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日本企業は個人でビジネスする海外在住の日本人を絶対に信用しない

元TBSディレクターにして、現在はロスで起業し、「Wowmax Media! 」を経営する海部正樹さんによるメルマガ、『ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』。今でこそ米国の地でアニメプロデューサーとして成功を掴んだ海部さんですが、2001年の渡米当初は大変な苦労を強いられたとのこと。日本での実績と「ジャパニメーション」ブームという時の運もあって楽観視していた米国での起業、そこで遭遇した数々の苦難を振り返っています。独立をお考えの方には参考になること間違いなしです。

創業期(その1)

2001年。 アメリカに来たばかりのころ、私はアニメの仕事で食っていこうと思っていました。 衛星放送WOWOWでアニメに関わっていた事から、業界の知己も多く人的ネットワークには絶大な自信を持っていたからです。 時期も良かった。 「ポケモン」がヒットしたのは1999年から2000年ごろです。 その後2001年から2003年ごろは、日本のアニメが「ジャパニメーション」と呼ばれて、世界に羽ばたいていました。 少なくともそう見えていました。

アメリカでも日本製アニメDVDの売上高が年々右肩上がり。 2003年には「千と千尋」がアカデミー賞受賞。 これでいよいよアニメも米国エンタテインメント産業のメジャープレイヤーだ。 私もそう思いました。

しかも回りを見渡してもロサンゼルスに居るのは海外セールスの人ばかりで、アニメの製作に関わったプロデューサーはいません。「俺はなんてラッキーなんだ。 成長市場で起業だ、しかもワン・アンド・オンリーのプロデューサーさ」と、本気で思っていました。 我ながらアホです(笑)なにしろ実際に何か始めようと思っても、何を始めたらいいのかさっぱりでしたから。 業界経験はあります!と言っても米国のことは何もわかっていなかったのです。

そこで、最初にやったことはロサンゼルス近辺のアニメやマンガの会社訪問でした。 「ともかくも、何をやるかのヒントを掴むために人に会おう!」ということです。

これは日本の業界経験が役立ち日本のアニメ会社、バンダイやパイオニアLDC(当時)、東映アニメーションなどの知り合いに、米国法人の責任者やエージェントを紹介して貰いました。 考えてみれば、全ての取っ掛かりだった訳で、今も心から有難く思っています。

まず、近くの会社から順番に始めたのですが、その先々で言われたことは「海部さん、日本のアニメチャンネル作ってよ 」でした。 今と比べれば、米国業界のアニメの注目度は高くメディア露出は出来ていましたが、そのときはイケイケでしたから、もっともっとメディア露出の場さえあれば儲けられる、そういう雰囲気でした。 私がテレビ局出身者だったこともあったでしょう。 当然ですがテレビ局に勤めていたといっても、米国でアニメチャンネルを作るのに必要な知識や経験があるわけではありません。

でも、本当に行く先々で「アニメチャンネル作れ、アニメチャンネル作れ」と言われたので、だんだんその気になっていきました。 他にアイデアがあった訳でないし、TBSとWOWOW勤務経験もあったことから、米国でアニメチャンネル創設ができるような気になったのです。 自分で勝手に「アニメチャンネルプロジェクト エグゼクティブデベロッパー」という名刺まで作って持ち歩くほどの入れ込みでした。

当時作成したアニメチャンネルのビジネスプランが今でもあります。 電話帳なみの分厚さで課金型のプレミアムケーブルチャンネルを想定しています。 米国で型放送サービスを展開しているニューヨークのテレビジャパンにまで取材に行き、手に入る限りの資料を読み漁り、WOWOWの経営企画でCS-WOWOWというCS放送立ち上げに関わった同僚に長距離電話をかけて資料を送って貰ったりしました。 インターネットは普及していましたが、まだ電話回線を経由して繋げるダイヤルアップ方式で「ぴーひょろぴーひょろ」という接続音を聞きながら、速度が遅くしばしば断線するのを我慢してネット調査もしました。

