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アベノミクスの憂鬱。精神的に向上心のない経済はバカなのか?

安倍総理がいくら「アベノミクスは失敗していない」と声高に叫ぼうとも、得られない「景気が良くなった」という実感。メルマガ『国際戦略コラム有料版』の著者・津田慶治さんは、「日本に今までの経済理論は成り立たない」とし、今と同じく成長がほとんどなかった江戸時代中期以降の「実心・実学の思想」の現代への適合を訴えています。

成長を前提とした経済学の変革期

NHKの番組「欲望の資本主義」で資本主義の問題点をチェコの経済学者セドラチェフ氏が成長を前提とした経済理論に問題があるとしていた。それでは、どのような経済学にする必要があるのであろうか? その検討。

現在の行き詰まり

リフレ派の経済学が行き詰まっている。いくら量的緩和をしても、皆が消費せずに、景気は停滞している。その上に円安がなくなり、外需期待の景気回復シナリオも壁に突き当たっている。

結果と原因を逆転したことによる誤りであると分かり始めた。クルーグマンも量的緩和による日本経済の復活から日本の成長エンジンの燃料がないと言い方を変えてきている。

期待利子率が上がると、貯蓄より消費を消費者は行うとしたリフレ派経済学者の心理学を国民が、物の見事にひっくり返して、間違いであることをわらせた状態である。経済学は大衆心理学である。数式を使い、証明しているように見えるが、その根本部分は消費者心理のあり方で、そこを間違えると数式が成り立たない。

もう1つ、厄介なのが、少し昔には通用して、日本以外では今でも通用していることである。

そもそも、資本主義は、人々が物質的経済成長を望むことが前提であるけど、それは欧米や中国では正しいかもしれないが、物欲が低い日本人には成り立たなくなっているようだ。ということは、日本では、今までの経済理論が成り立たないことになる。

資本主義は成長を前提としている。成長があるので、利子率がゼロ以上であることができる。再投資して利益を得ることが成長エンジンである。この利子率がゼロ以下になると、再投資できなくなる。

このため、GDPの成長率を常にゼロ以上にすることが求められるのである。日本政府も成長率を上げようとしている。経済活性化のためには必要なことである。

しかし、このエンジンを動かすためには、消費者が商品をより多く購入する必要がある。この部分で日本は少子高齢化と人口減少で、消費者の購買が年々減少している。このため、利子率もゼロ近くになり、国内では投資先がない。日銀がマイナス金利にしても、銀行は国内での貸出先がないのである。

というように経済学理論、そのものが日本では限界に達しているようだ。チェコの経済学者セドラチェフ氏が成長を前提とした経済理論に問題があるという言葉は、一番、日本に適合しているように思う。

経済・社会サイクル

米国では、富の偏りが起きて、貧者の反乱が起こり始めている。それが、トランプ氏やサンダース氏の躍進に繋がっている。経済社会にはサイクルがありそうである。経済学者ラビ・バトラは、武力と知識と富の3つの権力でサイクルが起きるという。このサイクルが起きているように思う。

まず、独裁主義で経済開発を行い、安い賃金を武器に経済的なキャッチアップする。フェーズ1。

次に、産業資本が出来て、世界の企業と競争するために技術開発や企業買収で技術のキャッチアップをして、技術開発をするフェーズ2。民主化も起こる

資本家が、グローバリズムで労働賃金が安い地域に工場を移転させて、収益性を高めるフェーズ3。しかし、資本家は儲けが多くなり、労働者は失業して貧乏人になり、格差が拡大していく。

貧者が怒って、孤立主義的な政治を望み、富者から高額な税金を取るために、資本家は逃げて、経済がメチャクチャになる。フェーズ4。経済合理性はほとんどゼロの貧者の革命が起きる

当然、経済混乱で独裁者が出てきて秩序を回復することになる。武力革命の時期。フェーズ5。

そして、フェーズ1になる。というように5つのサイクルを回っていくことになる。今、米国はフェーズ4にいて日本はフェーズ3にいる。このサイクルを止めることが必要になっている。経済社会原理を経済成長とするからこうなるのである。

今後の経済学

その上に、AI技術やロボット技術などの発展で自動技術が確立すると半分の人が働けなくなり、50%の失業率となるとシリコン・バレーのベンチャー経営者が言う。

消費者が消費するためには、現金を労働で得る必要があるが、その労働する場所が自動技術の発展でなくなる。

このように、経済理論の根本を変えることが必要になる。アダム・スミスは「自己の利益の追求と他者からの共感の両方を人は求めている」というが、これを理論の真ん中に持ってくることになると見る。

経済学も大衆心理学であり、人の気持ちよさを中心に考えることが必要になっている。動物と人間の違いは、仲間といることが好きがどうかである。

人間は仲間と協同で作業をして、その結果、得られる収穫物を分けていたので、仲間から認められることに大きな価値を見つけて、その価値を得ることに、喜びや気持ちよさを感じる生き物である。

アダム・スミスのいう共感である。しかし、人間は生きているので自己の利益も重要である。優先レベルは、自己が生きていくだけの糧を得ることであるが、それ以上は、仲間から認められる、仲間の困っていることを助けるという行為に、心の喜びを見つけている。

そして、FacebookやLINEが「人に好かれる欲望」をお金に換え成功していることでも、この共感は現在も重要なのである。

しかし、自動技術で自己の生きていく糧を得ることができる労働がなくなる。ここも問題であるが、自動機械で生産量は確保できている。

江戸時代は、中期以降、成長がほとんどない時代になる。この時代には、社会秩序を維持する観点から論語を庶民まで教育し、武士階級には武士道を広めた。商人には、石門心学という倫理経営学を広めて、それぞれがその基準を守り、基準に貢献したものを褒めて、社会を維持していた。また、労働を月の半分づつに分けて武士は勤務していたなど、労働の分配をしている。

このような社会のあり方が、今後、求められることは、経済学者スティグリッツ氏も考えているように感じる。スティグリッツ氏は「利子率に重きを置きすぎている。重要なのは信用が中小企業に届くかだ」などと述べている。また、規制が重要という考え方にも、それを見る。

しかし、長期停滞社会の歴史がない欧米では、どういう社会になるのかピンと来ていないようだ。

江戸時代中期の思想は、実心・実学の思想で、心と糧の2つの調和を述べている。この江戸期の実心・実学の思想の現代への適合化を行う必要があると思うがどうであろうか?

image by: Shutterstock

 

国際戦略コラム有料版』より一部抜粋

著者/津田慶治
国際的、国内的な動向をリアリスト(現実主義)の観点から、予測したり、評論したりする。読者の疑問点にもお答えする。日本文化を掘り下げて解析して、今後企業が海外に出て行くときの助けになることができればと思う。
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