色とりどりの砂糖菓子かと思って拡大してみると、何とそれは「歯車」。直径1ミリにも満たないという驚きのパーツを開発したのは「樹研工業」という、一見どこにでもありそうな、愛知県に本社を置く中小企業です。しかしこの会社、普通の企業とは異なる「経営哲学」を持っており、その結果、現在では世界に名を馳せる有名企業となっています。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』で詳しく紹介されています。
100万分の1グラムの歯車
米粒を15センチほどに拡大した写真がある。その上に数ミリほどの赤や青の金平糖のようなものが、いくつか乗っている。これが100万分の1グラムの歯車である。ちゃんと歯が5枚ついている。直径が0.147ミリというから、10個並べても1.5ミリに届かない。
この歯車が2万個入ったケースを肉眼で見ても、チリが入っているようにしか見えない。だから「パウダーパーツ」と呼んでいる。
小さすぎて、用途はまだない。いずれ米粒くらいの大きさで血管の中を掃除したりする医療用マイクロマシンなどに使われるかもしれない。まだ売れる見込みがないのに、2億円もの開発費をかけてこんな極小歯車を開発したのは、樹研工業という社員70名、年間売上げ28億円の中小企業である。
「先回りの樹研」
樹研工業は「先回りの樹研」と呼ばれることがある。ソニーが8ミリビデオを開発した際に、購買担当が樹研工業の松浦元男社長を呼んで聞いた。
当社で今度、手のひらサイズの8ミリビデオカメラを作るんだが、そちらで部品を作ってみるか。
松浦社長は「それはこんなものでしょう」と、あらかじめ試作しておいた歯車を差し出した。
えっ! なぜそれを? どこから話が漏れたんだ!?
確かな話があったわけではない。ソニーなどのメーカーはビデオデッキやビデオカメラを小さくしたがっているという話を噂で聞いていたので、先回りしてサンプルを開発しておいたのだ。担当者のびっくりした顔を見たときは痛快だった、と松浦社長は思い出す。この部品は100%、樹研がソニーに供給することになった。
世界にないものを作らねば意味がない
それから松浦社長は「どうせやるならとことんやってやろう」と1万分の1グラムの歯車を作って見本市に出した。見る人すべてが驚いて、「すごいな。1万分の1グラムか」と言ってくれるが、そこから先の反応がない。「ようやったわ。誉めてやろう」という程度のお義理なのだ。
「こんちくしょう。こうなったら10万分の1グラムを作ってやる!」と、6年かかって、なんとか成功させた。金型を作る工作設備から億単位の金をかけて開発した。見本市に出すと、「へー。こんなに小さいのか」と驚きから感動のレベルに変わった。海外企業からの問い合わせも来るようになった。
その次の目標として、100万分の5グラムの歯車を作ろうと、社員に言った。すると金型をつくる若い職人が反対した。
社長、そんなのダメだよ。そんなところで妥協されたんじゃあダメだ。100万分の5なら他でもできる。そんなことになったら俺の顔がたたねえ。100万分の1の歯車を作りましょう。
よし、わかった、と松浦社長はすぐに決断した。100万分の5を作っても、他社が100万分の4を作ったら、まったく意味のないことになってしまう。世界にないものを作らねば意味がないのだ。
100万分の1グラムの歯車の陰に
100万分の1の歯車を作ったのは、技術力のアピールだけが目的ではない。一桁上げようとすると、金型や成形機から製品を取り出すシステム、数える装置にいたるまで、ありとあらゆるものを開発しなければならなくなる。チリのように小さな歯車の陰に、富士山の裾野のように技術開発が広がるのである。
ちょうどNASA(米航空宇宙局)が月まで人間を送り込んだロケットを開発したのと同じである。宇宙飛行士が月に立っても、人々の生活にはなんの役にも立たないが、それに伴って幅広い裾野の技術が開発されたのである。
