真田家ゆかりの武器も。知恩院の「七不思議」が現代に伝えるもの

 

鴬張りの廊下

修復中の本堂である御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下に施されているのが鴬張りの廊下です。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」とも言われていました。外部からの侵入者を知るための警報装置で当時最新のセキュリティーシステムです。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから仏の法を聞く音とも言われたようです。

通常お寺には鴬張りの廊下は必要ありません。鴬張りは二条城など城に施されるものです。寺は侵入者や攻撃者が近づく場所ではないからです。二条城にそのようなものが施されていた理由は、いざと言うときに要塞の役割を果たせるように作られていたからだと言われています。背後は山で高台に建てられていて、戦の時は城の役割を果たせるようにしていたということです。当時京都では徳川の居城として二条城が築かれ、知恩院はそれをサポートする役割を持っていたとされています。

白木の棺

三門楼上2階部分に2つの白木の棺が安置されています。中には将軍秀忠から三門造営の命を受けた五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められています。五味は造営奉行で将軍のために立派な門を造ることを心に決めて、自分たちの像をきざみ命がけで仕事にあたりました。多くのエネルギーを注ぎ、とても立派な三門が完成しましたが、工事の予算をオーバーしてしまいました。プロとして命を懸けて取り組んでいたが故の結果だったのかもしれません。しかし、五味夫妻はその責任をとって罪滅ぼしのために自刃したと伝えられています。後に夫婦の菩提を弔うため2人の木像は白木の棺に納めて現在の場所に置かれるようになりました。2人の座った木像の姿には涙がこみ上げてきます。

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