先生が大好きな虫の分類という古い世界にも、コンピュータが与えた影響が大である。膨大に溜まったデータを処理をしているうちに、肝心の虫のことを考える暇もなくなってくる。そこで手段と目的という古い問題が浮上する。コンピュータは人の手段だったはずだが、どうもだんだん目的化してきている。
「ヒトなんて、古くさいアナログ機械は要らない。ヒトをコンピュータで置換すればいいじゃないか。その問題自体をコンピュータに任せようというので、シンギュラリティーなんて言葉すらできた。コンピュータが自分の能力以上のコンピュータを自分で開発するようになる。その時点でヒトは不要になる」
という解釈をして、「はて人生とは何なのだ。そういうことをあらためて考える時代になりましたなあ」と述懐される先生であった。「死とは何か、親しい人の死、専門的にいうところの二人称の死に決まっている。人が死を感じ、死が人を動かすのは、その場合だけである」とキッパリ。清々しいなあ。
先生の住む鎌倉でいちばん普通に見られる蝶は、アカボシゴマダラとツマグロヒョウモン、アゲハならナガサキアゲハ。わたしの高校時代生物部の頃には見られなかった、南方の蝶である。五月蠅いをウルサイと実感する人はもういない。ハエが減った、虫が減ったからだ。この自然の変化の真の意味に人類が気づくのは、ずっと先にことであろうという。なんだか深いことを言っている。
この本とは無関係だが、毎日正午前に必ず聞こえてくる妙な言葉遣いが気に障る。NHKの天気予報だ。なんとなく前原誠司っぽいアナが、「雨降るでしょう」「(低気圧が)発達をし……」と言う。必ず言う。「が」抜き「を」付けの人である。天下のNHKがこんなアホな日本語使いをずっと放置している。
編集長 柴田忠男
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