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「キレる老人」が増えているのは本当か? 精神科医が徹底解説

最近、社会問題にもなっている「キレる高齢者」の増加。マスコミの報道を目にする機会も多いのですが、本当にキレる高齢者の数は増えているのでしょうか? 今回のメルマガ「精神科医・西多昌規が明かすメンタルヘルスの深層」では、著者で精神科医の西多昌規さんが、精神科医の目線で詳しく分析。その行動から考えられる「認知症」の可能性についても言及しています。

キレる高齢者は本当に増えているのか?

キレる高齢者の増加は事実?

キレる高齢者が増えているという実感を持っているのは、わたしだけではないと思う。

ゴミの捨て方がもとのトラブルで、包丁を持ちだした殺人未遂など、殺人・傷害事件もよく聞くようになった。さらにショッキングなのは、電車に座っていた子供を邪魔だとばかりに蹴飛ばした、ガソリンスタンドでの割り込みを注意されて、腹いせに従業員を自動車で轢こうとしたなど、人間性を疑うようなレベルの低い不快な事件も報道された。凶悪事件とまではいかなくとも、電車や店舗、病院の中などで、「キレる高齢者」を実際に目にする機会は確実に増えているのではないだろうか。

日本は未曾有の高齢化社会である。人口における高齢者の割合が増えているのだから、高齢の犯罪者、あるいは攻撃的になり周囲に迷惑をかけるものが増えるのも当然だというのが、通常の考えであろう。

わたしの考えでは、「キレる高齢者」は、社会環境や心理・神経科学的変化など、いろいろな要因と結びついている。「キレる高齢者」の増加を、単なる高齢化のせいだけにするのは早計である。犯罪白書によれば第二次大戦後に少年犯罪が増加したとあるが、この粗暴な少年たちが現在高齢を迎えているという分析もある。

「好々爺」が増える社会が望ましいのだろうが、現代社会はそうはいかない。核家族化は既に確立されているので、老後は実際には一人ないし配偶者と二人での生活である。孫に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と癒やされるのも、年に1、2回しかない。運動機能の衰えから、行動範囲も狭まる。社会からの見捨てられ感が高まり、社会に対して攻撃的になったとしても不思議ではない。

社会のIT化と孤独

さらに近年のハイテク化個人情報保護傾向も、ますます高齢者の「見捨てられ感を強くしているのではないだろうか。

まだ高齢者ではない私ですら、数多くのパスワードが覚えられずイライラすることが本当に多い。役所や銀行でも手続きがあまりに煩雑過ぎかつ本人でなければ何も事が進まない。ネットが使えなければ電話と言うことになるが、たとえばコールセンターにかけても、オペレーターになかなかたどりつけず怒鳴りつけたくなる気持ちもわかる。まして現役時代に相応の社会的地位で活躍していた人ならば、誇りが傷つけられるのも無理はない。

年齢層によるIT・情報格差は数年前の比ではなく、世の中の流れについていけない高齢者は、すでにその段階で社会的な姥捨て」になっているともいえる。

ただ、脳神経の問題ももちろん忘れてはならない要因だ。脳は年齢に従って、大脳皮質の萎縮や脳血管の動脈硬化、ひどい場合は脳梗塞などによって機能が衰えていくものである。しかし、現代になって高齢者の脳の衰え方が変わったわけではない。変化しつつある現代の社会環境に対する脳の反応が、今は「キレる」という現象なのだろう。

年齢を経ると、人間の性格はどのように変化するのであろうか。理想的なのは、角が取れて人間が円くなり、いわゆる「好々爺」となるパターン。あるいは逆に、人格者が年齢とともに困った人になっていくこともある。ただ昔から高齢者の性格変化には、「性格の先鋭化」と呼ばれる現象がよく見られる。若い頃の性格特性が高齢になるにつれてますます目立ってくる現象だ。若い頃気が短かった人が、ますます短気になってくるのが良い例だろう。もちろん、「性格の先鋭化」、すべての高齢者に当てはまるわけではない

物忘れだけが症状ではない

ただ、この「性格変化」が、認知症のサインであることも少なくない。認知症の症状と言えば、物忘れや日時がわからなくなるなどの症状を思いつくが、そればかりではない。認知症には、アルツハイマー型認知症、脳血管型認知症などあるが、もっとも「自分の異常性」に気がつかない、あるいは病識がないタイプは、前頭側頭型認知症である。物忘れよりも、病識低下が主症状と言ってもよい。

たとえば前頭葉だけが萎縮する前頭側頭型認知症は、頭部MRIなどで前頭葉のはっきりした脳萎縮が確認されれば、診断が可能である。しかし前頭側頭型認知症ではないにせよ、「キレる高齢者」は、前頭葉機能が低下していると見なしてわたしは構わないと思う。一昔前ののんびりした時代ならば耐えられた前頭葉が、慌ただしい現代社会の動きに耐えられず、「キレる」という形で悲鳴を上げているのかもしれない。

しかし、ここで考えてほしい。かりに認知症の患者が「自分の異常性」に対する認識、つまり病識を持ち続けたならば、どんなに辛酸な老後になるだろうか。自分が少しずつ日常生活に必要な機能を失い続け、家族や他人に迷惑をかけていく。それは、子供の病気のように回復することは決してなく、自分らしさを失う恐怖と絶望があるのみである。認知症の人たちは、「自分の異常性に気がつかないことも余生を考える上でも非常に大切なことではないだろうか。

image by: Shutterstock

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精神科医の西多昌規です。一般書やブログ、SNSには書きづらい精神科医療とメンタルヘルスの裏の実情を紹介します。医学研究や医学部教育の問題点にも切り込みます。

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