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稀有な国民性。なぜキューバには人種差別が存在しないのか?

日本人にはまだまだ馴染みの薄い国、キューバ。その知られざる内情を紹介してくれるのは、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者で、米国の邦字紙「WEEKLY Biz」CEO 兼発行人の高橋さん。前回のメルマガでは、正月旅行で一週間ほどキューバ国内に滞在した際の到着までの話をお送りいたしましたが、今回はその後編。食事やショッピング、ネット事情、日本との知られざる関係など、現地に行かないと知りえない、社会主義国・キューバの魅力を余すことなく紹介しています。

キューバ紀行 —後編—

キューバ紀行 前編はコチラから。なぜキューバの市街地はビンテージカーばかり走っているのか?

一夜明け、そこから一週間。 腕時計も外し、ネットもつながらない環境で、ゆっくり過ごしました。

なにもしない贅沢が、意外にも退屈しなかったのは、年齢のせいか(笑)。

往復10階分の階段を上り下りするのも億劫なので、昼過ぎにゆっくり部屋を出て、旧市街を歩き、適当なところで食事する。 歩き疲れたらカフェに入り、持参した本を読み(結果4冊の小説をこの旅で読了)お土産屋を物色しながら、夜ご飯まで時間を潰す。

ニューヨークではひっきりなしにかかってくる電話もLINEもテキストメールもここでは一切受け付けない。

夜ご飯はなぜか一週間毎晩同じレストランに通いました。 旅先で同じレストランに入るなんて、そんなもったいないこと若い頃は一切選択肢にありませんでした。 数年前のモントリオール旅行のときから、ディナーだけは気に入ったレストランで食事する習慣がついちゃいました。

3日目あたりから、前日のテーブルに案内してもらえるようになったり、顔見知りのウエイターにサービスしてもらえたり、それはそれでいいんじゃないかと思えるようになりました。 観光名所(や人生)ならともかく、食事でアグレッシブルな冒険をしたいとは思わない。 お酒を飲めない僕は見たことのない銘柄のコーラと、チキンオーバーライスで十分でした。

ちなみに、旅に出ると必ず未読の小説を持参します。 自宅の本棚には、まだ読めていない小説が数十冊。 いつか読もう読もうと思いつつ、日々に追われ、まとまった時間がない中、それらを読了するのに旅はもってこいです。

非日常の空間の中、フィクションの世界に没頭できるのは、なによりの贅沢。 最近では、ひょっとしたら、小説を読む為に旅に出るのかな、と思うほどです。

NYを離れて、現実を離れて、まったくの異空間に自分の身を投じるのは小説が一番です。

で、その数十冊の中のセレクトですが、昔はヨーロッパに行くなら、ヨーロッパの作者、もしくは舞台がヨーロッパの小説、アジアに行くなら、アジアの作者、もしくは舞台がアジア、日本に出張するなら、日本の作者、もしくは日本が舞台、というようにヘンなこだわりがありましたが、最近はまったくありません。 むしろ、全然違う国の作者、舞台でも問題ないし、それの方がグローバルな感じで楽しめます。 キューバにいるのに、舞台が古代中国の話であったり、日本の経済小説であったり、するのも、また面白かったりします。

ちなみに今回、常夏のハバナで読了したのは

「西遊記」平岩弓枝著(文春文庫)

「虚像の砦」真山仁著 (講談社文庫)

「悲しみのイレーヌ」ピエール・ルメートル著(文春文庫)

「ロスト・シティ・Z 」デビット・グラン著(NHK出版)

全然、カリブと関係ない4冊です(笑)。すべてそれなりに楽しめ、すべて“生涯の1冊”にはなりえませんでした。

ところで。 世界中のレストランがひしめくニューヨークに住んでいると、よくよく日本人同士で話題になるのが「日本食料理以外で何料理が好き?」というお題です。

うちのオフィスでもよくみんなで話してます。 フレンチやイタリアンと答える女子社員が多い中、やっぱりチャイニーズやコリアンと答える男性社員も少なくありません。 そのとき僕はいつも「キューバン」と答えてました。 実際のキューバに来るのは今回初めて。 それでもニューヨークにはキューバレストランは多く、本当に好きで通ってました。 毎年お正月に行ってたフロリダにも多かったし。

