日本人医師の国際的な賞の受賞を、国内メディアがボツにした裏事情

 

この問題ですが、科学と感情論というイシューに一般化することができます。

日本特有の現象として、例えば遺伝子組み換え植物への(これは欧州も多少そうですが)頑固な忌避感情があります。よく考えれば、大昔から人類がやってきた、そして日本の場合は特に先進的であった交配による品種改良の場合も突然変異や生態系への撹乱という可能性はあるわけです。

ですが、交配というのは「目に見える」のですが、遺伝子操作というのは「目に見えない」一方で、「本来のありのままの自然を人間の作為で変化させている罪深い行為」だと感じてしまうわけです。それを言うのなら、交配でも同じなのですが、そこは身体的・感情的直感でOKということなのでしょう。

また原子力の平和利用にしても同じです。ブリーダー(高速増殖炉)の「もんじゅ」に関しては、それこそ東日本大震災の当時には「事故を起こしたら西日本が吹っ飛ぶ」などと言う風評に晒されて、廃炉に追い込まれましたが、今回は廃炉しようとすると危険だという報道が出ています。

ブリーダーは危険だから廃炉しろ、ブリーダーは廃炉も危険だとなると、一体どうすれば良いのか、とにかく人々の科学リテラシー不足につけ込んで、身体的・感情的な不安を煽ればビジネスになるのですから、やれやれとしか言いようがありません。

ちなみに、村中氏の受賞に関しては、産経などは報道しているようですが、それは「左派の感情論が破綻したというニュースは右派には心地良いからであって、それ以上でも以下でもないと思います。日本の右派が身体的・感情的な反応に対して自制的かと言うと、全くそんなことはないわけです。

身体的な感情論という問題は、とにかくこれを政治的、あるいはメディアの場合はビジネス目的で悪用しないことが最優先です。その上で、医学にしても、原子核物理、バイオテクノロジー、国際政治などについて、社会全体のリテラシーを高めることで、身体的感情論を全体として抑制して行くことが必要です。

そこで問題になってくるのが、その方法論です。身体的な感情論が走っているのに対して、理詰めの「正論」を一本調子に投げかけても、相手には伝わりません。まして、批判的に責めてしまうと、相手はそれこそ防御本能と名誉防衛の本能から全面的に反撃してきてしまいます。

だからと言って、相手の反応を「あれは身体的な反応であって、生物学的に対処するしかない」と断じてしまっては、今度は「それは人間を人間として扱っていない」ということで、やはり批判の対象になってしまいます。変化球作戦的に相手の身体的反応に寄り添いつつ誘導するということも考えられますが、それも政治的などの理由で反発を食らう場合には「アンチ・ヒューマニズム」だとか「世論操作印象操作無意識下の誘導だ」などと激しく反発されてしまいます。

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