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官邸と有識者会議が天皇陛下の「譲位」を4月30日に決めた理由

安倍首相は12月1日の会見で、天皇陛下の譲位を平成31年4月30日とする皇室会議の結論を明らかにしました。その日程を巡っては様々な議論がなされてきましたが、果たして天皇陛下のお気持ちに沿うものだったのでしょうか。メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙の社会部記者の新 恭さんが、保守派の論客や有識者会議メンバーの発言等を引きながら譲位の「決定プロセス」について検証、「天皇陛下の意思とはおそらく無関係に、政治的な波紋が広がってしまった」と結論づけています。

天皇陛下の譲位をめぐる官邸の無理解

官邸と宮内庁の不協和音はひとまずおさまった。2019年4月30日をもって天皇陛下は退位し翌5月1日に皇太子殿下が即位することに決着するようである。平成は終わり、昭和はますます遠くなる。

センチメンタルになっている場合ではない。口には出さないが、一代限りの特例法に、天皇陛下はご不満ではないだろうか。本意が生かされなかったという思いがおありではないだろうか。

学習院時代初等科のころから親交のある明石元紹氏は「この問題は、僕のときだけではなくて、将来を含めて譲位ができようにしてほしい」(文芸春秋2017年2月号)と陛下から直接、電話で心の内を打ち明けられている。

明石氏は「この国の将来を見据えた陛下の問題提起を蔑ろにしている」と、有識者会議や官邸の対応を訝った。

たしかに、憲法第4条には「天皇は国政に関する権能を有しない」とある。天皇陛下の思い通りに皇室典範を改正し、これから代々、譲位が可能になるようにするのは、政治にとっては好ましくないことかもしれない。

「陛下のお言葉からご意向を承って法律を作るということは、やはり実質的に憲法違反に限りなく近い」と、有識者会議のヒアリングで意見を述べた東大名誉教授・平川祐弘氏は指摘する。

しかし、今上天皇の下記のお気持ち表明を「国政に関する権能」とみるのは、いかがなものか。

2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。…天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。…憲法のもと、天皇は国政に関する権能を有しません。…象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

国政の権能を持たない陛下が、それを認識したうえで、国民に理解を求めた。率直なお気持ちを話されたのである。苦悩を吐露されたのである。

有識者会議は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という名称であった。まるで天皇陛下が公務を減らしてくれと悲鳴を上げたかのようなネーミングだ。そうではない。象徴天皇がどうあるべきかを深く考え、皇后とお二人で実践されてきた天皇陛下が、皇室のありようについて問題提起しているのだ。

しかし、平川氏や櫻井よしこ氏渡部昇一氏(故人)ら保守派の論客たちは公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないと主張した。

平川氏は産経新聞紙上で、こう述べている。

天皇が世襲制である以上、聡明な方もそうでない方も、体の強い方もそうでない方も出てくる。…自分の意思で譲位していいとなれば、自分の意思で位に就きたくないという人も出てきてしまうのではないか。天皇というのは「存在する」「祈る」「続く」ということが大事なんです。

国民に寄り添うなどと考えずに、ただ存在して皇室祭祀をしていればいいのだという。そうなのだろうか。

われわれが天皇皇后両陛下の姿に胸打たれるのは、お二人の佇まいの美しさゆえだろう。大災害が起きるたびに、被災地に足を運び、一人一人に向き合って腰を折り膝をついて話をされる。太平洋戦争の激戦地への「慰霊の旅」を続け、静かに祈りを捧げられる。

そのお姿からは、神話の時代の皇祖を祀る立場に置かれながらも、今を生きる人々のさまざまな声に耳を傾けていく天皇皇后両陛下の強い思いが伝わってくる。

戦後、明治憲法から現行憲法に変わり、「神」から「人間」になった父、裕仁さまを、子である明仁さまは複雑な思いで見つめていただろう。昭和天皇の時代に、日本は無謀な戦争を起こし、おびただしい犠牲を生んだ。戦争責任を免れた昭和天皇の背負ったものの重さははかりしれない

新しい天皇像をどのようしていくべきか。昔ながらのカリスマ性を求める右派思想の批判を浴び、もがき苦しみながらも、美智子皇后とともに、つくりあげたのが、誰彼なしに一人一人の心に寄り添う両陛下の風景だった。

政治の右傾化とともに天皇の存在を神格化し、さきの戦争を美化する右派言論人がはびこりつつある現状を今上天皇はどう思われているのか。さぞかし憂慮されていることだろう。

