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現実を帯びてきた日本の「9条改正」論議、与えられた選択肢は3つ

新たな年を迎え、日本国内では再び「憲法改正」についての議論が深まりつつあります。現時点では大きく分けて「安倍総理案」「自民党案」「立憲民主党案」の3つがあり、それぞれ異なる特徴をもっていますが、今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、アメリカ在住の作家で世界情勢にも精通する冷泉さんが、この3案の内容について詳述するとともに、「それぞれに大きな欠点がある」と指摘しています。

9条改正論の論点と可能性

年が明けたことで、憲法改正論議が少し動き出したようです。核心はやはり「9条」ですが、現時点では3つの方向性があるようです。

1つ目は、2017年5月に安倍総理が提案した「9条1項と2項は残し」、これに自衛隊を合憲化するという条項を加える「9条加憲案」というものです。

2つ目は、これに対して、自民党が依然として公式な改正案としているもので、自衛隊を国軍化するというものです。

3つ目は、立憲民主党の中で議論されているもので、9条をより詳しい条文に書き直し、立憲主義に基づいて専守防衛の自衛隊を再定義・合憲化するというものです。

私は、この3つはどれも一長一短があるように思います。

まず、9条加憲案ですが、簡単に言えば「日本は平和主義である『けれども』自衛隊は設けていい」というロジックです。例えば3項として「前2項は自衛隊の設置を妨げない」というような条文が検討されているようですが、これでは、自衛隊は、その「9条1項2項の精神に基づいて設置」された存在ではなく、9条の精神に「もしかしたら反するかもしれないが、許容されるもの」、つまりは「例外的な存在」として定義されることになります。

このような改正では、安倍総理の問題提起、つまり「危険覚悟で防衛や防災を任務としている自衛隊が違憲だと言われる現状からは全く改善されていないことになります。組織としての自衛隊も、個々の自衛隊員も、憲法から見れば「例外」という存在になるわけで、自衛隊と自衛隊員へのリスペクトは十分には感じられません。更に、「例外規定」としての「自衛隊合憲化」を行ってしまうと、憲法としての歯止めがなくなるという問題が生じます。

2点目の正規軍化ですが、これは「国のかたち」の変更になります。これをやってしまうと、もはや「平和主義」を国是とするという看板は降ろさなくてはなりませんし、周辺国には軍拡の口実を与えることになります。それ以前の問題として、こんな「改憲案」を国民投票にかけるような事態となれば、国論は二分して経済政策などが停滞する懸念があります。何よりも、国民投票での可決成立の可能性が薄く、従って、政治的には大ギャンブルになるでしょう。

3点目の「立憲主義に沿うように詳しく条文化」というのは、一見するとリベラルであり、平和主義的であり、筋が通っているように思えます。例えば、2013年民主党時代の枝野氏が提案した9条への加憲」というものがあり、3項として次のような長文を挿入するという案になっています。

(自衛権の行使とその要件)

第9条の2 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲内で、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。

2 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に重大かつ明白な影響を及ぼす場合においては、必要最小限の範囲内で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる。

3 内閣総理大臣は、前二項の自衛権に基づく実力行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する。

4 前項の組織の活動については、事前に、又は特に緊急を要する場合には事後直ちに、国会の承認を得なければならない。

(国連平和維持活動への参加協力)

第9条の3 我が国が加盟する普遍的国際機関(*1)によって実施され又は要請される国際的な平和及び安全の維持に必要な活動については、その正当かつ明確な意思決定に従い、かつ、国際法規に基づいて行われる場合に限り、これに参加し又は協力することができる。

2 前項の規定により、我が国が加盟する普遍的国際機関の要請を受けて国際的な平和及び安全の維持に必要な活動に協力する場合(*2)においては、その活動に対して急迫不正の武力攻撃がなされたときに限り、前条第一項及び第二項の規定の例により、その武力攻撃を排除するため必要最小限の自衛措置をとることができる。

3 第一項の活動への参加及び協力を実施するための組織については、前条第三項及び第四項の例による。

(*1)現状では国連のこと

(*2)多国籍軍やPKO等、国連軍創設以外の場合

とにかく、解釈改憲などが必要ないように、何でも書いておこうということです。そして「ちゃんと憲法に書いておいて、その通りにするのであれば立憲主義が機能する」という、ある意味では「憲法原理主義」のような考え方になっています。

この枝野式(あるいは山尾式なのかもしれませんが)ですが、2つ大きな問題点があると思います。まず、詳しく条文化するというアプローチの問題です。何よりも、日本国憲法について、「国のかたち」を定める機能から踏み込んで、非常に具体的な、例えば「ナントカ基本法」のレベルまで書き込むというのであれば、9条だけでなく全部を書き換えなくてはなりません。そうでなければ、全体の構成感を大きく損なうことになります。

また、具体的に書けば書くほど「再度の改憲への敷居を低くする」という問題が起きてきます。例えば、この2013年の私案では、「PKFはフル参加」で「有志連合参加時は正当防衛しかダメ」というような「歯止め」がセットされています。興味深い考え方ではあるのですが、こんな詳しいことまで憲法の条文にしてしまうと、国際情勢が変化したり、国内の政治力学が変化した場合に再改憲の可能性は高くなり、結果として憲法が非常に軟性になってしまう危険があります。

更に問題なのは、国連以外の集団安全保障を否定する考えが自動的にセットされているという点です。日米同盟については、左派の考え方としては「悪しき侵略戦争に巻き込まれる」という警戒感から「左のナショナリズム」による批判があるわけです。ですから、現時点では平和主義にもとづく中立を想定しているかもしれませんが、情勢の変化によっては「武装孤立」という大戦末期のような最悪の状況を作り出す危険性もあるということです。

そんなわけで、これらの3つのアプローチについては、いずれも、かなりの難点を抱えていると言わざるを得ません。

では、現在の「国のかたち」を守り、大きなトラブルの火種にならない範囲で自衛隊を合憲化するという場合、どの辺りが「叩き台」になるのでしょう?