結局、僕は和食が一番好きって言ってたけれど、和食じゃなくても「RICE」があれば良かったのかもしれません。 和食好きではなくて、ごはん好き(事実、焼き魚定食よりも、オムライスの方が好きだものな)。そう考えるとサフランライスと鶏肉がメインのカリブ海の料理は和食以上に好きな食事でした。

あと、編集部でよく話題になるのが、「死ぬ前に何食べる?」というお題(こう考えると、なにをしゃべってんだよ、シゴトしろよと思わないでもないけど)。

みんなが「お寿司」やら「高級フレンチ」やら(僕は「嫌ってほどのユッケ!」)答える中、副社長の大阪人がぼそっと「でも結局は、、ほか弁(C)の唐揚げ弁当かな、、、」とつぶやいたのを聞き逃しませんでした。 確かに、こいつ、いいこと言うなぁと思ったことを覚えています。 結局、人間、行き着くところはそこだよなぁと(もちろん個人差あるけれどw)。

結局のところ、鶏肉というタンパク質と、お米という炭水化物のコラボレーションこそ、人類にとってもっとも美味しく感じられるものじゃないか、と(もちろん個人差あるけれどw)。そんな持論を持つ僕としては、キューバ料理は最高の贅沢です。 本場のソレを食べ尽くせることも今回の旅の楽しみのひとつではありました。

ただ! やっぱり日本の外食同様、NYのキューバレストランも外国人用にアレンジされていると、ここで知りました。 結構、クセも強く、慣れるのに時間がかかりました。

そして! ここでも(レストランでも)モノが圧倒的にない! 結局一週間通い続けて、お目当てのチキンとライスのもり合わせメニューがあったのは2日だけ。 あとは品切れ状態(笑)。今日はポークにしときなよ! とか、今日はビーフが美味しいよ、と言われ、なんとかチキン切れを隠そうとされます。 いや、チキンを食べにきた、と云って、初めて「悪いけど、今日はチキンないんだ」と白状されます。

7日間中5日間ないものをメニューに載せるなよ。

とにかくレストランも品不足で、バニラアイスクリームを頼んだのに、平気でストロベリーアイスが出てきて、いや、頼んだのバニラだよ、というと、今ないんだよ、と平気な顔で言ってきます(笑)。いや、ないんだよって。 。 それはオーダーした時に言うのがどこの国であれ万国共通の常識じゃないの?

とにかく「陽気な北朝鮮」は、お金になるためには、結構むちゃくちゃやりやがります。

そのレストランは、いつも3人組の黒人の女性グループが店内の真ん中で歌っているのですが、ボーカルがチップのボウルを持って客席を回っている間、いきなり後ろのギターの女の子にマイクを渡します。 ギターのコは一瞬、「え?アタシ?」って顔をしましたが、ボーカルが客席を廻っている間、いちおう歌います(笑)、僕レベル。 全然、人に聞かせられるレベルじゃあない(笑)。その間だけでも曲、止めればいいのに。

街中では、全然似てないマイケルジャクソンがストリートパフォーマンスしていました。 歌えない、踊れない彼は、定期的に「POOooooooo! 」って叫ぶだけ。 本物との共通点は「黒人である」ということだけ。 体型からして全然違う。 最初は妻も「え? マイケル? 違うよね? まさか、ね?」と言ってました。 ラジカセ(!)で「スリラー」流してるから、そうだろ。 彼の隣で曲に合わせ即興で踊っている旅行者の方が全然マイケルに見えました。 ちなみにその旅行者、白人でした(笑)。

とにかくむちゃくちゃで面白かった。 結構、このあたりからキューバがどんどん好きになってきます。

朝食にハエが止まっても気にならなくなってきたのもそのころです(嫁は最初から気になってなかったみたいだけど)。やっぱり順応性は女性の方が早い。 バックパッカーも女性の方が行動範囲が広い印象があります。

