人気シェフが修行中に気づいた「のし上がる好機」と徹底準備

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「働き方見直し」が叫ばれパワハラが世間の耳を集める時代ですが、料理の世界は相撲界などと同じで、現在も徒弟制度が残っています。そんな厳しい環境の中で、一流にのし上がるのは簡単なことではありません。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では和食とイタリアンのトップ料理人による対談を通じ、お二人が修業時代に何をモットーとし、いかに周囲に認められてきたかを紹介しています。

人気イタリアンのシェフの仕事の流儀

山形の庄内に全国からその味を求めて訪問者がやまない地場イタリアンアル・ケッチァーノのオーナーシェフを務める奥田政行さんと、毎月一日で翌月分の予約が埋まる日本料理賛否両論を営む笠原将弘さんとの対談記事の一部をご紹介します。

超人気イタリアン「アル・ケッチャーノ」奥田政行の仕事の流儀

笠原 「両親が店にいたので、必然的に僕も店で過ごす時間が多くて、出入りする人たちから『おまえは跡取りだな』みたいなことを言われて育ちました。だから、いつかは親父の跡を継ぐのかな、みたいな思いはあったんです。ただ、母は『大学ぐらい出なさい』と言っていたので、中学の頃はそんなことも考えていたのですが、その母は僕が高校1年の時にがんで亡くなってしまいました。そうなると、勉強なんかする気もなくなって高校時代は毎日遊び狂っていたんです

で、いよいよリアルに進路を決める段階になって、たまたまテレビでパティシエのワールドカップみたいなドキュメンタリー番組をやっていたんですね。当時はサッカーも毎度ワールドカップは予選落ち、野球もメジャーリーグでそこまで活躍している人もいなくて、日本人って世界に通用しないんだと思っていました。

ところが、強かったんですよその日の丸をつけたパティシエの日本代表チームが

自分も手に職をつけて、世界で戦えるような料理人になろうと思って、父に話しましたら、『じゃあ、日本料理の修業をしてこい

それで東京の吉兆に入社しましたが、僕以外の同期はみんな調理師学校を出ていて、ズブの素人は自分だけ。だけど1か月くらい仕事をしたら全然問題ないなと思いました(笑)」

奥田 「私も高卒ですぐに現場に入りましたから、調理師学校卒には負けないぞ、と思っていました」

笠原 「もちろん、最初は僕だけ何もできませんから、大きな声で返事をすること掃除や鍋磨きをさせたら笠原が一番綺麗だぞと言われることを意識しました。

あと、買い物とか得意だったんですよ。小さい頃からおつかいを頼まれてきましたが、うちの親父は無駄や効率が悪いのをすごく嫌って、『商店街をこういう順番で行けば1回で済むだろう』とか、うるさかったんですよ(笑)。だから修業時代もそういうことを意識して、買い物に行っても最初に重いものを買うと大変だから、このルートで回ると一番効率がいいなとか、品切れの時はどの店に同じ物が置いてあるかを覚えておく。あとは、帰る前に電話を入れてこれから帰りますが追加はありますか?と確認する。

そうすると、先輩にあいつ気が利くなと思われるじゃないですか。

奥田 「私も全く同じで、休憩時間に鍋磨きを終わらせておくとか、ゴミ捨てに行ったら一番早く帰ってくるとか、まずは先輩から頼りにされる後輩になろうと思いました。頼りになれば、先輩がそばに置いておきたくなりますから」

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