失明の危機を乗り越えた作家・曽野綾子が見つけた「使命」

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文化庁長官も務め、先だって91歳で逝去された三浦朱門氏を最後まで自宅で看取った作家・曽野綾子さん。その過程のさまざまな葛藤や苦難を綴った著書『夫の後始末』は話題を呼びました。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、曽野さんへのインタビューを通じ、試練を乗り越えていく、むしろ辛さを楽しむ、そんな人生観を紹介しています。

曽野綾子流「人生が楽しくなる生き方」

23歳で文壇デビューを果たして、87歳のいまも精力的に創作活動を続ける作家・曽野綾子さん。その歩みは自分の思い通りにならないことであっても、決して下を向かない強さがありました。


 

──曽野先生がこれまでの人生で直面した最大の試練というのは何でしたか?

曽野 「それは40代の後半に失明しかけたことです。その頃、急に視力が落ちてきたのを感じて検査を受けたら、中心性網膜炎という病気に罹っていました。

目を酷使し過ぎたことと強いストレスが原因だと言われました。さらに白内障も患ってしまって。手術しようと思っても、どの眼科医も私の手術はすると言ってくださらないんですよ。『強度の近視だから視力が回復しないかもしれない。それにもし曽野さんが失明したら誰が手術したのか騒がれるから』って。

やっぱりその時が一番大変で、口述で小説を書く訓練も始めましたけど、何本か連載を休載しなければなりませんでした」

──それは辛いですね。

曽野 「そういう状況が半年くらい続いた時に、ある先生が手術を引き受けてくださったんです。50歳になる少し前のことでした。術後、麻酔が覚めて目を開けると、生まれて初めて3メートルくらい先に置いてある本の背表紙が裸眼で読めた。もう画期的に見えるようになって感動しました。

で、私その時に…この感謝を生涯どうやって捧げようかと思いました。だってどこの眼科に行っても断られたんですよ。もうちょっと様子を見ましょうとか、まだ見える目に手をつけちゃいけないとか。

それが手術をして目が治ったということは、続けてお書きなさいということだろうと思いました。いまでもそう思う時があるんです。たぶん、人間には誰しも、一刻一刻、周囲がその人にこれをしなさいと言っているものがあるんですよ。それを死ぬまで丹誠を込めてやるのが、私に与えられた使命だと思います」

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