でも街中でもインフラの整備がまだまだなので、そのあたりは、ちょっとだけ、まだ2歳にもならない子供を連れてきたことを反省しました。

砂埃とオイル漏れの匂いがどこでも充満し、日本だと当然、施設なりに入れられ、街中で見ることは絶対にない病気の方が物乞いをしている。

5歳以降なら社会科見学的な役割にもなるかもしれないけれど、1歳半にとっては、感染病や器官への影響ありで、ちょっと親として無責任かなと思いながら、初めて来ました。

なので、家族で移動する時は、旅行者の多い観光エリアを。 僕ひとりで行動するときには、ガイドブックでもおススメしないちょっとだけダーティエリアを行くようにしました。

旧市街での買い物は、基本、お店に入っても商品はショーケースには陳列されていません。 ひとつのサンプルに手書きの値札が貼ってるだけ。 で、コレ! と指さしで注文したら、店員が裏から持ってくる。 あるいは店員の後ろの棚に置いてあるものを出す。

袋に入ったキャンディーは一個ずつ5円くらいでバラ売りにされ、一見、オシャレな化粧品売り場のカウンターみたいなところには、化粧品ではなく、市販のシャンプーが売っている。 髪専用の洗髪用液体は、実は貴重品だと後で知りました。

店と店の間の階段は、昼間は(おそらく許可なく)店先に代わり、モノが売られています。 ハンバーガーはお肉とパンだけで、トマトもタマネギもなく、オンリーケチャップ味。

カウンターだけのきったない定食屋に入り、チキンとライスのセットを頼みました。

コーラを注文すると「ない」。 スプライトを注文しても「ない」。 じゃあなにがあるの?って聞くと飲み物はなにもない。 結構ぱっさぱさなチキンオーバーライスを飲み物ナシで食べ終え、お勘定を言うと、同時に隣で同じものを食べてた現地のキューバ人もお会計のタイミング。 もちろん、観光客と現地の人間と料金(どころか使う紙幣)も違うとは知っていたけれど、彼は100円、僕は450円。 同じタイミングで請求されたら、さすがにちょっと嫌でした。

そんな「ウインドウショッピング」だけで、楽しかった。去年の豪華客船クルーズの旅の100倍楽しかった。

空気も悪いし、トイレの環境は最悪だけど、面白いと感じられるようになりました。

なにより1週間、電話やネットに縛られない生活が快適だったのだと思います。

それでも、さすがに4日目が過ぎたあたりから、僕は平気だったのですが、妻が埼玉のおじいちゃんおばあちゃんが心配してるんじゃないか、と。

やっぱり日本に住んでいる70オーバーの老夫婦にしてみると、初孫があのカストロ政権の社会主義国に潜伏しているとなると安否も確かめたくなるようで。 やっぱり日本の人にしてみるとまだまだ謎の多い国。 妻の実家だけでも電話してみることになりました。

まずネットをつなげるには。特定の「Wi-Fiカード」なるものを購入しなければなりません。

で、購入したあとはそこに書いてあるパスワードを入れ、更に、特定のWi-Fi が飛んでいるエリアに行くしかありません。

Wi-Fiカードはちゃんとしたホテルや空港で売っているとのこと。 中央にある大きなアイコンホテルの受付で購入しようとすると「品切れです」と言われました。ここでもか!笑  

お店に行って欲しいものが普通に購入できるってことが恵まれていることをこれ以上なく実感させられます。  

でも、実は品切れではなく、あまりにも希少価値がありすぎて、宿泊客以外には売れないんだそうです。 つまりモノの売買も企業の利益獲得というより、どっちかというと社会貢献の意味合いが強いのかもしれません。

なので、しょうがないので、wifiが通っている中央の公園に、wifiカードナシで、とりあえず向かいました。 その公園には闇でWi-Fiカードが違法に売られているとのこと。