天皇陛下の少年時代、帝王学の進講をしたのは慶応義塾の塾長、小泉信三氏である。小泉氏の講義内容の下書きにこんなくだりがある。

新憲法によって天皇は政治に関与しないことになって居ります。何等の発言をなさらずとも、君主の人格その識見は自ずから国の政治によくも悪くも影響するのであり、殿下のご勉強、修養とは日本の明日の国運を左右するとご承知ありたし。

政治には関与しないが、自分のふるまいや発言、歩き方や目の配り方ひとつでも、国民に与える影響は大きい。それを肝に銘じつつ、象徴天皇としての理想を追い求め続けてこられたに違いない。

たしかに祭祀は明治以来、天皇の主宰する重要な儀式である。しかし、それだけでよいとは、あまりに人間性を無視した話ではないか。

天皇が祭司を担う祭祀は13あるが、そのなかで、古代から続いてきたものは新嘗祭だけだといわれる。あとは、明治維新にともない、古代の「祭政一致」に回帰するという理念のもとに増やされたのである。

皇族の担わねばならない宮中の儀式はあまりに多い。昨年8月、天皇陛下が「生前退位」のご意向をほのめかされたさい、次のように発言され、多くの人々が衝撃を受けた。

これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

皇室にとって、「殯」は同名の映画が描く芸術的空想の世界ではなく、現実そのものだ。「殯」をはじめとする多くの行事が皇室の方々にもたらす大きな負担。そこに思いをはせなければ、陛下の「お気持ち」は理解できないのではないか。

「殯」といっても、古代と現代のそれは違う。古代の「殯(モガリ)」について、民俗学者、和歌森太郎の著作集「古代の宗教と社会」に以下の記述がある。

死者を感情の上では断定的に死んだものとは認めきれずに、死屍を安置したところつまり喪屋で故人の遺族とか関係者が、当人がさながら生きていますかのごとくに接して、食事や歌舞を共にしたり、哭泣してよみがえりを切願したりする。それを連日連夜にわたってつまり通夜して行う。これがモガリである。

モガリは奈良時代の元明天皇の葬儀以降、実質的に廃止され、やがて、わずかに残っていた形式的モガリ儀礼も消滅した。

一度は終焉した古代の儀式「殯」が、明治天皇の葬儀で復活した背景には、維新政府の事情があった。16歳の明治天皇を押し立てて王政復古の大号令を発した維新勢力は「神武創業」をスローガンに、政権の正統性を主張した。

天皇が祭政一致で治世していた神武天皇の時代に戻るべきという後期水戸学や国学のイデオロギーをよりどころに、新政府は神道を国教化し、宮中祭祀を重んじ、神聖なる天皇を中心に国民を統合」しようと動き始めた。

こうした江戸末期から明治にはじまる新しい神話をいまだに信奉する人々が、いわば安倍政権の支持層の中核をなしている。

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」はもちろん官邸主導である。座長代理をつとめた東大名誉教授、御厨貴氏は述べる。

その立場から見えたのは、今回のプロセスを通じて、官邸と宮内庁が一貫して熾烈なたたかいを続けていた、ということでした。
(朝日新聞12月2日耕論)

つまり、天皇陛下の発言で政治が動くと受け取られないようにしたい官邸が、天皇と政権との間で苦慮する宮内庁の役人たちと対立する構図にあったということ
だ。

「生前退位」のお気持ち表明のときには、NHKに事前報道させて表明会見にこぎつけた宮内庁に安倍官邸が怒り、宮内庁長官の風岡典之氏は会見からわずか1ヶ月半後に事実上更迭された。

官邸側からは、退位を認めるけれども、退位に反対する一部保守派への配慮もあってか、やすやすとそこへ持っていくわけにはいかないという思いを強く感じました。
(御厨氏)

退位の日程をめぐっても、「18年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」を提案する官邸に対し、年末年始の宮中行事の多さから「19年3月31日退位、4月1日即位・改元」を主張する宮内庁との間で、なかなか折り合いがつかなかった。

両者のさや当てになっていたと私は思います。…元旦から新しい年号というのが分かりやすく自然でしょう。しかし、宮内庁が4月1日だといい、それを官邸側が5月1日に再びひっくり返したように見えます。改元の日はメーデーですよ。
(同)

官邸と宮内庁のバトルの結果が、19年5月1日の改元である。天皇陛下の意思とはおそらく無関係に、政治的な波紋が広がってしまった

有識者、専門家と呼ばれる一人一人には一定の見識があっても、政治家の利害やメンツ、役所の都合もからんで、意見集約として出てくる結論は半端である。新年度がスタートする4月1日の改元でいっこうに差し支えないと筆者は思うのだが…。

image by: 安倍晋三 - Home | Facebook

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