県民を置いて逃げる訳にいかぬ。沖縄戦で自決した知事の感動秘話

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「李下に冠を正さず」の逆を行く為政者や彼らの顔色ばかりをうかがう役人…。もはや落ちるところまで落ちた観のある我が国ですが、かつては自らの命を懸けて「役人・指導者のあるべき姿の手本」を示した先人がいたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、1945年、死を覚悟して沖縄県知事の職を引き受け、米軍上陸後も島に残り、現在でも県民から敬慕され続けている島田叡(あきら)氏の知られざる功績を紹介しています。

戦前最後の沖縄県知事、島田叡

本日は知られざる感動の物語の一つとして、戦前最後の沖縄県知事をご紹介します。対談されたお二人の先生方が、もっと多くの日本人に知ってもらいたいと語る人物とは──。

本気・本腰・本物 岡田幹彦(日本政策研究センター主任研究員)×服部剛(横浜市立公立中学校教諭)

岡田 「まず私がもっと多くの日本人に知ってもらいたいと思っている一人が、『島守の神』として沖縄の人々から敬慕される戦前最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)ですね」

服部 「島田叡は立派な方ですね」

岡田 「島田は沖縄戦直前の昭和20年1月に43歳で沖縄に赴任し、文官にもかかわらず、県民と運命を共にして自決した立派な人です。ただ沖縄では有名でも、本土ではあまり知られていません。その島田が沖縄県知事になったきっかけが本当に立派なんです。これから沖縄は戦場になるということで、現職の知事が職務を放棄したため、急遽後任を決めることになりました。ところが「死にたくない」と皆断るんです。それで最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田にお鉢が回ってくるわけですが、彼は『私が行かないなら、誰かが行かなければならない。自分は死にたくないから他の誰かが行って死ねとは言えない』と、即座に知事を引き受ける決断をするんですね」

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