ほとんど街灯もない公園に、真っ暗な中、人だかりが出来ていました。 一瞬、誰もいないと思ったら何十人もの人がiPhoneのディスプレイの光だけで顔を光らせている集団がいます。 ちょっとオモロい。

案の定、そこでフラフラ歩くと、スグに怪しげな人が寄って来て、小声で「Wi-Fi、Wi-Fi、、、、」とささやいてきます。

いくら?と聞くと、指を三つ立てる合図。

真っ暗な暗闇の中、、人目を気にして、、さっと目立たないように、、お金と商品の受け渡しをして、、、、、そのままひと言も交わさず、、離れていく、、そんなやりとりの闇取引の金額は、、、、、、、。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 $3(笑)

なにか高額の麻薬の取引な感じで、さんびゃくえんw

ホテルなどでの正規料金では$2らしく。 確かにひゃくえん上乗せされてるけど(笑)。

やっぱり憎めないぜ、キューバ人

カードの暗証番号が書かれた部分をスクラッチしてパスワードを手に入れる。 まるで、マリファナの葉をつめてるような、コカインの粉を吸引してるような、覚せい剤の注射器を肌にさしてるような、そんな背徳な気分に、、、、、なるか!

おじいちゃん、おばあちゃん、初孫の元気な、まだ言葉になってない、ウーとか、アー、の言葉(音声)を聞いてホッとした気分になったとさ。

最終日はハバナ港まで歩きました。

要塞の廃墟がそのままになっている海岸沿いを散歩。 “趣味 ”ではなく、おそらく実用的な食事の為の釣り人が多く釣り糸をたれていました。

10代の男の子たちが4~5人、バケツに何匹かのさなかをすでに釣っていました。 覗き込むと「買わないか?」と交渉してきます。 明らかに旅行者の僕たちが生の魚を買って、どこで捌くってんだ。 写真だけ撮らせて、というと、急にテンションが上がり、そのまま海に飛び込むコまでいました(笑)。急すぎたので、シャッターチャンス逃したけど。 飛び込み損。でも、彼らにとってみれば、普段着のまま(上半身裸だったけど)海に飛び込むのは特別なことではないのかもしれません。 スグに乾く気候ではあるし。

カリブの陽気な音楽を奏でるストリートミュージシャン(といえばカッコいいけど、流しのバンド)がタンバリンとマラカスを持って何組も近づいてきます。

毎回毎回チップを渡すわけにはいかないので、基本、無視して通り過ぎようとするも、1歳6ヶ月の双子がリズムよい異国の音楽に引き寄せられて、踊り出します。 ここがチャンスとばかり彼らはマラカスを双子に渡し、ふたりを囲むように演奏を始めます。 無垢な18ヶ月の双子はチップの概念もないので、キャッキャハシャギながら、音楽に合わせて踊り出す。 黒髪黒目の男女の双子が曲に合わせてマラカスをシャカシャカさせながら踊り出す様子を周囲の観光客や現地の人間が写メを撮りに集まってきます。 ちょっとした人だかりに。 人見知りしない息子は、もうバンドのメンバーのよう。 これにてチップ決定—。

そんな状況を海岸沿いで3組くらい繰り返されました。

夕日が差し込むカリブ海の港で、異国の音楽に合わせて踊る我が子達

この旅のハイライトかもしれないな、と思いつつ、キューバが好きになりかけました。 いや、すでにかなり気に入ったかも。

ハイライトといえば、もうひとつ。

ガイドブックを斜め読みした際に、旧市街の地図が目に入り、ふと気になったポイントがありました。 港の海岸沿いで、ひとつの銅像。 日本人の名前が書かれています。

支倉常長(はせくらつねなが)の像。 無知な僕はまったく知らない戦国時代の人物でした。 銅像として、キューバに建てられていました。

ガイドブックによると、今から400年前、伊達政宗により慶長遣欧使節団としてヨーロッパに送り出された一行の責任者だそうです。

ローマに行く途中に、この地キューバに立ち寄ったとのこと。

プエルト通り沿いに、竹の生える日本風な庭園があり、その中央に羽織袴姿で、腰の刀をさしたかなり立派な銅像です。 その手には畳んだ扇子がローマの方向に向かって差し出されています。仙台育英学園からの寄贈だそうです。