こうして米国で放送局をスタートするのに必要な資源、法的制約、資金規模などについてそれなりの知識を身につけていけたと思います。

同時に市場調査も必要と思い、まずは米国のアニメ市場を調べようと思いました。 在米アニメ業界回りで知り合いになった方のひとりに、当時パイオニアLDCにいらっしゃったヘンリー後藤さんがいます。 ある時、後藤さんに「アメリカでの日本製アニメ市場について書かれた本か資料があれば読みたいので教えてください」とお願いしたのですが「それが無いんですよねー」とのこと。

「会社(PLDC)からも、米国市場におけるウチの位置づけを報告しろって言われてるので、調べてみようと思っているんですが、なかなか手に付かなくって(笑)」という言葉が印象に残っています。

無いなら、これも調べなくてはなりません。 調べてみよう。 そう思ったのですが、でもなあ。 。 。 アメリカのテレビ局のことは、いろいろ本もあるし、手がかりあるのですが、アニメとなると情報が極端に少なくてお手上げでした。

そんな折、ロサンゼルス総領事館に勤務していた妻が「ロサンゼルスのジェトロで米国地上波テレビのデジタル化(早い話が米国の地デジ)のセミナーがあるから出てみたら」と言うので、早速申し込んで出かけました。 セミナー自体は英語で、そのころの私には超ハードルが高かったのですが、まあWOWOWでBS放送デジタル化を実務で経験してきたおかげで、以外に内容は良くわかり面白かったのを記憶しています。 英語のセミナーがある程度理解できたことが嬉しかったのです。

ところが、このセミナーで私のその後を決める決定的な出会いがありました。 セミナー終了後、ソフトドリンクに乾き物という質素なネットワーキングタイムがあり、名刺交換をしたりしていたのですが、そこでジェトロ・ロサンゼルスセンターの横田次長(当時)にもご挨拶しました。 横田さんから「海部さんは、何をしておられるのですか?」と聞かれました。

実はそのころ、それを聞かれるのが一番辛かったんです。 業界以外の方に「WOWOWを休職して、参りました。 アニメ関連の仕事の経験を生かして、米国でアニメチャンネルを立ち上げられないかと調査をしているところです」と言うと、最初は興味を持って「どちらかの会社か投資家がついているのですか?」と聞かれます。 そこで「今は個人でやっていて、プランができたら日本の関連会社に提案をするつもりです」というと、途端に目付きが変わるんだなあ。 イカサマ師かタカリをみるような警戒感で、すーと引いていくのがわかる。

「そりゃあそうだよ」とも思いますが、それだけに聞かれるのがイヤでした。でもね、これがまた必ず聞かれるんです。 私の説明を聞いた横田さんは「海部さん。 日本の会社は外国で個人でビジネスしている日本人を信用しませんよ 」ときっぱり(苦笑)。

でも、この横田さんとの出会いが、私の10年を方向付けるきっかけとなるのです。 それは2ヵ月ほど経ったある日、横田さんから電話がきました。 「海部さん。 ジェトロ東京本部で米国のアニメ市場調査をやろうという話があるのですが、リサーチャーやってみませんか?

もちろん、即答!「興味あります、やりたいです。 よろしくお願いします 」予算できるし、何よりもこれまでなかなかきっかけの掴めなかった米国テレビ局だってアポイントメントが取れます。 有頂天になりました。

ところが、直後に問題が発生します。 ひとつは私の米国ビザが就労を認めていないこと、二番目はジェトロは個人とは契約できないという制約でした。 やっと来た仕事の話だったのに、早くも暗雲が漂いはじめました。

続きは次号で!

image by:  Shutterstock.com

 

ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』より一部抜粋

著者/海部正樹(米国法人WOWMAX MEDIA LLC代表 / プロデューサー)
政治家の二世なのですが、テレビディレクターやアニメプロデューサーになりました。親は嘆いたでしょう。しかも42歳で渡米、その後ロスで起業と来た日には、人生どう転がるかわかったものではありません。そんな私が異国で今日も体験している「海外の起業」と「海外での継業」を中心にいろいろ書かせて頂きます。それと「米国ローカルの時事ネタ」や「10年暮らしてわかる生活ネタ」もご紹介します。
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