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【書評】おかしな司馬史観。乃木希典が愚将ではないこれだけの証拠

日露戦争での旅順攻囲戦や、明治天皇の後を慕って殉死したことでも知られる乃木希典。そんな乃木が「戦下手な愚将」と認識されがちなのは、司馬遼太郎氏の著作に原因があると指弾する書籍が話題となっています。その衝撃的な内容とは?今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で、編集長の柴田忠男さんがそんな一冊をレビューしています。

偏屈BOOK案内:桑原嶽『乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』

乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す
桑原嶽 著・PHP研究所

この本は司馬遼太郎の『坂の上の雲』『殉死に描かれた乃木像の誤りを正すべく、中央乃木会(乃木神社の崇敬会)の機関誌『洗心』に連載(1983~87)したものを私家本の体裁で発刊されたが、神社の社頭のみの販売だったため、知る人ぞ知る伝説の書であった。それが2冊分の厚みの新書として甦った。

日本国民一般が「乃木は精神主義だけの戦下手な愚将」という認識を叩き込まれ定着していったのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』による。まさしくわたしもその信者の一人であった。ところが、専門の軍事教育を受け、幾多の戦場を経験した陸軍の俊英で、砲兵のプロが、司馬作品の軍事的誤りを完膚なきまで次々と論破するに及んで、次第に司馬の表現の故意、悪意に不快を覚え始めた。

司馬による旅順攻防戦は、精神主義的な乃木と合理主義的な児玉源太郎という対比で鮮やかに描かれていた。乃木とその幕僚達は愚かな精神主義で多くの日本人の生命を無駄に失わせた、というのが司馬の描く無能な乃木像の核心だった。それが真実なのか、著者は多くの論点から鋭く再検証してみせた。

詩人乃木にしか過ぎず、という先入観の司馬は「乃木希典はおもに服装と容儀に関心をもちつづけた」などと杜撰な結論を下す。著者は「乃木は現役陸軍中将の最古参その人物識見経験から内外の衆望を一身に担って就任したのである。おそらく当時、何人もこの人事について異論を挟まなかったであろう」と断じる。結果論だけからすると、乃木は旅順要塞攻略の大殊勲者ではないか。

著者は司馬の小説を「歴史も何も知らぬ人が読めば、いかにも本当らしいが、まさに偏見独断無知そのものというほかはない」のだという。「(司馬は)いったい何を根拠として誤ったことを書くのか。およそ東西古今の歴史を無視した彼独特の珍説をのべているのは、ただ不可思議としか言いようがない」

「彼の勝手な空想である」「第一線指揮官と後方の上級指揮官との状況判断の次元の相違が、全然わかっていない」「戦術すなわちTACTICSなるものが全然わかっていない。歩兵なるものの本質がわかっていない」「旅順といえばガムシャラな肉弾攻撃だと思っている連中が多いことは全く困ったものである」。

司馬は第三軍の参謀長であった伊地知幸介少将をも馬鹿の標本のように徹底的にこきおろしている。歴史上、現在とは近くに実在した人物を、その係累が存在するのに、あまりの仕打ちである。「司馬氏はいかなる資料を基にして、『これほどおろかな、すくいがたいばかりに頑迷な作戦頭脳』などという暴言を吐くのであろうか」。司馬の乃木伊地知に対する罵倒は一線を越えた

「司馬氏の見解は、見当違いも甚だしいといわねばならぬ。いったい司馬氏は何を読んで書いているのかと問いたい」と書くが、ネタ元は判明している。谷中将の機密日露戦史』をもとに、当時の状況が司馬流の表現で面白おかしくあることないこと詳しく描かれている。まさに「講釈師、見てきたような嘘を言い」である。そんな与太が歴史の事実になってはならない。

司馬遼太郎は伊地知が参謀長という要職に任命されたのは、乃木が長州出身だから、人事のバランス上、薩摩の伊地知に決めたのだと説く。乃木が軍司令官になったのも、この大戦争に長州出身が一人もいないのはまずいという山県元帥の考えだと説く。一国の興亡をかけた大戦争で、そんな配慮があるもんか。

まあ、小説としてはいい案配なのだろう。児玉大将独壇場を描くために、他の連中は何をしていたのだと思わせるのが狙いなのだから。児玉が旅順に行って直接指揮をとったから203高地が落ちた、などという設定がいかに滑稽極まるものであるかは、冷静に戦史を読み客観的に戦闘の経過を分析すれば分かる。

これも谷中将の『機密日露戦史』をタネ本にしている弊害であるが、「筆者にいわせれば同戦史の理解不足としかいいようがない。司馬氏のような軍事にずぶの素人の文人が、これを理解するのはどだい無理な話であろう」。よって司馬の見解は「市井の床屋談義にひとしく、彼の戦術的無智と言わざるを得ない」。

司馬は第4巻のあとがきで「まず旅順のくだりを書くにあたって、多少乃木神話がわずらわしかった。それを信奉されているむきからさまざまなことを言ってこられたが、べつに肯綮にあたるようなこともなかったので、沈黙のままでいた」と書く。肯綮にあたる、とは「意見などが、ぴたりと要点をつく」という意味で、そうではないから放置したということだ。増上慢か逃げか

乃木愚将論に対しては少なからぬ反論があるが、司馬は一度たりともこれらの意見に対応していない公開の対談も拒否していた。著者は「見解の相違ではなく、あまりに多すぎる史実の誤りに、彼は資料を本当に読んでいるのか疑問を持つようになった」と書く。「小説が面白いのは結構なことだが、それが歴史の事実となってしまうと大変だ」と心配するが、既にそうなっているようだ。

「司馬氏が膨大な資料を集めながら、とうとうノモンハンについて1行も書けなかったのは、『坂の上の雲』を書いたあとの苦い後味が原因ではないだろうか」。NHKは大河ドラマに『坂の上の雲』の採用を再三希望したが、生前の司馬は拒み続けた。没後、2009年11月から2011年12月まで3年にわたりNHKがテレビドラマの特別番組を放送した。乃木、伊地知の扱いときたら、案の定……。

乃木は柄本明、伊地知は村田雄浩。この風采の上がらぬ、むしろダメな人物役に向いた見た目の二人を、一国の興亡をかけた大戦争の最重要人物に配するとはなんという悪意だ。高橋英樹の児玉源太郎のかっこよさといったら。架空の話なんだけどなあ。「第一回総攻撃の損害多発の原因は、乃木や伊地知の無能のためなどいう輩こそ、戦術戦史にまったく無知な人間という他はない」。

ステッセルも感服した火力集中をやったのは、総司令部から来た児玉である、というのは砲兵の知識がまったくない司馬の空想から生まれた作文だ。公刊日露戦史が児玉について一言も記述していないのは当然である。この本は厳しい実戦を何度も経験した軍人が、自らの体験に立脚して検証した「戦場の実相」を描いたものである。桑原嶽さんは大正8年生まれ、平成16年逝去。

編集長 柴田忠男

image by: beibaoke / Shutterstock.com

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