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なぜウルトラマンは今もなお世代を超えて愛され続けるのか?

今年で放送開始51年目となる「ウルトラマン」シリーズ。その魅力は世代の壁を越え、父から息子へ、場合によっては祖父から孫へと受け継がれています。今見ても古臭さを感じさせない魅力の秘密は一体どこにあるのでしょうか。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の著者・嶌信彦さんが、円谷プロの歴史をたどりながらその秘密に迫ります。

ウルトラマン50年の人気と秘密 ─円谷プロの特撮の努力と歴史─

怪獣映画「ゴジラ」は、今も多くのファンをもつ。当初は日本の街を歩きながら踏み潰す大怪獣だった。しかし第5作「三大怪獣 地球最大の決戦」で、ゴジラは人類の味方として戦ったため、単なる恐怖の対象ではなくなっていきエンターテインメントとして迎え入れられる。また時には正義のヒーローとして描かれたこともあって、時代とともにゴジラ像も変化しつつある。特に元巨人の松井秀喜選手がゴジラの愛称で呼ばれるようになり、ますます親しみをもたれるようになった。最近はシン・ゴジラが新作として公開され話題を呼んだ

このゴジラを1954年に世に送り出したのが、円谷プロダクションの特殊技術や特撮のノウハウをもったスタッフたちだった。人間(俳優)がゴジラなどの着ぐるみを身にまとい、実像の25分の1に作られた街や建物を巨大怪獣が踏み潰していくシーンが圧巻だった。時に大爆発が起こり街やビルが吹っ飛ばされるシーンもあるが、ゴジラのタイミングにあわせ爆破スイッチを入れるのが大変だったという。模型の街並みなので1回爆発させたら二度と使えないので、ゴジラの歩くシーンと爆発のタイミングを合わせるのは、まさに職人技を要したという。

1966年ウルトラマンがTV放映

その円谷プロが満を持して制作をスタートさせたのが、1966年の「ウルトラマン」だった。宇宙からやってくる怪獣から地球を防衛するという筋立てで、地球防衛のヒーローが、ウルトラマンなのだ。TBSで放映されると、またたく間に子供たちの人気シリーズとなり、以来途中に休止期間があったものの、昨年の2016年で50年を迎え、今もテレビ東京系で毎週放送されている。TBSの玄関にはウルトラマンの立像まで立てられているほどだ。

ウルトラマンはシリーズで放送され、たとえば1966年に「ウルトラQ」、66-67年「ウルトラマン」、67-68年「ウルトラセブン」、71-72年「帰ってきたウルトラマン」といった具合で、その後もウルトラマンA、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオ、ウルトラマン80などが次々と放映された。

90年代に入るとウルトラマンティガ(96-97年、この時からCGも導入)、ウルトラマン・ダイナ、ウルトラマン・ガイア、2000年代になるとウルトラマン・コスモス、ウルトラマン・ネクサス、ウルトラマン・マックス、ウルトラマン・メビウスなどと続き、ついにはウルトラマン列伝、新列伝なども放映された。

特撮の神様・円谷英二

円谷英二氏特撮の神様と呼ばれ薫陶をうけた職人たちが寝ずに頑張って特撮に工夫を重ねていった。着ぐるみのウルトラマンと怪獣が25分の1のセットで戦う映像をとるわけだから大変な現場だった。

怪獣の新しいデザイン作り、怪獣が暴れて壊すセットの作り直し、着ぐるみの猛暑の中で動き回る俳優さんの苦労、重さを表現するために当時流通し始めたばかりのウレタンを土の下に埋め込み、怪獣が歩くと一歩ごとに重みで地面が沈む仕掛けを作るなど、「特撮には絶えず工夫と勉強が必要で新しい技術や素材をいち早く使いこなす努力をした。現場はもう大変でしたね」と円谷プロでウルトラマンに長く関わった大岡新一・現円谷プロダクション社長は当時を振り返る。

大岡氏は主に特撮のカメラマンとしてウルトラマンにかかわってきたが、その後、制作部長などを経て2008年から社長となった。現物の25分の1の模型ミニチュアセットの現場で2m、10m、40mと変身したウルトラマンが怪獣と戦う実写を撮るわけだから並大抵の技では撮影できないし、そこに爆発シーンなどが入り、タイミングが合わないとすべてがムダになってしまうので、現場は真剣そのものだったという。まさに実写とミニチュアセットの組み合わせをいかにリアリティあふれる形で撮影するかが勝負だったのだ。

ウルトラマンたちの個性、経歴

ウルトラマンにはそれぞれの個性プロフィールがあり、それを意識することも重要だった。

たとえばウルトラマンは、身長40m、体重3万5,000トン、年齢2万歳、出身M78星雲・光の国、走行速度時速450km、飛行速度マッハ5、ジャンプ力500~800m、腕力10万トンタンカーを持ち上げる、といった具合だ。必殺技はスペシウム光線、ウルトラスラッシュなど。職業は宇宙大学教授、宇宙警備隊銀河系局長。家族は父が宇宙保安庁長官、母はウルトラ学校先生──といった具合で、ゾフィー、ウルトラセブン、ウルトラマンジャックなどもそれぞれ詳細な経歴、役割の設定と経歴があるのだ。

こうした個人履歴があることもリアリティを持たせ、子供たちの人気の背景となっているようだ。

ウルトラマンのTV制作には1本2,000~3,000万円、しかし局から出る支払いは数百万円程度で、結局良いものを作るため円谷プロが持ち出し負担となっていた。このため、円谷プロは何度か経営危機に陥っている。しかし、日本の誇る特撮技術には外国も敬意を表していたから手を抜くことができなかったのだ。

ただ、ウルトラマンは魅力的なキャラクター製品としての可能性がまだまだあることや、年間2,500件以上のライセンス商品が発売されることで維持されているのが実情だ。

アジアへの展開へ

大岡社長は「ウルトラマンのメインのファンは4~5歳から小学生だが、成年、大人になっても時代を超えたウルトラマンの哲学──正義があり、それが時代ごとに少しずつ正義の意味も変化してくるので、50~60代の人もファンとして残ってくれているし、正義について子供と語りあってくれているようだ。こうした哲学のようなものがなければ、ウルトラマンは消えていたかもしれない。今後はアジア市場にもっと展開していきたい」と語っている。

すでに、日本の生んだウルトラマンというキャラクターは欧米にも迎えられているが、今後はインバウンドの旅行客も増えているアジアがアニメとともに大きな市場ターゲットとなっていく可能性があるのだ。(TSR情報 2017年6月26日)

※ ブログにはTBS社屋にあるウルトラマン像とウルトラマングッズの画像を掲載しています。興味をお持ちの方は合わせて以下を参照ください。
→ 時代を読む

 

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ジャーナリスト。1942年生。慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、日銀、財界、ワシントン特派員等を経て1987年からフリー。TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務め、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」に27年間出演。現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」出演。近著にウズベキスタン抑留者のナボイ劇場建設秘話を描いたノンフィクション「伝説となった日本兵捕虜-ソ連四大劇場を建てた男たち-」を角川書店より発売。著書多数。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」 会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。

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【著者】 嶌信彦 【発行周期】 ほぼ 平日刊

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