元「旅行読売」編集長の飯塚玲児さんが、温泉に関する知識を毎回教えてくれるメルマガ『『温泉失格』著者がホンネを明かす~飯塚玲児の“一湯”両断!』。過去2回の記事で、温泉通なら誰もが知っているけど、初心者にはわかりづらい「温泉のフレッシュ感」について、第1回で「フレッシュ感の概要」について、第2回では「香りとの関係性」について説明してくれました。今回はその第3弾として、温泉のフレッシュ感と「色」との意外な関係性について解説しています。温泉のお湯の色、チェックしてますか?
「温泉の”フレッシュ感”とは何か?(3)」
前号に続いて、温泉のフレッシュ感について解説をしたい。 今回は温泉の「色」について、である。
これまで何度もこのメルマガで書いている通り、温泉は湧出したときには、そのほとんどが無色透明である。 ただし、腐食質を含むモール泉は、湧出時にすでに色がついている。 その色も、半透明の琥珀色の湯から、都内に多い真っ黒けの湯まで、実にさまざまで、それが温泉の大きな個性とも言える。
このモール泉を除けば、おおむねほとんどすべての温泉は、湧いたときには無色透明で、空気に触れて酸化するにつれ、成分が析出して白濁したり、褐色に濁ったりするわけである。 すると、色付きの湯は酸化した湯だという事になるから、フレッシュではないのでは?と思うかもしれない。
確かに酸化還元という視点からだけで考えれば、湧き立ての湯が持つ還元性が幾分なりとも損なわれていると言えるとは思う。
だが、そんなに簡単に結論づけてしまえるものでもないと、僕は思う。
次亜塩素酸ナトリウムなどの塩素系消毒薬(強い酸化剤なのだ)で人為的に酸化させてしまった上に、循環ろ過をすると、これは明らかにフレッシュ感が損なわれる。 同じ湯を使い回しているのだから当然だ。
ただ、拙著でも書いた通り、開放感のある大きなお風呂を作ってお客さんに楽しんで欲しい、という「善意」から来るのであれば、塩素消毒も全面否定はできない。 しないと湯の清潔感が保持できないからである。
一方、湧き出した湯が浴槽に注がれる過程で、自然に酸化するのはどうしても避けられないこと。 温泉は高圧の地中から地表に出て空気に触れた瞬間から酸化が始まるわけで、これを極力避けるには、圧力を変えないまま、空気に触れないようにして湯船に注ぐ必要がある。 足元湧出の温泉が貴重というのはまさしく給湯方法として理想的な状態であるからだ。
それでも湯船に注がれたら空気に触れて酸化は進行する。 こうした自然の酸化は、どうしようもないレベルの最低限の酸化であるから、循環消毒した湯の酸化の度合い、つまりフレッシュ感の損なわれ方とはまったく違う。
循環しないまでも、浴槽が大きくて新湯の注入量が少なければ、酸化した湯の割合は増えるわけである。 すると、同じかけ流しの湯でもフレッシュ感に差が出るということになる。 こうしたかけ流しの湯のフレッシュ感の差を感じるには、やはり意識して温泉に入る、楽しむことが必要で、ある程度の慣れが必要になってくると思う。 もっとも、そんな微妙な差を感じられるから偉い、というようなものでも何でもない。 各人が満足すればそれでいいと思う。
話が横道にそれてしまった。 温泉の「色」のことに戻そう。
『温泉批評』の最新号である2016年秋冬号で「にごり湯の誘惑」という特集をしていて、「濁り湯は熟女の魅力!?」と題した座談会が掲載されている。
タイトルを付けたのはむろん編集長だが、なかなかいいタイトルだと思う。
無色透明のピュアな温泉が、時間の経過でさまざまな色に変化し、個性をまとっていく様子は、確かに純真無垢な少女と多彩な魅力を持つ熟女の違いに例えるとイメージしやすいと思う。
それをイメージしつつ、先の「自然な酸化」と「人為的な酸化」の違いを考えてみてほしい。 熟女の魅力とは、自然に歳を重ねることで経験を積み、例えばの話だが、ある種の包容力を持つことのようにも思う。
若い少女は純真無垢な故に自分にも他人にも厳しいことも多く、ある意味「尖った」部分が残っているようにも思う。
温泉も同じように、フレッシュな故に、肌あたりが尖っていたり、刺激が強かったりする場合もある。 自然に酸化した濁り湯は個性的な色をまとい、肌あたりが優しく、まろやかであることが多い。 といって、フレッシュ感がないか、というと、あながちそうとは言いきれない。 むしろ、悪い刺々しさが軽減され、いい意味でのフレッシュ感が残って、それが際立つという感じだ。
「自然に」エイジングが進んだ湯でなければ、こうはいかないだろう。
泉質によっては、循環することで色が飛んでしまうものもある。 含鉄泉などはその代表格で、湯から分離、析出した鉄分がろ過器で漉されてしまうので、色が極端に薄くなる、あるいは透明になってしまうことも少なくない。
含硫黄泉も塩素消毒すれば、お湯と硫黄は完全に分離析出してしまう。 よって湯の花と透明な湯が混じっている、という状況になる。 こうした透明な湯と、同じ硫黄泉でもフレッシュさ故の透明な湯とはまるで違う。
これは、僕が通っている草津温泉の湯を例にとればわかりやすい。
というところで、無駄話を含めて長くなってしまったので今回はここまで。
次回は温泉の肌触り・浴感とフレッシュ感について書いてみたい。
どうぞお楽しみに。
image by:Shutterstock