いすゞ自動車も進出。日本経済の鍵を握る「親日国」とは何処か?

 

日本に国づくりのモデルを求める

1966年にタシケントの街(ウズベキスタンの首都)が全壊するほどの大地震に襲われた際、この建物だけは凛として建ちつくしていたことから日本人はすごいと話題になった。このオペラハウスはウズベク人と共に作り上げたものだが、日本人は工期を守り、器用で建て方も非常に美しく、丁寧に積み重ねられた煉瓦は大地震のときでも崩れなかった。そして、この伝説は瞬く間に中央アジアをかけぬけた。このことによって中央アジアには親日国が非常に多い

さらにウズベキスタンは、1991年にソ連から独立した際の国づくりのモデルを日本に求めそれ以来多数の留学生が来日している。毎年100人ほどの留学生が来日し、早稲田、東大、慶應などの一流大学で学んでおり、皆非常に頭がよい。また、元々古くから文化が栄え、天文学、数学などを用い砂漠を旅してきた理系の頭を持っている人も多い人種である。

ヨーロッパの人びとも高い関心を寄せる

私は先に述べたように1996年に初めてウズベキスタンを訪問。きっかけはアジア開発銀行総裁の千野忠男氏(当時)から「まるで明治維新の志士たちのように国づくりに励んでいる」と熱っぽい話を聞かされ、「記者の君も直接見て紹介してよ」とけしかけられたことだった。訪問後ウズベキスタンに魅せられ日本とウズベキスタンの交流を深めようと「日本ウズベキスタン協会」を作った。

私はその後6回ウズベキスタンを訪問しているが、成長著しい。シルクロードや4つの世界遺産があることから観光にも力を入れ、日本のみならずヨーロッパの国々からも多くの観光客が押し寄せている。中東など情勢が不安定であることから、ウズベキスタンは旅行先としても非常に注目されているのだろう。

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