昨年のこの欄でお話しした一つの可能性は以下のような条文案です。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、自衛隊を設置することができる。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

まず、憲法の機能ということで考えてみると、日本国憲法が施行されて以来、長年にわたって積み上げられてきた「国のかたちとしての平和主義」と「専守防衛」という理念は守られることになります。また、2項に「加筆」された自衛隊に関わる法令等が憲法判断を求められた場合には、1項を軸とした憲法判断が可能です。

この「平和を実現するための自衛隊」という表現です、それでは自己矛盾だという批判が出るかもしれません。ですが、自衛のための最低限の兵力は侵略の抑止力となりうるという考え方に立つのであれば、平和主義を維持するために自衛隊を設置するというのは、別に矛盾したことにはなりません。もしかしたら、「平和のための自衛隊」という考え方を名誉と考えるような自衛隊員・隊友、およびその家族には支持されるかもしれません。

ただ、問題はこの単純な条文では、解釈改憲、つまり「憲法の重要な部分が成文法になっておらず、解釈や判例による補完」がどうしても必要ということになります。だからこそ、芦田修正に加えて、専守防衛などの憲法解釈の積み上げに忠実であり、それがゆえに現時点での「国のかたち」は微動だにしないという長所もあるわけですが、一方で、そのために「解釈の変更で事実上の改憲が可能」だという短所は残ってしまいます。

これに加えて、もう一つ可能なアプローチとしては、現在の日本の事実上の軍事政策として「国のかたち」を影で支えている軽武装論というものを、9条と置き換える形で国の基本法にしてしまうという考え方もできるように思います。9条の改憲や加憲ではなく、9条を根本的な部分から構成し直すという考え方です。具体的には、以前このメルマガで議論したものとしては6点あります。

(1)自分の名誉を国益に優先させる軍閥を徹底的に警戒する。

(2)防衛行動だと自己満足できても、国際世論からは孤立するような愚策は一切取らない。

(3)国際法、国際機関の忠実な構成員であることを貫く。

(4)専守防衛であり、侵略意図を持たないことを過剰なまでに主張して、国際社会において出来得る限りの信頼を得る。

(5)最後の枢軸国として、恭順国家としての「国のかたち」そのものが無形の遺産として世界大戦の再発防止に貢献するようにする。

(6)核拡散、生物化学兵器の拡散といった大量殺戮兵器の問題に関しては、技術力を背景にした査察能力を含めて最高水準での世界貢献ができるようにする。

但し、この考え方を憲法の条文にするには、要素として大きく5つに整理する必要があるように思います。そこで今回再整理をしたのが以下です。

(a)徹底したシビリアン・コントロール。

(b)日本の「国のかたち」を国連=連合国の正統性に帰属させる。

(c)国連や多国間安全保障の枠組みからの脱退・孤立を防止。

(d)軽武装、すなわち侵略、先制攻撃の禁止。

(e)大量破壊兵器保持の禁止と、拡散防止のための国際貢献義務。

このうち(b)と(c)については、現行の日本国憲法では前文で表現している部分です。具体的には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」という部分です。この「平和を愛する諸国民」という部分ですが、自民党の政治家などはよく「お花畑のような発想で危険な文言」だなどと批判しますが、見当違いも甚だしいものがあります。

この「平和を愛する諸国民」というのは、連合国=戦勝側=国際連合のことです。それ以外の何者でもありません。ですから、「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」というのは、最後の枢軸国として連合国に完全に降伏し、その枢軸国としての「国体」を放棄するという意味なのです。

この前文に問題があるとすれば、正にこの部分であって、確かにこれでは戦後処理の一環という一過性のものと誤解を受ける可能性があるわけです。ですから、仮に主要な条文を改正し、その際に前文にも手を入れるのであれば、このような「戦後処理条項」的な文言の代わりに、できれば本文の条文の中に(b)や(c)の部分は入れておかねばなりません。

シビリアンコントロール、つまり文民統制ということですが、これは形式的に現役武官が意思決定に入らないようにするというだけでは足りないと思います。軍の名誉や功績を追求したいという利害によって国策が歪められてはならないということが本筋です。また仮に文民であっても、軍事的冒険主義を政争の具にさせない工夫も必要と思います。

いずれにしても、安倍案自民党案枝野案にはそれぞれに大きな欠点があるように思います。仮に、現状の延長で自衛隊を合憲化するというのが目的であれば、「前項の目的を達するため、自衛隊を設置することができる。」という素直な条文が叩き台になるでしょう。また、現状の「国のかたち」の理念をしっかり条文化するのであれば、「文民統制国連=連合国への帰属軽武装」ということを書き込む必要があると思います。

image by: Wikimedia Commons

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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