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炊飯器の性能だけじゃない。日本のお米が世界で一番美味しい理由

私たちが普段、何気なく口にしている日本のお米。実は海外の人々からみても日本の米の美味しさは特別なんだとか。中国の富裕層も、日本のお米と日本製炊飯器を輸入して美味しいお米を味わっているそうですが、果たして日本のお米の美味しさは炊飯器の性能だけに拠るものなんでしょうか? 無料メルマガ『古代史探求レポート』では、現在と同じ米の炊き方が始まる江戸時代以前の歴史を繙き、栄養と美味しさを追求し続けた日本人の2000年以上にわたる努力と工夫の数々を紹介。美味い米は1日にしてならず、日本のお米がなぜ世界一美味しいのか、その理由を探求しています。

二千年かけて編み出された世界最高の味

中国カリスマ経営者が日本製炊飯器を絶賛

中国で開幕中の全国人民代表大会(全人代=国会)で日本製「炊飯器」がキーワードに浮上している。約3千人が出席している代表の1人で急成長している携帯電話機メーカー、小米科技(シャオミ)創業者の雷軍会長が全人代の分科会会議で日本製炊飯器について、「米粒が踊っている。中国メーカーには作れない」と発言したことがきっかけだ。

小米科技は6年前に設立されたばかりのベンチャー企業だが、スマートフォンの中国国内市場では15年に15%のシェアを握った。米アップルなどをおさえて堂々のトップに君臨する。

雷氏はチャイナドリームの体現者で、若者から「米神」と呼ばれるIT(科学技術)業界のカリスマ経営者。その「米神」が会議で話題にしたのは、「以前は炊飯器には大した技術はないと思っていたが(訪日中国人の爆買いをみて)詳細に研究したところ、中国メーカーには作れない技術だと分かった」という日本製炊飯器。「米粒が炊飯器の中で踊るようにできあがって食感がいい」らしい。

雷氏が感動したのは米粒を踊らせる日本のハイテクだが、同時に「特許」にも注目した。すでに日本の家電メーカーが炊飯器で多数の特許をもち、ハイテクな炊飯器を中国メーカーが作ることはできない、と判断した。「最初は中国人消費者に外国製品への崇拝はあると思っていたが、実際に日本製は中国製よりも良くできている」と認めた。

 

(中略)

 

日本人にとって身近な炊飯器。「米粒」が知らぬ間に全人代という中国の会議を踊らせているようだ。(産経新聞 2016年3月15日)

中国の人が日本にやってくると、必ず購入して帰るのが炊飯器だそうです。この爆買いのニュースは中国でも放送されているようで、数年前には中国の炊飯器も日本製と同じような性能があると大きく反論が報道されていました。しかし、この記事を見る限りにおいては、日本と中国の技術力の差は、まだまだ埋まっていないようです。

日本の良さは、R&D(調査開発)を止めないことですが、満足しない果て無き追求と、採算度外視のきめ細かな対応です。今回の記事で紹介されている「米粒が炊飯器の中で踊る」原因は、火力と圧力のコントロールにあります。これで、米粒を踊らせます。踊らせて炊いた米粒は、ふっくらとし、モチモチ感がアップするのだそうです。

一時期、炊飯器だけを変えても、日本と同じ美味しいご飯は炊けないとも言われました。一つは、品種改良された日本の米が味に大きな差をつけていると指摘されたのです。しかし、現在、中国の富裕者層の食べているお米は、日本からの輸入米です。富裕者層では、日本米を食べることは当たり前になっているのです。

もう一つが、水の問題です。中国は硬水、日本は糸魚川を境にして、硬水と軟水に分かれます。お米は何と言っても軟水で炊くのが一番です。しかし、これさえも、現在ミネラルウォーターが売られ、解決されるようになりました。

