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世界一貧しい大統領は元・テロリスト? ホセ・ムヒカ氏の数奇な半生

「世界一貧しい大統領」として数々の著者が出版され、世界中で絶賛される南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏。彼が「元テロリスト」だと聞いたら、みなさんは信じられるでしょうか?メルマガ『NEWSを疑え!』の著者で軍事アナリストの小川和久さんが、ホセ・ムヒカ氏が成功できた理由と、ISなど現代のテロリストたちが将来的に英雄視される可能性という難しい問題についても言及しています。

「テロリスト」は「真人間」になれるか?

国際変動研究所理事長 軍事アナリスト 小川和久

Q:2016年4月上旬、「世界で一番貧しい大統領」こと南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が来日しました。1960年代に極左都市ゲリラツパマロス」に加わっていた彼は、見方によっては「元テロリスト」ともいえるわけでしょう。小川さんの考えを聞かせてください。

小川:「ホセ・ムヒカ氏はウルグアイの政治家で、2009年11月にウルグアイ大統領選挙に当選。2010年3月~15年2月まで第40代大統領を務めました。ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ(Jose Alberto Mujica Cordano)というのがフルネームで、『エル・ペペ』(ぺぺはホセの愛称。エルは定冠詞)と呼ばれ、国民から敬愛されている人物です」

大統領として受け取る給与の多くを財団に寄付し、月1000ドル余りで生活していたことから、『世界で最も貧しい大統領』のあだ名がつきました。もっとも本人は、別に貧しいわけではなく充分な暮らしをしている、ただ質素なだけだ、という意味のことをいっています」

「実際、めぼしい財産はよく知られた愛車のフォルクスワーゲン(ビートル)、自宅、農地、トラクターくらいのようです。そのポンコツ愛車を100万ドルで買いたいとアラブの富豪が申し出たら『友人たちからもらったものだから』と断ったそうです」

「ホセ・ムヒカ氏のことは、ここ数年テレビなどでしばしば報じられ、今回の初来日でも広島や京都訪問、大学での講演、出版サイン会など精力的な活動が話題になりました。いくつかの報道は都市ゲリラの経歴に触れていましたが、紹介の多くは国民に親しまれる清貧大統領というものだったようです。しかし、国際政治と安全保障の世界にいる私から見ると彼の生き方はあれこれ考えさせられます。舛添要一都知事を批判するとき引き合いに出すだけでなくてね(笑)。今回は、そんな話をしましょう」

都市ゲリラ「ツパマロス」の一員

Q:ウルグアイはブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国ですが、ブラジルからの独立(宣言)は1825年と古く(認められたのは28年)、比較的豊かな民主主義国ですね?

小川:「そうです。アルゼンチン・ブラジル戦争(1825~28年)の対立をうまく利用し、イギリスの仲介を得て、ウルグアイ東方共和国として独立しました。その後、両国の対立が国内対立を煽り内戦が続きましたが、1870年に三国同盟戦争(パラグアイ対アルゼンチン・ブラジル・ウルグアイ三国同盟の戦争)が終わると、アルゼンチンとブラジルはウルグアイを緩衝国家として維持する政策に転換。内政干渉を控えたので、ウルグアイは畜産業などで栄えました

「二十世紀に入ると、ウルグアイではスイスをモデルにした社会経済改革が行われ、南米で唯一の福祉国家となって発展しました。民主化も進んで安定し、一時期は『南米のスイス』と呼ばれたほどです」

「ところが、大土地所有制や畜産業中心の経済体制を変えることができず、工業化にも失敗します。それでも第二次大戦中や戦後復興期は輸出が好調だったのですが、1950年代半ばから経済が低迷し政情が不安定化しました」

「そこで1960年代半ばに登場したのが、南米最強の都市ゲリラといわれたツパマロス(トゥパマロスとも表記)です。ホセ・ムヒカ氏はこれに加わりました。1935年生まれの彼は家が貧しく、家畜の世話や花売り(いまでも花を育てるのが趣味のようです)などで家計を助けていましたが、30歳くらいでゲリラとなったのです」

ツパマロスが反政府攻撃を強めると、ウルグアイ軍部は政治介入を深めていきます。1973年には軍がクーデターを起こして政治の実権を掌握しました。76年に就任したメンデス大統領は新自由主義的な経済政策を掲げる一方、労働人口の20%が治安組織要員という極端な警察国家体制を敷いて国民を弾圧しました。81年には軍部が軍の政治介入を合法化する憲法改正を狙いましたが、これは国民投票で否決されます。85年に民政移管が実現し、ようやく民主主義国としての歩みが始まったわけです」

「2005年にはタバレ・バスケス氏が大統領となって初の左派政権を樹立します。2010年にはその政策継承を掲げたホセ・ムヒカ氏が大統領となり、2015年3月からは再びバスケス氏が大統領をやっています」

受けた銃弾6発、逮捕・投獄4回

Q:ホセ・ムヒカ氏は、都市ゲリラとしてどんな活動をしていましたか?

