巷で話題の映画「君の名は。」ですが、感想以外に自分なりの“分析”を書き込んでいる人も少なくありません。無料メルマガ『あとがきのあとがき 心理学者/中西康介』の著者で、数多くのカウンセリングを手掛けてきた心理学者の中西康介さんも、軽い気持ちで観に行ったこの映画に衝撃を受けた一人です。さて、心理学のプロである中西さんは「君の名は。」にどのような感想を抱いたのでしょうか?
『君の名は。』論
周りの人に強く勧められて「君の名は。」を観てきました。
保育園の年長ぐらいの子どもから50~60代ぐらいの方まで幅広い年代の人が2回3回と観に行っているという話を聞き、先日自分も観に行ってきました。
元々、アニメ映画自体あまり好きではなくここ数年は専らヤクザ映画を中心にマークしてきた自分としてはあまり多くを期待をしていませんでした。
感想を端的に言えば
「特別泣けるような感動モノではない。だけどなぜか、何度も思い出し、考えてしまう」
そんな不思議な余韻が続く映画でした。
それもそのはず。
この映画のジャンルがオフィシャルにどう位置づけられているか分からないのですが、これは「シンボリック・エロス」というかつてないジャンルを開拓したからです。
いや過去に「シンボリック・エロス」にカテゴライズされる作品も存在したかもしれません。
しかしこの作品が他を凌駕するのは観ている人にさえ「シンボリック・エロス」というジャンルであることを気付かせない点ではないだろうか。
試しに「君の名は。」を観たという人に「それってどんなジャンルの作品?」と聞いてみるといい。
「恋愛もの?」
「青春エンターテイメント?」
「せつない系?」
どれも的を得ているようで核心を貫いた括りとは言い難い。
なぜか。
何度でも繰り返すしますが、観ている人にすら察知されないよう象徴的なエロスを追求しているからだ。
そもそもこの映画のメインテーマは何か。
これはもう「両性具有性」に他ならない。
第二次性徴中の主人公・三葉が大人の女性になることへの抗いとして、あまりにも強く男性のシンボルを希求する空想の中で瀧君という男性性を取り込んでしまう。
同じく思春期の男子である瀧が病的なまでに女性器に関心を持つ中で、いつの間にか空想の中で三葉という女性の肉体を我が物にする。
異性と合体したいという想いが肉体的にも精神的にも合一してしまい、精神的な異常をきたしながらも恍惚の世界を描ききることでそれは美しいものとして心に刻まれる。
2人、いや三葉でもあり瀧でもある1人の両性具有者である人物は、自らの肉体に触れることや裸体を鏡に映すことでは満足できなくなり、とうとう空想上のもう一つの性別を持った自分自身を探す旅に出る。
人格の崩壊という危機的状況を、むしろスクリーン上ではコミカルな雰囲気に装っているが、それを可能にするにもきちんとしたロジックが用意してある。
例えば、主人公・三葉のおばあちゃんのようにかつて同じようなエロスの世界に埋没したであろう人物が賢者の如く落ち着いた人間として自我を確立していることで、三葉の人格の解離が一過性のものであるという安心感を与えていることが大きいと思われる。
細かい部分で言えば「口噛み酒」などは三葉と瀧君の体液交換を神事として象徴的に扱うことでエロスの匂いをうまく消しながら、それでも観客の心の中には理由の分からない衝動をかきたてている。
実際それは「もっと観たい」「もっと知りたい」「もっと理解したい」という欲求として間接的でありながらも力強い勢いで本能に訴えかけてくる。
image by: 映画「君の名は。」公式HP
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著者/中西康介(心理学者)
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