死にたいとまで考えた落語家・柳家花緑を救った「自分の言葉」

chichi20181211
 

人間国宝でもある5代目柳家小さんの孫にして落語界の若手ホープ…、そんな人でも壁にぶつかることはあります。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、柳家花緑さん(落語家)と村上和雄さん(筑波大学名誉教授)の対談を通じ、花緑さんがどんな人生の危機に見舞われたのか、そして如何にして乗り切ることができたかが紹介されています。

小林正観さんに学び、落語に活かしたこと

戦後最年少の22歳で最高位の真打に昇進し、いまも落語界の先頭を走る若手の一人・柳家花緑さん。しかし、真打に昇進後は、周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうな日々が続いたと言います。

本日は、そんな花緑さんが30歳にして得た転機をご紹介します。さて、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

柳家花緑(落語家)×村上和雄(筑波大学名誉教授)

花緑 「真打になるとお客さんの期待も当然高まります。ところが噺を終えると、お客さんが落胆しているのが伝わってくることが分かるので、自分の不甲斐なさに落ち込みました。だんだん精神的にも不安定になって、落語家として人前に出る時にはカラ元気みたいに陽気でやっているけど、家に帰るとすぐ陰気になる。躁鬱病みたいにとにかくバランスが悪い。そうなると、もう死にたいという願望が先に立つわけですよ。25、6歳の頃は常にそういう精神状態でした」

村上 「その状況をどうやって乗り越えられたのですか」

花緑 「吹っ切れたのは30歳くらいになってからですね。それまで僕は師匠から教わった落語を一所懸命に演じていました

ところが師匠がやるとお客さんにウケても、僕がやっても全然ウケないわけです。師匠と同じ噺をやっていても、やっぱり間であったり、ものの言い方、いかに空気を読むかなど、使う言葉は同じでも芸というのは言葉だけじゃないことを身に沁みて感じました。

転機になったのは、同世代の先輩たちの高座を見に行った時でした。僕が驚いたのは、その先輩方が自分の言葉で自分らしい落語を演じていたんです。その姿を見て、『あぁ、これでいいんだ』と気づきました。それからですね、自分を変えていくことができたのは。そうすることで新たに離れていくお客さんもいましたけど、誰に何と言われようと、自分がやりたい高座をやり続けることで手応えを掴めるようになりました。

それから当時はスピリチュアルなものも含めてとにかくいろんな本を読みました。好奇心の赴くままに禅に関する本も読みましたし、村上先生の本のことは小林正観さんから聞きました

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