誰だって、美味しいご飯を食べたいのです。米も水も手に入れられるようになったわけですから、炊飯器を求めるのは当たり前かもしれません。

先週、この古代史探求レポートでは、稲や米の呼び方に付いてお話をさせていただきました。今週は、もう一歩進んで、古代の人々はその米をどうやって食べていたのかということを探ってみたいと思います。

どうやって?と言っても、米は炊いていたのではないのかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。現在のようなお米の炊き方を「炊干し法」と言いますが、このご飯の炊き方は、江戸時代に始まったとされています。「炊干し」とは、字のごとく水分がなくなるまで炊いて、それをふかすのです。

江戸時代以前はというと、コメの収穫量が少なく、なかなか米だけをそのまま食べるということができませんでした。このため、今のようにあらかじめ適切な水の量を計り、ご飯を炊くということが上手くできなかったのです。

では皆さんは、「炊く」と「煮る」の違いは何かご存知でしょうか。炊くというのは、強い火力を使って沸騰させることを言い、煮るは弱い火で時間をかけて加熱することを言います。

始めチョロチョロ、中パッパ。赤子泣いても蓋取るな」というご飯の炊き方を教わった方も多いと思います。始め弱火にするのは、釜全体を暖めるためでした。その後、強火にして沸騰させますが、大きな重い蓋を釜の上に乗せて、吹きこぼれないようにして圧力をかけてやります。これが、窯の中で米が踊る要因です。日本の炊飯器はこの炊き方を取り入れているのです。赤子泣いても蓋取るなというのは、蒸すという工程が最後についているからです。

竃(かまど)は強火で米を炊くところ。炉は弱火で煮物を作るところと分けられていた家も多かったようです。特に東日本では、竃と炉を分けて作っていたようです。西日本では煮炊きを一緒にしていたのではないでしょうか。煮物であっても、「炊いた物」という言い方をしたと記憶しています。

江戸時代より前は、どんな方法で米を炊いていたのでしょうか。

麦ご飯を食べたことのある方はおられるでしょうか。麦を炊く時のやり方は、多めに水を張った鍋に麦や米を入れ、沸騰後に余分な水分を捨てる方法を取ります。粟(あわ)も同じように炊くのだそうです。どのくらいの水分を吸収してくれるのかわからないので、合理的なようにも見えますが、せっかくの煮汁を捨ててしまいますから非常にもったいないようにも思います。

昔は、この煮汁を柄杓でくみ出したのですが、それを動物に与えたり(家畜の餌にしたり)、また、糊として使っていたようです。決して、無駄にしていたわけではなかったのです。

この方法を「湯取り法」というのですが、中国も朝鮮半島もこの湯取り法で米を炊きました。実際、この湯取り法を使って米を炊くと、米に粘り気がなくなりパサパサしたものになります。東南アジアで食べるお米はこのような感じです。タイ米は美味しくないという人がいますが、炊き方が違うのです。

私も、個人的には「炊干し法」に慣れてしまっているせいでしょうか、どうも、パサパサのご飯を美味しいとは思えません。米どころ新潟の魚沼産コシヒカリと言えば、最高級の日本米です。その中でも、山側で取れる米というのがあります。普通に炊いても、粘りっ気がありねちゃねちゃして甘味があります。パサパサを好まない日本人の好きな究極のご飯です。

(ひえ)を炊くときには、まず水を沸騰させ、沸騰した湯の中に稗を入れて煮立たせた後、竹籠に開けて粘り気を落とすように洗います。そして、蒸し籠で蒸します。これを「湯立て法」と言います。アイヌの人々の主食は、この稗でした。我々が言うところの、ご飯はチサッスイェプといい、稗を湯立て法で蒸したものでした。青森では現在も稗を栽培していますし、岩手ではとろろをかけて食べたりします。

今、デパ地下で売っているお弁当の中では、「おこわ」を専門に売っている店を見かけます。おこわは、「御強」と書くのですが、これはもち米を蒸したご飯です。もち米は、うるち米に比べると甘みが強いです。現在売られているのは、その上に醤油や味醂で味付けをされ、色々な具を混ぜて売っています。もともと、赤飯に代表される祝い飯の一つでした。

