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「反日・親中」で知られた米政界の大物が死去。日本への影響は?

去る26日、カーター大統領の補佐官を務めたことで知られるZ・ブレジンスキー氏が亡くなりました。死の直前までアメリカの政界において大きな影響力を持ち続けた、天才的な戦略家でもある同氏。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で世界情勢に詳しい北野幸伯さんが、ポーランド人として生まれたブレジンスキー氏の波乱に満ちた生涯を振り返りつつ、「反日・親中」を貫いた理由について考察しています。

アメリカ政界の黒幕ブレジンスキーの死

アメリカで、相次いで超大物が亡くなっています。3月20日、デヴィッド・ロックフェラーさんが、101歳で亡くなりました。そして、5月26日、今度はカーター大統領の補佐官を務めたブレジンスキーさんが亡くなりました

元米大統領補佐官、ブレジンスキー氏死去

読売新聞 5/27(土)13:57配信

 

【ワシントン=黒見周平】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)などは26日、米カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたズビグニュー・ブレジンスキー氏(89)が同日、バージニア州の病院で亡くなったと伝えた。

陰謀論の世界では、デヴィッド・ロックフェラーさんが主人公。そして、キッシンジャーさんとブレジンスキーさんが準主人公。

キッシンジャーさんは共和党、ブレジンスキーさんは民主党ですが、お二人とも公職を離れた後も、大きな影響力を持ち続けてきた。キッシンジャーさんは、トランプの外交顧問的立場。一方で、ブレジンスキーさんは、オバマさんの顧問的な立場にありました。

今回は、「陰謀論の準主役ブレジンスキーさんについて知っておきましょう。

ブレジンスキーさんの前半生

ブレジンスキーさんは1928年、ポーランドの首都ワルシャワで生まれました。名門貴族の家系です。お父さんのタデウシュさんは、外交官。1931年~35年、お父さんは、ドイツに赴任しました。もちろん、子ブレジンスキーさんも一緒です。ちょうど、ヒトラーが政権についた時期と重なっていた。要するに、幼かった(ドイツ時代3歳~7歳)ブレジンスキーさんは、「ヒトラーとナチスの台頭」を目撃することになったのです。少しは記憶に残っていたのでしょうか?

タデウシュさん、次の赴任先は、スターリンのソ連でした。赴任した頃、ソ連はスターリンによる大粛清の真っ最中。なんか、お父さんも子ブレジンスキーさんも大変です。

次の赴任先は、カナダでした(1938年)。翌年、ブレジンスキー一家を、大きな不幸が襲います。そう、ヒトラーが1939年、ポーランドに侵攻した。それで、ブレジンスキー一家は祖国に帰れなくなってしまった

1945年、第2次世界大戦は終わりました。しかし、ポーランドは、「共産国家」になってしまい、帰ることができない。ブレジンスキーさんは、こんな背景もあり、かなり反共でした。そして、多くのポーランド人同様、反ロシアです。

ブレジンスキーさんはカナダで育ちましたが、後ハーバード大学院に進みます。卒業後は、まずハーバード大学で教鞭をとり、後にコロンビア大学に移った。コロンビア大学教授として、彼の専門は、共産圏の政治・外交研究でした。

ブレジンスキーの飛躍

さて、「陰謀論」によく登場するブレジンスキーさん。どうしてそういう話になったのでしょうか?

最もよく登場するのは、「三極委員会」に関連して。「三極委員会」は、よく「陰謀論」に登場するのですね。デヴィッド・ロックフェラー回顧録に、「三極委員会」がらみでブレジンスキーさんが登場しています。引用してみましょう。

わたしが創設にひと役買った組織のなかで、最も大衆のきびしい目にさらされ、注目を集めたのが三極委員会だ。テレビ伝道者、パット・ロバートソンは、三極委員会が世界政府の樹立をたくらんでいると主張し、「邪悪なものの奥底から」生じた組織だと断言している。
(『ロックフェラー回顧録 下』デイヴィッド・ロックフェラー 著/新潮社)

設立当時から「陰謀論」があったのですね。そして、ロックフェラーさんは、三極委員会とブレジンスキーさんの関係について、詳細に書いています。

当時コロンビア大学で教鞭を取っていたズビグニュー・ブレジンスキーが、その年のビルダーバーグのゲストだったので、会談のためいっしょにベルギーを向かう機上で、わたしのアイデアについて話し合った。
(同上)

この部分に続いて、デヴィッド・ロックフェラーさんは、「ビルダー会議」の運営委員会に、「日本人をメンバーに加えるよう要請してきたが、断られ続けた事実を語っています。

ビルダー会議」というのは、主に欧米の超エリートが集結する会議。これもしばしば「陰謀論のネタ」になっています。

ズビグニューは、この拒絶をわたしのアイデアにじゅうぶんな根拠がある証拠と見なし、目標を追求するよう勧めてきた。
(同上)

デヴィッド・ロックフェラーさん自身の言葉からわかることはなんでしょうか?