そうした高度の独自技術で、樹研が独占的に生産している製品の一つに、自動車のスピードメーターなど計器類に使われるステッピング・モーターの部品がある。永久磁石の寸法バラツキを吸収して自由に大きさを変えられる特殊な金型を開発し、これにプラスチックを流し込んで成形する。この部品は世界の三大自動車メーカーが採用し、樹研が独占的に供給している。近い将来に世界の自動車の50%に、この部品が使われるだろうという。
「貸し渋り」どころか「押し込まれ」
樹研はこうした桁違いの技術で、30年間に45億円の経常利益を上げた。余分な資金が10億もある。よく中小企業に対する銀行の「貸し渋り」「貸しはがし」が問題となっているが、樹研に対しては、一流の都市銀行が「借りて下さい」と頭を下げてくる。これを松浦社長は「押し込まれ」と呼んでいる。
銀行が金を貸してくれないとこぼす中小企業の社長たちに対して、松浦社長は「彼らは(バブル期の)80年代に何をしていたか、ベンツを買って毎週のようにゴルフに行っていたではないか」と言う。自前の技術もなしに、低賃金で人を雇い、安さだけが売り物で大企業の下請けをしていた中小企業は、中国に仕事を取られ、銀行からも見放されていく。
また中小企業が都市銀行と取引しないのは、銀行側が付き合ってくれないからではなく、経理への要求が激しいからである。しっかりした経理をする能力のない中小企業は、楽な信用金庫や信用組合に逃げてしまう。
松浦社長は創業当時から都市銀行と取引をしてきた。そのお陰でずいぶん経理面では鍛えられた。厳しい経理面の要求に耐えながら銀行との信用を作っていくと、銀行は「無担保でも5億円ぐらいなら用意します」と言ってくる。一流の技術と信用を持っていれば、中小企業でも堂々と一流銀行とつきあえるのである。
「機械をだます」職人の腕
「技術は人に帰属する」というのが、松浦社長の考えである。100万分の1グラムの歯車の金型を設計したのは、田中一夫という樹研で22年も働いている金型職人だ。田中ほどの職人になると、1,000分の1ミリの誤差でも触っただけで分かる。
コンピュータで制御される工作機なら、誰でも同じ物が作れると思われがちだが、そうではない。材料を削りだして金型を作っていくのだが、刃先の回転速度をどれだけにするのか、刃先の材質は何を使うのか、削っていく方向は上からか下からか、こうしたことで同じ機械を使っていても、精度はぜんぜん違ってしまう。そこが職人の腕の出番である。
樹研で使っている3,000万円もする高価な工作機械なら、もともと1万分の1ミリと高い精度を出せるように作られているが、それを職人の腕によって、さらに機械の精度以上の精密な加工をしてしまう。これを職人の世界では「機械をだます」という。こんな事ができるのは日本の職人だけだ。
これはピアノを使うのと同じだ。最近はコンピュータ制御で自動演奏できるピアノがあり、プログラムさえあればスイッチを入れるだけで演奏が始まる。しかし、バッハの楽譜を見て、それをどんな風に演奏したら良いのか、ピアノの個性を最大限に引き出しながら名演奏のプログラムを作るには、高度な腕がいる。知恵と感性と経験がものを言う世界である。樹研の職人たちがやっているのは、こういう仕事である。
だから、彼らは実によく理論も勉強もする。ある技術的問題が持ち上がった時、松浦社長は田中一夫が「この野郎、知ったかぶりをしているな」と感じたが、反論するだけの十分な知識がない。田中に負けないように、社長はその晩、家に帰ってから明け方まで勉強した。明くる日、社長がその問題をまた持ち出すと、田中の方もまた意見してくる。よく聞いてみると、昨日の知ったかぶりの意見とは違う。田中の方も帰ってから、必死で勉強したのだろう。
田中は中卒だし、松浦社長は経済学を専攻した文系である。それでも仕事の中で必死に勉強を重ねていくと、世界最初の100万分の1の歯車を作ってしまう、という点が、技術の世界の面白さであり、怖さでもある。
元暴走族が大学教授にレクチャー
樹研工業には21歳から69歳までの社員がいる。職人の腕で言えば、60歳あたりは最も腕の立つ年代である。それを定年だから辞めて貰うなどというのは、愚の骨頂だと松浦社長は言う。
