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長野県松本市のある高校で脈々と続いていた「カレーコンパ」秘話

どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、誰もがなんらかの思い出や思い入れ、さらには現在進行系のこだわりをもつ人もいるであろう「カレー」にまつわる思い出です。著者が通っていた松本の高校で続いていたという「カレーコンパ」とはどんな催しだったのでしょうか?著者によれば同じ市内でも他校ではなかった伝統で、全国の学校で同様の催しがあったのかは不明のようです。

カレーコンパの思い出

カレーは、昔も今も食卓の人気メニューである。それだけに、みなそれぞれにカレーについては、なつかしい思い出なり、思い入れみたいなもがあるに違いない。

ところで、私が昔々、通っていた松本のF高校校舎と校舎の間に小さな棟があり、そこには大きなかまどが並んでいた。果たして、二つだったか四つだったか、思いだせない。とにかくかまどがあった。ごはんを炊くかまどであり、大きな鍋でカレーを煮るかまどであった。

高校生だから、コンパといっても、酒をのんで宴会というわけにはいかない。われわれ高校生にとって、コンパとは、みなでワイワイいいながら飯を炊き、カレーを煮て、またワイワイいいながら、カレーをむさぼり食うことだった。

こういう習慣が、いつごろから行われていたのか、ひょっとして前身の旧制中学校時代のころからあったのか、当時の松本市内の高校全般に行われていたのか、はてまた全国的なものだったのかわからない。ほんとうは、私が通った高校だけのことかも知れないが、当時はなんとなくどこでもやっているものとも思っていた。

コンパは、クラスでやる場合もあるし、自分の属しているクラブでやる場合、あるいは出身中学校別の親睦会の場合もあるし、生徒会の役員の集まりなどの場合もあるなどさまざまだった。いろんな集まりでやるので、かまどと調理場は予約でいっぱいというかスケジュールの取り合いだったのだろう。

コンパのカレーは、とにかくうまくて楽しくて、その印象が強いせいか、薪は(もちろん燃料は薪)どう調達したのか、野菜や肉は買うとして米はどうしたのか、多分持ちよったのだと思うのだけれど、そこら辺の記憶は欠落している。煙にむせながら火吹竹を吹いたり、かまどのまわりで火の番したような気がするが、ここら辺もおぼろだ。

ところでコンパとなれば、ここぞというばかりに活躍するやつがいて、カレー作り、ごはん作りのそれこそ名人が、どこのクラスなどにもいたものである。あれから、半世紀以上も過ぎ、あのコンパの伝統は、果たして今も続いているのだろうか。あの校舎の間にあったかまどはどうなっただろうか。

母校の創立百年を記念して発行された分厚い記念誌には、このコンパのカレーについては記述はなかった。

20年以上前のことと思うが、母校の側を通ったのでその校舎と校舎の間をのぞいてみた。その時はまだかまどはあった。むろん当節のことガスに変わっていた。伝統は続いているのだと思った。

それで地元の、その当時のネットであるパソコン通信の掲示板にカレーコンパのことをアップしたとき、レスがあってコンパのしきたりはりっぱ(?)に継承されていて、ときにはコーラごはんやら、闇鍋もどきの悪ふざけもあったり…、という話だった。

このカレーコンパは、どうも松本界隈では母校だけで行われてきたもののようだ。また、全国でこういうことが行われていた学校があるかは知らない。

その後、年次はわからないが、校舎と校舎の中庭のエリアは整備されかまどなどがあった棟なども取り壊された。ということで長年続いてきたカレーコンパの風習も終焉を迎えたようである。かつてかまど棟があったあたり、整地舗装され文化祭等行事のイベントにも使われている。

image by: Fg2 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

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団塊の世代以上には懐かしい郷愁の食べものたちをこよなく愛おしむエッセイです。それは祭りや縁日のアセチレン灯の下で食べた綿飴・イカ焼き・ラムネ、学校給食や帰りの駄菓子屋で食べたクジ菓子などなど。

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【著者】 UNCLE TELL 【発行周期】 月刊

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