前回掲載した記事「なぜ生まれ育った国で「宗教」が決まるか。武田教授の「先入観」論」では、宗教が原因でさまざまな問題が世界中で起きている理由を「プロ野球ファン」にたとえてわかりやすく解説したメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の著者で中部大学教授の武田先生。今回は、私たちが「自分自身の考えだ」と思い込んでいる価値観の原点を考察しています。
私たちの「自分の考え」はどのようにして構築されたのか
人には「自分の考え」というのがあり、それが穏やかなら問題ないが、厳しく考えると喧嘩のもとになったり、ひどい時には離婚騒ぎにもなる。だから人生を送る上で「自分の考えとは何か」を十分知っておくことが大切だが、なかなかとっかかりがなくて論理的に考えている人は少ない。
そこで、第一回として「自分の考えは偶然に決まっていることが多い」という事実を、宗教とプロ野球を例にとって整理をした。つまり、ある宗教を固く信じていたり、熱烈な阪神ファンであっても、すべての宗教を比較検討してからある宗教を選んだのではなく、単に「小さいころ親に連れていかれた」ところが教会だったからキリスト教徒になったという程度である。
それが阪神ファンとかになるとさらに「たまたま関西に住んでいた」というだけが根拠の時もある。
それでは、人間が「自分の考え」と思っていることは実際、どういうものかを今回は少し科学的視点で考えてみたいと思う。
人間は大脳でものを考えるが、多くの動物は大脳が発達していないので、本能(遺伝子)の命ずる通りに行動する。本能は遺伝子、最近の言い方ではDNAと言ったほうがよいだろうけれど、親からもらった情報を頼りに生きる。たとえば、本能(遺伝子、DNA)が「あの動物は敵だ」と教えてくれると、敵として警戒し、時に攻撃する。その動物がいかに自分に親切にしても、頭脳では判断しないので、敵は敵である。
だから、時々、頭脳で判断する人間が「あんなに可愛がったのに」と飼っている動物にかまれてびっくりすることがあるが、相手は親から教えてもらった通りに行動しているに過ぎない。
つまり人間は「後天的に獲得した知識」で、親が与えてくれた遺伝的な情報を補正することができるし、新しいことにも対応できる。それが「人間の優れた点」であると普通には考えられている。
でも、もう一歩、深く考えてみる。
人間は赤ちゃんとして生まれ、少しの本能は持っているけれど、現実の生活に役立つ情報はまずは母親から、そして家族、近所の人、学校の先生、書籍などから得て、徐々に「判断力」が付いてくると思われている。でも、そこが問題なのだ。
それが正しいか、間違いか、の判断基準は「母からの教え」に左右される
赤ちゃんとして生まれた時に、すでに親から遺伝的に教えてもらったものは、夜になると寝るとか、お腹が減ったら食べる、辛ければ泣く・・・といったもので、人間的生活をするための情報のほとんどが生後に獲得したものだ。
まず、大脳に母親が教えてくれたことが入ったとする。それはまっさらな頭脳に書き込まれるから、かなり強烈で記憶の深いところに残る。だから、人間は母親の影響を強く受けるし、そのために母親は父親に対して3倍も多く言語を話すという特徴を持っている。そして、脳には母親の教えが入っているので、もし別のことが耳に入ると、まずは新しい別のことを排斥する。
当然である。つまり、母親が「こうしなさい」と教えるのは「正しい」。だから最初に頭に入るものは「正しいこと」として頭に入る。次の時に母親が「こうしなさい」と言ったこととは違うことが起こると、それが「正しいか間違っているか」を判断するのではなく、「母親に教えてもらったことと同じか、違うか」を考えるだけだ。つまり、「正しい、間違っている」ではなく、「同じか、違うか」という選択である。
このような状態がずっと続くので、人間の頭脳は最初に聞いたことが「正しい」と勘違いし、それと違うことを聞くと「間違っている」と思う。
ある程度成長すると、人間の頭脳にはいろいろな情報が入ってくるので、後天的に得られた情報そのものが矛盾してくる。そうなると、「どれが正しいか」を自分で考えるので、少し先入知識の影響が弱まる。でも、やはり考える筋道としては、まず「自分として何が正しいとしてきたか=最初に正しいとして聞いたこと」を考え、それをもとに「新しいことは正しいか」となるので、やはり本当に正しいというのではなく、先に何を聞いたかがポイントになる。
これは大学で工学部の学生に実験をさせるとよくわかる。初心者に実験をさせると、まず「これまでのデータと違うと困る」と思っている。本当は実験をするのだから、これまでと違うデータがでないと、もともと実験する意味がないが、そんな経験をしていないので、学生は前のデータが気になる。
さらにもう一つ学生が頑固になるのは、自分が出したデータと、その前に他人が出したデータが異なると、「自分のデータが正しい」と主張するのが常だ。私(教授)が「なんで君のデータが正しいのだ」と聞くと「自分のデータですから」という答えが返ってくる。もちろん、答えになっていないが、人は自分というものと正しいというものがリンクしている。(つづく)
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