入社してくるのは、工業高校の卒業生が多い。元暴走族などという連中もいる。採用は先着順で、今年は3人と決めたら、後からどんな優秀なのが来ても、「ごめんな。もう3人、決まっちゃたんだわ。来年またおいで」と言って帰って貰う。入社試験などを課すのは、社内で人を育てる自信のない会社のやることだ。
入社したら最低1年間は、コンピュータや計測器を使わせずに、焼き入れなどの仕事をさせる。焼き入れによって硬さを調整できるのだが、焼いた時にどういう色が出ると何度になっていて、それを油に入れて冷やすとどういう硬さになるのか、自分の五感だけを頼りにやらせるのである。
そうして基本を叩き込まれた後は、田中一夫のようなベテラン職人との厳しい上下関係の下で腕と知識を磨いていく。今の若い人たちには、動機と機会を与えれば、大きな能力を発揮するという。10万分の1の歯車を作った時も、「世界一のものを作ろう」と言って動機付けをしてやったら、彼らの瞳は輝いて、朝4時から会社に来て仕事に取り組み始める。
日本の有名大学の教授や学生が、樹研に研修にやってくるのだが、レクチャーするのが工業高校卒の元暴走族なのだから、痛快である。
中国よりも安く作れる
こういう職人たちが「こんな歯車が作れないか」という注文を受けると、金型から成型機から、製造条件まですべてを社内で準備して提供する。そしてその製造条件通りやれば、すべて良品ができあがるので、検査は不要だという保証をしている。
また金型と設備一式を売るときには「アフターサービスはいたしません」とあらかじめ断る。5年間は故障しないから、樹研からの点検も修理も必要ない、という自信があるからだ。
不良なし故障なしというのも、100万分の1グラムの歯車でも作ってしまう桁違いの技術力があるからこそ実現できるのである。
不良も故障もなければ、設備を動かしていても、人手がかからない。従来の成型機だと20台に人間が最低2人は必要だったが、樹研の設備なら100台の機械を一人で動かせる。人生産性は10倍である。その上に不良は出ない、電気代も4分の1ときたら、中国よりも安くものが出来る。
こうなれば、中国の企業がどんなに頭をひねっても、日本の部品を使うしかない、という状況になる。中国企業はもはやライバルではない。いいお客さんなのである。
「下請け」ではなく「パートナー」
日本の大企業は、中小企業を「下請け」として見下す事が多いが、欧米企業は違う。どんなに小さな企業でも、一流の技術には敬意を払う。ドイツの自動車部品メーカーから特殊な金型と専用成型機3台の注文がきた。完成すると、先方の社員に設備の使い方を指導して欲しい、との依頼があった。
一日の指導料はいくらか、という問い合わせのメールがあったので、さんざん迷ったあげく、吹っかけられるだけ吹っかけてしまえと、「一日5万円でいかがですか?」と返事をした。日本では指導してもお金をくれた事がないのである。翌日、返事が来て、「最初の取引だからそんなにサービスしてくださるのか? 次回からはもっと要求していただいて結構だ」とあった。先方は1日5万円とは安すぎると驚いたのである。
旅費も先方持ちで、飛行機はビジネス・クラス、ホテルも現地の5つ星クラスの最高級ということだった。松浦社長はそこまでしてくれなくても良いと先方に言い、ランクを落として浮いた費用でもう一人専門家を追加派遣してやったら、先方は大喜びだった。
このドイツの部品メーカーの社長と副社長が、来日して樹研を訪れて、こう言った。
実は、ヨーロッパの型屋とは全部縁を切ることとした。ついては御社とだけ取引をしたい。納期と値段についてはどこまでも相談に乗るから、どんなことがあっても、うちの仕事を受けてくれ。うちの仕事だけは断らないでくれ。
さらに「樹研工業はうちのパートナーだと言ってもいいか」とまで聞くので、松浦社長も感激した。一流技術があれば、企業の大きさなど関係ない。一流のパートナーとして扱ってくれるのである。
小さな町工場で働く工業高校卒の元暴走族でも、世界を相手に堂々たるビジネスができる。日本人が古来から大切にしてきた職人の伝統が、現代のハイテク社会でますます存在感を発揮しつつある。デフレもグローバル化も高齢化もどこ吹く風と、逞しく世界を闊歩する日本企業の明日の姿を樹研工業は示している。
文責:伊勢雅臣
image by: 樹研工業