プーチン圧勝も、ロシア大統領4期目の予想以上に厳しい船出

 

これまでのプーチン

少しプーチンの過去を振り返ってみます。

1期目 2000年5月~04年5月

プーチンは1期目、90年代ロシアを牛耳っていた新興財閥の大物3人を征伐しました。

  1. ベレゾフスキー(クレムリンのゴッドファーザーと呼ばれた)
  2. グシンスキー(ロシアのメディア王)
  3. ホドルコフスキー(ロシアの石油王、ユコス元社長)

ベレゾフスキーは、イギリスに逃げ、グシンスキーは、イスラエルに逃げ、ホドルコフスキーは、シベリア送りになった。

1期目、プーチンは、早くもアメリカと対立しています。例えば、

  • プーチンは、イラク戦争に反対
  • ユコス事件(米エクソン・モービルとシェブロン・テキサコは、ロシアの石油最大手ユコスを買収しようとした。しかし、プーチンが介入し、これを阻止した)
  • 03年、旧ソ連国グルジア(現ジョージア)で革命が起こり「親米反ロシア」のサアカシビリが大統領になる
  • 04年、旧ソ連国ウクライナで革命が起こり、「親米反ロシア」のユーシェンコが大統領になる

2期目(04年5月~08年5月)

ロシア経済は、プーチンの1期2期、驚異的成長を果たしました、何と、年平均7%です。ロシアは、「イケイケ状態」になり、メドベージェフは、「ルーブルを世界通貨にする!!!」などと宣言していたものです。この好景気は、言うまでもなく「原油高」のおかげ(08年、原油はバレル140ドル台まで暴騰していた)。

プーチンは、2期目も引き続きアメリカと戦っていました

  • 05年、旧ソ連国キルギスで革命が起こる
  • プーチンは、中国と共に「上海協力機構」(SCO)を強化することで、「反米一極世界崩壊」を画策する
  • プーチンは、中国と組み、「ドル外し」の流れをつくる

2期目の終わり、ロシアでプーチンは、まさに「神のごとき存在」になっていました。

プーチン「首相」の時代(08年5月~12年5月)

08年5月、プーチンは、「1期4年」「連続2期まで」という憲法の規定に従い、引退(習近平とは違いますね…)。そして、メドベージェフが大統領になった。プーチンは、名目上のナンバー2である首相になりました。

08年8月、アメリカの傀儡国家グルジアとロシアの戦争があった。しかし、その後は「米ロ再起動時代」が始まり、両国関係は概して良好だったのです。ちなみに、メドは、憲法を改定。大統領任期は、4年から6年に延ばされています。

3期目(2012年5月~18年5月)

プーチンは、大統領に復帰すると、すぐアメリカとの戦いを再開しました。

  • 2013年8月~9月、オバマのシリア(アサド)攻撃を阻止
  • 2014年2月、ウクライナで革命が起こり、親ロシア・ヤヌコビッチ失脚
  • 2014年3月、クリミア併合
  • 2014年4月、ウクライナ内戦ぼっ発

ロシアは、ウクライナ東部「親ロシア派」を支援。ウクライナ新政府を支援する欧米と「代理戦争」になる。どうも「クリミア併合」は、欧米にとって、「越えてはならない一線」だったようです。これで、欧米日の対ロシア制裁」が始まった。制裁は今も続き、ますます強化され、ロシアをじわじわ窒息死させようとしています。

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