400年前のちょんまげ時代、命をかけて航海してたどり着いたこのカリブの島は彼の目にはどう映ったのだろう。

そんなことを考えながら、引き続きガイドブックを読むと最終的にはローマにたどり着き、時のローマ法王パウロ5世に謁見までしたそう。

大役を果たして、日本に(命がけで)帰国すると、そこにはキリシタン禁制になっている、まったく新しい日本があったのだとか。 歓迎されるどころか、キリスト教に改宗した常長を喜んで迎える日本人は誰もいなかったのだとか。 失意のまま2年後に没—。 絵に描いたような「悲劇のヒーロー」です。

でも、今はキューバの国旗と日の丸を並べあしらった立派な銅像まで建ててもらい。 よかったね、常長さん、と心の中で言いました。

ただの偶然だと思いますが、同じ日本人として、アメリカ大陸で生まれた双子がこの銅像からなかなか離れようとせず、小一時間、家族でその何もない庭園に居続けました(久々にこぎれいな広い空間でふたりは遊びたかっただけで、両親は歩き疲れて座りたかっただけだけど)。

でも、ちゃんとお侍さんの格好をした銅像をリスペクトの念と共に、この地に銅像を建てる許可を出したキューバ人に嬉しくなりました。

こんな感じで大好きになったキューバでしたが、ただひとつ、たったひとつだけ、どうしても、どうしても馴染めないことがありました。

もちろんトイレのインフラが最悪なことも、レストランで注文したものと全然違うものを平気で出されることも馴染んではいません(ひとつちゃうがな)。それでも、まだガマン出来る。 でも、どーしてもガマンできないことがありました。

それは、あまりに、みんなゆっくりなこと

特にレストランに入って、注文して、食事が出てくるまで普通に1時間要します。 いや、マジで。 これは、もう、国民性というしかない。 悪びれてない。 彼らには普通なんだと思います。

食事ならまだしも。 食べ終わって、チェックを頼むと、伝票が出てくるまで、また30分以上かかります。

もう、僕的にはこれがどうしてもガマン出来ませんでした。

さすがに1歳児を連れて来ているので、子供の寝る時間や愚図り出す時間も考えなきゃいけないので、そこだけは相当ストレスでした。

。 。 。 。 。 。 やっぱりニューヨークの方が性にあってるな、と。

ふと、世界の中でもNYと東京が人が食事をするにあたりもっとも短い時間なのかなと思ったりもしました。

途中、たまたまキューバに来ているうちの社員と、ビエハ広場という街中の中央のいちばん目立つレストランで待ち合わせて、お昼を一緒に食べました。

普段、編集部にいる顔を見たので、バケーション気分も台無しです。 わざわざカリブまで来て、おまえと会いたくなかった、と誘った側の僕は言いました。

それでも、息子が彼女の顔を見て(なぜか)異常にテンションが上がり、むちゃくちゃ喜んでたので、会えて良かったと思いました(娘、あいかわらず白目)。1歳半ながらも、こいつはオレのストーカーか、くらいに可愛く思えたのかもしれません。

そのレストランで、なにげに財布をテーブルの上に置いていると、英語の話せないウエイターにジェスチャーで、鞄の中にしまえと言われました。 窓際に座ったのですが、格子越し外から手を伸ばされてもってかれるぞ、と。 よくあることらしい。 でも、それは日本以外の世界のどこでも共通の注意点かもしれません。 ニューヨークも一緒です。

革命博物館。 革命広場。 カバーニャ要塞。 カテドラル。 ビエハ広場。 など、ヘミングウェイ博物館以外の、ベタな観光名所はひととおり散歩がてら立ち寄りました。 特に感銘を受けるところはなく、やっぱり、この国の観光すべきところは、人々の生活と路地裏と空気なのだと改めて実感しました。

