同じ舞台で演じられる「能」と「狂言」ですが、その違いをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英学(はなぶさ がく)さんが、この二つの伝統芸能のそれぞれの特徴についてわかりやすく解説しています。
能と狂言
今回は能と狂言の違いについて簡単にご説明します。歌舞伎との比較も面白いですが、能と狂言のほうがそれぞれが対照的でわかりやすいと思います。そもそもこの二つの伝統芸能は同じ舞台で行われるものなのでその意味でも切っても切れないものなのです。明確な違いが分かれば興味も湧いてきますので、まずは基本的な違いを見ていきたいと思います。
能と狂言は、唐から伝わった散楽(さんがく)に由来する日本の伝統芸能です。能と狂言には、テーマや演出、せりふなどに、様々な違いがあります。能の主役を務めるシテには、最大流派の観世流のほか、金剛流、金春流、宝生流、喜多流の五大流派があります。一方、狂言は大蔵流と和泉流のニ派です。
能楽(能と狂言)の成り立ち
能楽は、奈良時代に唐から伝わった散楽という大衆向けの芸能が始まりです。散楽は演劇的要素を取り入れた猿楽能へと発展していきます。室町時代になると、観阿弥・世阿弥親子が室町幕府3代将軍・足利義満の支援を受け優美な能を完成させます。楽能に歌や舞、リズムを取り入れたのです。
やがて能と能の合間に、滑稽なせりふ劇の狂言が演じられるようになりました。現在も同じ舞台で能と狂言が交互に演じられるのはこのような経緯があったからです。能と狂言は、密接な関係を築きながら互いに発展し伝えられてきたのです。
歌謡や舞踊が中心の能
能は面をつけ「そうろう調」の言葉で演じられます。能を象徴する面は「おもて」と呼ばれ一見、無表情ですが、演者は能面の影の角度などで巧みに感情を表します。
能に登場するのは、主役の「シテ」と演技を引き出す脇役の「ワキ」、他にも「ツレ」などの役割があります。役柄はそれぞれ専門分野が決まっています。「シテ」が「ワキ」を演じるようなことはありません。主役の「シテ」は面をつけますが、「ワキ」は面をつけないので、初めて能を観る方でもどちらが主役なのかがすぐ分かります。
能は歴史上の人物や物語を題材にした悲劇の物語が多く扱われます。また能には、幽霊や亡霊、鬼がよく登場します。源氏物語の六条御息所の生霊が主人公の「葵上」など悲劇的なものが多いのが特徴です。
能に用いる装束や小道具は、京都の伝統工芸技術の粋を集めた豪華なものが多く、とても見応えがあります。能は幽玄美の世界を表現する古典芸能です。
セリフ中心・笑いの芸術・狂言
狂言は面をつけず、「ござる調」で演じられます。一方狂言は「笑いの芸術」とも言われています。庶民の日常生活を面白おかしく描く喜劇です。オチが分かっていてもつい笑ってしまうのが狂言の魅力です。
主役を「シテ」と呼ぶのは能と同じです。でも「シテ」の相手役は「アド」と呼びます。コミカルで底抜けに明るい「太郎冠者(たろうかじゃ)」などはとても有名な「シテ」役です。体を棒に縛られ、身動きが取りづらい状態で、何とか酒を飲もうとするしぐさが滑稽な「棒しばり」などは有名です。この「棒しぼり」は歌舞伎の演目にもありとても人気のお芝居です。この他にも太郎冠者が登場する話は面白いものばかりです。
狂言は能と違いほとんどの演目で素顔のまま舞台に立ちます。表情豊かな役者さんたちの表情も狂言の魅力の一つです。
能楽の舞台はヒノキで作られたもので、幕や装飾がなく、とても簡素な造りです。正面左側に橋掛りという渡り廊下があり、正面の鏡板にはたくましい松の木が描かれています。元々、野外に設置されていたものだったので、屋内の建物の内部にあっても屋根や渡り廊下が備え付けてあります。
歴史的に有名な現存する日本最古の能舞台は西本願寺で見ることができます。1591年、桃山時代の建築で国宝です。書院の北側に位置することから北能舞台と呼ばれています。残念ながら原則非公開なので、特別公開の期間を狙って是非ご覧になってみて下さい。
いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
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