経験したことがなかったり、わからないことに直面した時、不安になるのは人間として当然のこと。しかし、そのわからないことを独自の方法で解決し、成功を収めている人がいることも事実です。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さんが紹介しているのは、そんな方が著した一冊。ウッチャンナンチャンのウッチャンこと内村光良氏の従兄弟で放送作家の内村宏幸さんは、どのようにして「わからないこと」を逆手に取り、売れっ子コント作家となることができたのでしょうか。
置き換えてみる発想
最近読んだ本の内容からの話。
1962年に熊本県人吉市に生まれた内村宏幸氏は、中学生の時に、横浜の大学に入学する兄についていき、関東でテレビをつけて衝撃を受けた。
当時の熊本のテレビでは民放が2局しかなかったので、その民放チャンネルの多さに驚いたのである。
東京見物よりもテレビのほうが印象に残った内村氏は、高校卒業後、兄と同じ大学に入学し横浜に移り住み、映画監督を目指して横浜の専門学校に入学するために横浜に来たいとこと同居生活をすることになった。
いとこは、専門学校の友達を家に連れてきて、彼と漫才コンビを組んでテレビ番組に出演するようになったので、内村氏は次第に彼らのネタ作りに参加するようになった。
この漫才コンビこそが、内村光良・南原清隆のウッチャンナンチャンである。
ウッチャンナンチャンは『お笑いスター誕生!』で見事に優勝を勝ち取り、当初は記念の出演だったのが、次第にお笑い界で生きていくこととなった。
テレビの仕事に憧れていた内村宏幸氏は、名刺に勝手に「ウッチャンナンチャン ブレーン」という肩書きを加えて、ウッチャンナンチャンにくっついてテレビ局を回った。
そしてウッチャンナンチャンが出演していた『笑いの殿堂』『夢で逢えたら』『誰かがやらねば!』などの番組の放送作家として仕事をするようになり、『オレたちひょうきん族』『ごっつええ感じ』などの人気コント番組を手がけるコント作家となっていった。
やがて、テレビにはコント氷河期と言われる、コント番組が全く作られない時代があったが、1998年には『笑う犬の生活』がスタート。
いとこの内村光良と組んでコント番組を盛り上げたが、『笑う犬』シリーズは5年間続いて終了し、テレビ界にコント番組のムーブメントが再び起こることはなかった。
これでしばらくはコント番組はできないだろうと思っていた矢先、まさかのNHKからの依頼があった。
「NHKらしくない、でもNHKにしかできないお笑い番組を作りたい」という企画で、内村氏は手探りのままサラリーマンを題材にしたコントを書いたところ、今までにない面白いものができるという光明が見えた。
これが、2006年からレギュラー放送を開始したコント番組『サラリーマンNEO』で、この番組はシーズン6まで続き、映画化も果たした人気番組となり、さらには国際エミー賞のコメディー部門にノミネートされるなど、国際的にも評価される作品となった。
この成功により、『祝女』『LIFE!~人生に捧げるコント』など、内村宏幸氏の手がけるNHKのコント路線は今につながっている。







