『三国志』の中に登場する諸葛亮孔明と司馬懿仲達が火花を散らした「五丈原の戦い」という戦があります。その戦略がビジネスにも役立つとするのは無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』の著者で現役弁護士の谷原誠さん。彼らの攻防をどうビジネスに応用していくのか解説しています。
孔明と仲達
こんにちは。弁護士の谷原誠です。今回は、魏・呉・蜀の攻防を描く中国の歴史書で、数多くの文学、映画、漫画等で描かれ日本にもファンの多い『三国志』のお話から始めます。
蜀の初代皇帝、劉備玄徳の死後、指揮を執ったのが天才軍師、諸葛亮孔明。そのころ曹操率いる魏では、同じく戦略家として名高い司馬懿仲達が名をはせていました。この二人は、五丈原の戦いで相まみえることになります。
その五丈原の戦い、仲達率いる魏の大軍は、陣中からなかなか出ず、対決を引き延ばし膠着状態となります。孔明は勝負に出ない仲達に「あなたは男ではない」という意味で、女性物の衣服を送りつけるなど、たびたび挑発。仲達の部下たちはいきり立ち、「戦わせてください」と迫りますが、仲達は首を縦に振りません。
なぜ魏軍は陣中を離れなかったのか。それは、地形など客観的情勢を分析し、今の状態のままで攻め入れば、孔明の術中にはまってしまうと考えられたから。実際、孔明は策略を張り巡らし、あらゆる攻めに万全の体制を整えていました。
じりじりとした睨みあいの状態は100日を超えました。そこで情勢が一気に変わる出来事が起こります。なんと、孔明がかねての病と戦の疲労がたたり、陣中で亡くなったのです。指揮官を失った蜀軍は撤退。追い打ちをかける魏に対し敗走を繰り返すことになります。
孔明は自身の体の不調に気付いていたため、早く勝負を決めるために仲達に挑発を繰り返したのだとも考えられます。
なお、仲達はずるずる撤退する蜀軍に、逆に孔明が謀った策略を疑い、最後まで攻めきれなかったことから「死せる孔明生ける仲達を走らす」という故事も生まれますが、ともかく、仲達が攻め急がなかったことが、勝利を引き寄せたのは確かです。
このように、勝負事には常に攻め時、守り時があります。サッカーなどの球技や格闘技でも、相手の猛攻をしのぎ切った直後、情勢が一気に変わる光景をよく目にします。競技だけではなく芸術の世界でも、たとえば能の創始者、世阿弥は『風姿花伝』の中で「男時(おどき)」「女時(めどき)」という言葉で、荒々しく演技するときと、共演する相手の演技に逆らわず、受ける場面があると説いています。
私も弁護士として交渉や裁判をする際において、攻めるべき時、守るべき時の「バイオリズム」ともいえる力の流れを感じることがあります。こちらに悪い材料ばかりが出て、相手が勢いに乗って攻めてくる苦しい場面は多々あります。しかし、防御を固めて凌いでいるうち、相手からポロリとミスが出たり、こちらに有利な条件が出てきたりして、一瞬で流れが変わったりすることが多いのです。
最悪なのは、相手の攻めに我慢できず、こちらの態勢が整わないまま玉砕覚悟で突っ込んでしまうこと。「攻撃は最大の防御」という言葉もありますが、常に攻めなくてはいけないという気持ちは捨てるべきです。流れが相手にあるときは、無理に攻めず、しっかり守りを固めなければなりません。
経営でも人間関係でも、他者との関係で、自分が置かれた状況がどうしようもなく思えるほど悪くなることがあります。そんなときも投げやりにならず、時が来れば攻められるよう準備しながら、流れを見極めることが大切なのです。
今回は、ここまでです。
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