆さまになっている。第2パラグラフでは「旗艦ブルーリッジの上海訪問は中米両国の軍と軍の関係のdurabilityの証だ」という司令官の言葉を引用している。デュラビリティとは耐久性、堅牢性、永続性など「少々のことがあっても決して壊れることがない」というニュアンスを含む強い表現で、私が当番デスクだったらこの言葉を見出しに取るだろう。

そして記事の終わり近くでは「(香港寄港拒否のような)懸念もまだ残るけれども、両国の海軍は次第に接触を拡大し、また海上での偶発的な衝突を避けるための手順についても合意を重ねてきた」ことを紹介し、今月には米中とASEAN10カ国とによる共同演習が行われること、6月のリムパックに中国が参加予定であることにも触れている。

それはちょっとしたニュアンスの違いという程度のことのように思われるかもしれないが、そうではない。要は、米中軍事関係は対立激化の方向に向かっているのか、交流強化・信頼醸成の方向に向かっているのかという、トレンド認識の基本に関わることであって、その視点からして、私は、APの取り上げ方が正常なバランス感覚が働いたまともなジャーナリズムの実例であり、産経は何でも反中国デマゴギーに持ち込んでしまうイデオロギーむき出しのアジビラで落第、NHKは平凡で中途半端だったと思う。

※ 参考(写真:赤色が米中対立的な部分、青色が米中協調的な部分)

それに加えて困ったことに、産経がネット・ニュースへの記事提供に熱心であるため、ヤフー・ニュースをはじめ借り物を寄せ集めただけのニュース・サイトでは、産経の記事ばかりが検索で引っかかってしまうことである。

サブリミナル効果

こんな風にして、一々の記事についてバイアスがかけられていくのが日本のメディア状況で、こういう小さな作為が執拗に積み重ねられることで、安倍政権が国民に植え付けたがっている「中国は怖いという感覚が知らず知らずに定着させられていくサブリミナル効果を持つのである。

丸川哲史=明治大学教授は、『世界』4月別冊で、安倍政権の安保法制をめぐる国会運営に問題があり認められないとする約80%の世論がある一方で、安保法制の中身そのものが認められないとする者は約60%で推移し、「この差し引き20%は何か」と言えば、政権から安保法制の正当化の理由として付与されている「中国脅威論」である、と指摘している。

その通りで、安倍の改憲路線や安保法制はおかしいと思いながらも、でもやっぱり中国は怖いよねという差し引き20%」のところで、この政権は際どく支えられている。

これは例えば、原発はもう止めようという人が70%以上にも達するのに、「でも電気が来ないのは怖いよね」「原発がなければ電気代が上がるんじゃないか」という刷り込みがその足を引っ張っていること、あるいは沖縄の辺野古基地建設が無理筋だと分かっている人が多数なのに、「でも海兵隊がいてくれないと尖閣を盗られちゃうかも」という幻想が目をくらませていることなどと同工異曲である。

このような、薄っぺらなイデオロギー的呪縛から、事実の力を以て人々を解き放つのがジャーナリズムの仕事であるというのに、そうはなっていないということの一例が、このNHKニュースである。

実を言うと、私が2年前まで早稲田のジャーナリズム大学院で担当していた「新聞の読み方」講座では、こうやって、ある出来事についていくつかのメディアの取り上げ方を比較検討し、その場合に必ず外国メディアも1つは参照するようにして、見出しの立て方、記事の構成、ハイライトを当てるべき言葉や表現などを自分の頭で考えてみるという練習を課していた。メディアが劣化していく中で、もはや読者が自分でそういう訓練をして真偽を見極める力を養わなければならない。冒頭の、情報操作を疑う質問者に対する私の答えはそれである。

image by: Shutterstock

 

高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋
著者/高野孟(ジャーナリスト)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。
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