近い将来、ロボットの活用が当たり前になる時代が来ると予測されていますが、「人間の仕事がロボットに奪われる」「人間社会を乗っ取られる」という少し物騒な予測をする識者もいます。そもそも、人間とロボットの違いは何なのでしょうか。無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』の著者で臨床心理にも詳しい薬剤師の小原一将さんが、哲学的視点で考察します。
ロボットの存在から見えてくる人間
ロボットが登場し、そのロボットに人間並みの頭脳が搭載されるかもしれないという現在では、逆にそれらの出来事によって人間とは何かが再考されているように感じる。
人間だけしかいない世界や、人間と動物だけが共存する世界ではあまりそういった議論は一般的ではなかったのかもしれない。ロボットという人間に匹敵する存在が現れたことによって「人間」とは何かということが取り上げられやすくなった。
たいていの場合、人間は創造力がありロボットにはそれがないといった話の展開になる。もしくは知識の集積や情報処理ではもうロボットにかなわないという話もよく聞く。つまり、ロボットはまだ人間ほどの思考はできないが、単純な作業であれば人間よりも優れているとなる。ここで私は疑問に思った。人間の方が偉いという前提?
私も含めてかなりの人数の人達が、ロボットはまだ人間に追い付いていないと考えているだろう。だがその考え方自体がおかしいように思える。人間がロボットより高次の存在であると定義づけられているわけではない。
このことに対して自分自身で考え直してみると、ロボットは今のところ感情や創造力といった部分がないと考えられているので、人間より下の存在であると無意識に思っていた可能性があることに気付いた。
これには自分でも驚いてしまった。なぜロボットが自分より下だという前提で物事を考えていたのだろうかと。
例えば私はうさぎを飼っていたが、うさぎが自分より下だと思ったことは一度もなかったと思う。上か下かという議論はなく、うさぎという存在を許容していた。他の動物にもそういった感情はないだろうし、植物などの他に生きている存在にもそういった気持ちにはならないだろう。
これは、そういった動物や植物に対して平等な意識をもっているという意味ではなく、そもそもそれらの存在が私たち人間を脅かすものではないという安心感があったからではないだろうかと考えた。
つまり、ロボットは人間と同等、もしくはそれ以上のスペックを有しているため、人間と同じ土俵に上がり、人間を凌駕してしまうという危機感が自分の中にあるのかもしれない。
「不気味の谷」現象のような、何か心の中でロボットを忌避するような感覚がもしかしたらあるのだろう。
私たちは対比の世界で生きている。男性がいるから女の子らしいという意味が分かり、お金持ちがいるから貧乏が嫌だという感情が芽生える。ロボットがかなりのレベルで人間に似通っている現在、人間とは何か?という問いをそれぞれが考える良い機会である。
動物には感情があり個性がある。ロボットには有機体にはない無限性と拡張性がある。では人間はどんな存在なのだろうか。それはもしかしたらこの先にやって来るロボットと共存する世界で分かってくるのかもしれない。個人的には一般家庭の中にロボットが入ってきて、永遠にこういった哲学的なテーマを語り合えたら面白いと思っている。