小川:「ただ都市ゲリラ・ツパマロスの一員だったというだけではありません。ゲリラとして実戦を戦った筋金入りです。さまざまな襲撃や誘拐にも関与し、受けた銃弾は6発で、重傷を負った経験もあります。逮捕・投獄されたのは4回で、うち2回は脱獄しています。奥さんのルシア・トポランスキー上院議員もツパマロスのメンバーですね」

「1972年に逮捕されると、翌年に軍部クーデターが勃発したので、ホセ・ムヒカ氏は軍事政権が終わるまで13年近く収監されていました。この間は軍事政権が取ったゲリラの人質という扱いでした。民政移管と前後して出所したあと、彼はゲリラの同志らと左派政治団体を結成、1995年の下院議員選挙で初当選し、2005年にバスケス政権ができると農牧水産相として入閣しました」

「今回の来日前、朝日新聞がホセ・ムヒカ氏にインタビューしています。そのなかでゲリラとして投獄された体験を語っていますので、引用しておきましょう」

世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論 (2016年3月31日 朝日新聞 聞き手・萩一晶) 

■獄中に14年、うち10年は独房に 

──軍事政権下、長く投獄されていたそうですね。 
「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ」 
「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」 
──刑務所が原点ですか。 
「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」 
──独房で何が見えました? 
「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」 
「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」

いまは世界に知られる政治家

Q:ただ都市ゲリラとして戦っただけでなく、その後の長い独房体験がホセ・ムヒカという人をつくったようですね?

小川:「そうでしょう。彼は間違いなく都市ゲリラ組織の活動家で、政府側や軍部からはテロリストと呼ばれていたはずです。現在の視点からしても、ツパマロスが都市ゲリラ組織だったのか、テロリスト集団に近いものだったのかは、評価が分かれるところだと思います。一方、そんな組織にいて襲撃や誘拐にも参加したホセ・ムヒカ氏は、その後に立派な政治家となり、いまでは人びとに愛され尊敬され、世界によく知られた人物です」

「そこで思うのが、IS(イスラム国)、アルカイダといったテロリスト視されている集団やタリバンからホセ・ムヒカ氏のような人物が出てくるだろうか、ということです。いまISは欧米など多くの国にとって殲滅の対象ですが、やがて歴史的な評価に耐え、優れた政治家を出すようにならないとも限りません。ポイントは、その人物がどんな暗殺や襲撃事件に関わったかではなく、民衆のために命をかけ民衆に愛されたかどうかでしょう」

「たとえばアラファト議長も、昔はテロリストと呼ばれていました。パレスチナと対峙していたイスラエル側も、初期のリーダーたちは敵方からはテロリストと呼ばれていた活動家でした。そんな評価は時代によって位置づけが変わります

「アラファトで思い出すのは、来日した彼がテレビ朝日の報道番組に出たときのことです。司会の小宮悦子さんが『アラファトさんはテロリストだったんですけど……』と口走り、アラファトがドン引きしたシーンを、たまたま見ていて、よく覚えています。アラファト紹介のニュース原稿は報道局のスタッフが書いたのでしょうが、いくらなんでも本人を前にして、元テロリストなんていうか、と呆れましたね(笑)」

「都市ゲリラ・ツパマロスで私がもう一つ思い出すのは、1970年に三一書房から出た『都市ゲリラ教程』という本です。これは同志社大学時代の私の仲間たちが翻訳して出した本なのです。都市ゲリラ戦術のマニュアル本で、当時の新左翼の世界的な定番でした。著者のカルロス・マリゲーラはブラジルで民族解放行動(ALN)を率い、軍事政権に抵抗したマルクス主義革命家です。銀行強盗や外国要人の誘拐といったゲリラ活動を繰り返し、1969年11月にサンパウロで警察に射殺されています」

「カルロス・マリゲーラが書き残したものを翻訳して出したのは日本・キューバ文化交流研究所というところですが、これは大正時代の首相・山本権兵衛の孫娘の山本満喜子さんが所長をやっていました。彼女はキューバ首相のフィデル・カストロともっとも親しい日本人といわれた人です。加藤登紀子さんのご亭主、元反帝系全学連委員長だった藤本敏夫氏も研究所に一枚かんでいました。そんな本のこともあり、私はホセ・ムヒカ氏に妙に親近感を感じているところです」

(聞き手と構成・坂本 衛)

 

NEWSを疑え!』より一部抜粋

著者/小川和久
地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。一流ビジネスマンとして世界を相手に勝とうとすれば、メルマガが扱っている分野は外せない。
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