二度目はない。京都で限定公開中、千利休と狩野永徳「蜜月」の証

 

ライバル同士の対立

1590年、京都御所で障壁画制作をめぐり対立がありました。一旦は等伯に決まっていたものの永徳が公家に直訴しひっくり返したのです。そのやり方に利休は激怒しました。

そのころ利休は等伯を気に入り大徳寺山門の金毛閣の天井と柱の装飾を任せるなど重用していました。永徳と利休の間柄は急速に悪化します。その直後永徳は急死してしまいます。天才絵師・永徳の死は心労と過労が原因と言われています。

大徳寺山門の利休の彫像事件など秀吉のなかで利休への不信が強まる中、秀吉の弟・秀長が亡くなります。秀吉は最大の理解者であり支持者であった永徳と秀長を失います。このことが秀吉の心のバランスを狂わせたかも知れません。突然秀吉は利休に切腹を命じます。永徳が亡くなってから1年後でした。

2人の結末は悲しいものですが、大徳寺聚光院に秀吉の天下取りを支えるために邁進した永徳と利休の蜜月の証があります。大画様式が描かれた花木と鳥たちの世界。すべてをつなぐ襖絵に描かれた水の流れが庭に注ぎ込んでいます。これこそが純粋に美を求めた二人の究極のコラボです。

聚光院は通常非公開寺院です。我々が生きている間にはもう公開されることはないのではないでしょうか。是非この機会をお見逃しなく足を運んでみて下さい。

創建450年記念特別公開公開中 ~2017年3月26日

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: Wikimedia Commons

 

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