三極委員会の前身「日米欧委員会」は、1973年に設立されました。ロックフェラーと共に「三極委員会」を立ち上げた。ここからブレジンスキーさんの快進撃が始まります。彼は、カーター大統領の時代(1977~1981年)に大統領補佐官を務めます。

彼が最も活躍したといわれるのは、1980年代末。ブレジンスキーさんは、同じくポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世、ポーランド民主化運動の指導者ワレサさんと連携。1989年の東欧民主化革命実現に大きく貢献したといわれています。

これで、祖国ポーランドは、ソ連から切り離された。そして、そのソ連は1991年末に崩壊しています。ブレジンスキーさんは、「復讐を果たした」と思ったことでしょう。

彼はその後も活躍を続け、一部では、「オバマを大統領にしたのはブレジンスキー」と言われています。

ブレジンスキーの日本観、中国観

ドイツから逃げ、アメリカの国務長官になったキッシンジャーさん。ポーランドから出て、アメリカ大統領補佐官になったブレジンスキーさん。公職を離れ、なお大きな影響力を保ったところも似ています。

アメリカ在住の国際政治学者・伊藤貫先生は、名著『中国の「核」が世界を制す』の中で、二人の共通点をあげています。何と二人とも、「親中国反日本」である(涙)。いくつか興味深いところを引用しておきましょう。

キッシンジャーと同様の親中外交論を主張してきたブレジンスキーは、「中国こそは、アジアにおける「アメリカの自然な同盟国」と言ってよい。アメリカの国防政策は、日本政府の行動の自由を拘束する役割を務めている。この地域で優越した地位にある中国こそ、アメリカの東アジア外交の基盤となる国だ。中国政府は、アメリカに挑戦することなど考えてもいない。
『中国の「核」が世界を制す』伊藤貫 著/PHP研究所

私たちからすると、「大丈夫かこの人?」という感じですね。しかし、この人がオバマさんをはじめ、歴代大統領に大きな影響を与えてきたことを、決して忘れてはいけないでしょう。

彼ら(=キッシンジャーとブレジンスキー 北野註)は、最近の米国で強くなってきた「中国脅威論」に対して、ムキになって反論している。
(同上)

二人とも自惚れの強いナルシストであり、中国人に徹底的におだてられ、利用されてきた。
(同上)

キッシンジャーとブレジンスキーはプライドの高いエゴイストであるから、他人の虚栄心を巧みに操る才能を持つ中国人にとって、操縦しやすいタイプの外国人である。二人とも中国政府首脳から反日PRをたっぷり吹き込まれ、米国に帰国してから、その反日PRをそっくりそのまま復唱している。彼らは自惚れの強い人物であるから、「私は中国共産党に利用されている」という自覚がまったくない。
(同上)

伊藤先生によると、キッシンジャーもブレジンスキーも「中共のプロパガンダマシーン』にされている」ということですね。恐ろしい。

ちなみに、この二人には、違いもあるそうです。

この二人には違いもある。ブレジンスキーは日本人を小馬鹿にしているが、日本人を憎悪してはいない。それに比べてキッシンジャーは、日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感抱いている。
(同上)

日本観が違うのですね。ブレジンスキーは、日本を「小馬鹿にしているが、憎悪してはいない」。キッシンジャーは、日本人に「敵意と嫌悪感を抱いている」。

日本を「小馬鹿にしていた」ブレジンスキーさんは亡くなりました。日本に敵意を持つキッシンジャーさんは、生きて、トランプの顧問として活躍(?)されています。

安倍総理は、トランプさんと頻繁に連絡をとり、キッシンジャー経由でトランプファミリーに流れてくる中国毒を中和する必要があるでしょう。

 

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【著者】 北野幸伯 【発行周期】 不定期

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