山菜採りで山の中を移動していると知らない女性に出会った。その人が、こっちの方が良い山菜がたくさんありますよと教えてくれた。山菜やキノコのあるスポットを、見ず知らずの人に教えるのは不自然である。普通ありえないが、いわれるままについていった。いつの間にか女性はいなくなって、結局15キロも離れた所まで行っていた。「あれは呼ばれたんでしょう」
山中の真夜中の現場に、別の現場から無線連絡が入る。「おい、子供がいるぞ!気をつけろよ、白い服を着た子供が歩いているから」。誰もが耳を疑う。現場は道もない山中。時刻は午前2時過ぎ、子供が歩いているわけがない。その現場に行くと、10人ほどの作業員が立ち尽くす。全員がその少女を見ていたのだ。
山怪を信じない人は、3タイプに分けられると著者は書く。山に入ることは生活の一部であるが、恐ろしいことが存在すると思ったら、とても一人で山に入ることは不可能である。だから、信じない、信じたくないという人。怖いとか恐ろしいなんて感じる者は臆病だと決めつける人。世の中に不思議などない!という人、理系の人に多い。取材主旨に対し小馬鹿にした態度をとる。
一方で何でも心霊方面に強引に持っていく人がいる。山怪の面白さは、パターン化された怪奇譚ではない。「話をしてくれた山人が曖昧模糊とした空間での経験として素直に語っているからこその質感に満ちている。誰かを怖がらせてやろうなどと少しも意識をしていないのだ。その無意識の語りこそが貴重なのである」。ものすごく能率の悪い取材のようだが、続編を期待する。
編集長 柴田忠男
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