実はこのキューバという国。 かつて25カ国以上の国を訪れた僕でも、非常に珍しいと感じ、とても大きなある魅力を持った国だということを途中で感じました。

そして、帰国してネットで調べてみて、やっぱりな、と感じます。

キューバは、世界の中でも稀に見る「人種差別のない国」でした。

これは世界の中でも賞賛に値する、とっても稀有な国民性です。 はっきり言っちゃうと「珍しい」。

様々な人種のまじった「混血」と呼ばれる人が国民の50%以上を占めるのだとか。 この国の歴史がそうさせた、のであることは間違いないのですが、いちいち自分を、自分たちを「ヨーロッパ系」とか「アフリカ系」とかジャンル分けしてらんない、ということなのでしょう。 どっちでもなくて、どっちでもある人たちが国民の半分もいるのだから。 そういった意味では「理想郷」と言えるかもしれないです。

そして1週間はあっと言う間に過ぎましたー(ホントにあっという間だったのかな。 ケータイに解放された日々は結構一日が長かったとも思えるけど)。

最終日、フェニーの作ってくれた朝ご飯を食べながら、この朝ご飯だって貴重なんだよな、、と初日の朝よりは美味しく感じられ。

民泊先としてはとても恵まれラッキーだったと思います。

ただ、買い物した荷物を5階のベランダから、太いロープを使って地上から引き上げるのを見て、住んでる本人たちも階段キツいって認識があるなら、最初からネットの情報の時点で、「5 floor , Walk up , No elevator 」と書いとけよ、と思わないでもなかったけど (キューバ紀行なのに、ついつい階段についてばっかり書いてスイマセンw)。

空港までは、フェニーのご主人がタクシーを呼んでくれました。 もちろん正規のタクシーではなく、ご主人の友達で個人的に商売をしてる感じのおっさんでした。

ターミナルは何番?と聞かれ、手元の資料を確認しようとすると「あ、USA行きか、じゃあ、2番だ、2番!」と答える前に納得していました。 「ホント? ちょっと待って、いま確認するから」と言うと「大丈夫、大丈夫! 何回空港まで客を運んだと思ってるんだ、毎日行ってる場所だぞ! アメリカ行きは2番だよ」と自信満々に満面の笑顔でウインクしてくるので、さすがプロだなと感心しているところ、空港でお金を受け取るところを見られると、摘発されちゃうから、事前に払ってくれないか、と言われチップ込みで多めに渡します。 すると機嫌をよくしたのか、空港までの40分、延々と(聞いてもない)身の上話をしてくれました

でも初日の運転手と違って、彼は英語が話せたので、それなりに60歳くらいのキューバのタクシー運転手の半生記を面白く聞きました。

自分は、実はエクアドルの出身であるということ。 そこでマリーン(海軍)のキャプテンまで上り詰めたということ。 知り合った後に奥さんになる女性がキューバ人であったということ。 キューバに移民して来たときには、すでに革命後であったということ。 経済制裁を気にするよりも、エクアドルの内戦状態がひどかったということ。 子供は娘が2人いて、ひとりはキューバで医者になり、ひとりはスペインに嫁いでいって、今年の夏に出産予定だということ。 孫が出来ることが神様からのスペシャルギフトとして、とてもとても幸せだということ。

よくもまぁ、知らないアジア人の一見の客にここまでの半生記を話してくれるなぁと感心しつつ(笑)。

おまえたちはどうして日本のような素晴らしい国を捨てて、アメリカみたいなクレージーな国に住んでるんだ? と本当に不思議そうな顔で聞かれました(笑)。

このオッチャンも含め、キューバ人は概してみなさん本当にいい人ばかりでした。

握手して別れ、空港に入ると、当然のオチのように空港スタッフに「USA行きはターミナル3番よ」と言われ、またそこからタクシーに乗り直すハメになりました。

このオッチャンのように、キューバ人は概してみなさんいい人で、それに輪をかけていい加減でした。

半袖、半ズボンのカリブ海から、4時間半—。 到着したニューヨークは吹雪で積もってました。

image by:Shutterstock

 

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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