昔は、強飯と書いて「こわめし」と呼ばれていました。平安時代の貴族は、強飯を食べていたと言われています。特に行事の宴の席で出されるのは、強飯でした。神様に捧げるご飯は、茶碗に山盛りよそって箸を立てます。それこそが、贅沢だったのでしょうが、箸が立つのは強飯だからです。

これに対して、普通のご飯は、もち米のこともうるち米のこともあったようですが、もっと水気の多いものであったようです。つまり、今で言うところの固粥(かたがゆ)が食べられていたようです。これを強飯に対して、姫飯(ひめいい)と言っていたようです。ニュアンスとしてもなんとなく理解できるような気がします。平安時代も末期になると、強飯よりも姫飯が好まれ、貴族の人々も姫飯を食べていたようです。

また、今で言うところの粥(かゆ)もありました。これは「しるがゆ」と呼ばれていたようです。

枕草子の中で「所の御前どもに水飯(すいはん)食はす」と言う記述があります。「蔵人所の先駆けの者たちに水飯(すいはん)を振る舞う」と言っているのですが、この「水飯」は姫飯(ひめいい)のことなのか、粥のことなのか判断が難しいところです。

では、平安時代以前はどうだったのでしょうか。これらの時代になると文献に残っていませんので出土物から考えるしか方法はありません。

弥生の稲作遺跡として有名な、登呂遺跡からは木鉢と匙が出土しました。これを見る限りにおいて、収穫された稲から取れた米は、匙ですくって食べていたのだと考えると、「しるがゆ」にして食べていたのかなと推測できます。普通のご飯を匙で食べても良いのですが、それなら手でつかんで食べたのではないかと思います。汁がゆは手では掴めませんから、匙が必要になります。あくまで、個人的な分析です。

山梨県の榎田遺跡からは、古墳時代の遺物として、住居跡から底のない土器が出土しています。これは、(こしき)だろうとされています。

甑とは、現代で言うところの蒸篭(せいろ)にあたります。同じく山梨県の二宮遺跡からは、同じような甑と、長胴甕(ちょうどうがめ)が合わせて出土しました。胴の長い甕ですが、ここに水を入れて下から火を焚き、上に甑を置いて米を入れ、米を蒸して食べたのだろうと推測されています。つまり、強飯が古墳時代には一般的に作られていたことがわかるのです。

支配階級は強飯を食べ、一般庶民はしるがゆをすすると言う食生活が続いていたのではないでしょうか。

ご飯の美味しさは、その米の改良された品種なのか、水なのか、炊飯器の性能なのかはわかりませんが、日本のご飯が世界で最も美味しいようです。それは、粥から始まった食事が、強飯になり、姫飯になり、と移り変わり、その後、湯取り法から炊干し法へと移り、常に栄養と美味しさを追求し続けた日本人の2000年以上にわたる努力と工夫があったからです。

こうやって見てくると、日本のご飯が美味しいのも、他国が真似できないと言うのも、当たり前なのかもしれません。

image by:Shutterstock

 

メルマガ『古代史探求レポート

著者/歴史探求社

どのような場所にも、そして誰にでも歴史は存在します。その場所は、悠久の昔より地球上に存在して多くの人々が生活し行き交った場所です。また、皆さんは人類が始まってから、延々と受継がれて来た遺伝子を継承している一人なのです。歴史探求社は、それぞれの地にどのような歴史があったのか。また、私達のルーツにはどのような人々が存在し、どのような行動をおこしたのかを探求し、それを紹介する会社です。もっとも、効果的と思われる方法を用いて、皆様に歴史の面白さをお届けします。「まぐまぐ」を通じて、メールマガジン「古代史探究レポート」を発行、購読は無料です。大きな歴史発掘報道や、企画展情報、シンポジウム等の情報を提供しています。
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