政府内の問題としては「一連の忖度事件」がそうですが、森友にしても加計にしても、「事件そのものの悪質度」は大したことはないと思います。それよりも、日本の社会は、特に日本の官僚制はそのような「3つの絶望」を抱えたものだということを「完全に既成事実」だと突きつけたばかりか、それを「ひっくり返せない」巨大な山のようなものだと見せたことが問題だと思います。
元国税庁長官にしても、元首相秘書官にしても、知力と胆力の限りを尽くして、この「3つの絶望」と戦っているわけです。その一生懸命さを見ていると、「安全なところ」から批判している野党やメディアは、非常に滑稽に見えるという人も出てきます。
更に言えば、そんな野党やメディアの方が「学歴も、資産も、収入も」いわゆる「持てる側」というイメージを持たれてしまっています。森友や加計の問題を批判すると、SNSの匿名の世界から「非国民」とか「反日」といった批判が飛んでくるのは、批判者にはどうにも理解できないし、承服できないでしょうが、その背景にはこの「3つの絶望」があると考えれば、少し認識をズラす事もできるのではないでしょうか。
いずれにしても、このような「3つの絶望」がどんどん組織を侵食する中で、様々な事象が起きています。
例えば、神戸製鋼や三菱マテリアルなどの品質偽装事件もそうですし、全国の学校で「いじめの事例」を教委に報告しずらいといった問題も、これに似ています。
問題は、経済成長が続いていた際には機能していた、日本的な組織の作り方や判断基準などが、現在は機能しなくなっていることです。
例えば終身雇用制が作り出す閉じたコミュニティと、先輩後輩カルチャーといった硬直した上下関係のために、リーダーに向かない人材を管理者に据えてしまうとか、リスクの取れないマネーしかない社会では、リスクの取れない経営をするしかないといった問題がそうです。
では、全く希望はないのかというとそうではありません。
例えば自動車産業などは、EV化とAV(自動運転)化、あるいはSAV(自動運転車のシャアリング」という産業そのものの激変を前にして、後ろを向いている余裕はありません。また、国内市場が完全にマイナーな存在になってしまった現在は、グローバルな世界で戦うしかないのです。
また製薬業界などもそうで、知財のマネジメント、そしてグローバルな資本のダイナミックな動きを前にした状況では戦うしかありません。
銀行業界は、巨大な「日本語での」「膨大な紙を使い」「膨大な時間の対面コミュニケーションを」要求するようなドメスティックな「事務仕事」を抱えていたのですが、ここへ来て「そんなカルチャーを抱えていては自滅するだけ」ということで、急速に「脱店舗」へと舵を切りつつあります。
とにかく、こうした産業などを中心として成功事例が積み上がる中から、この「3つの絶望」という「衰退を加速するだけの病」を駆逐しなくてはなりません。日大の事件や、忖度事件はそうした深層にある危機感に触れる問題であり、だからこそ大きな関心を集めているという部分もあるのではないかと思います。
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