因みに、この「代用品」の最大公約数的表現として社会的に認知されたものが所謂「趣味」である。そういった趣味の一つとして一般的に知られるもの以外にも「代用品」はたくさんある。それこそ人の数だけあると言っても過言ではない。
衝動買いが他人の眼差しの「代用品」かもしれない。スウィーツのドカ食いがぬくもりの「代用品」かもしれない。セックスが愛の「代用品」かもしれない。敢えて言う。高級車も宇宙旅行もたかが何かの「代用品」に過ぎない。前にも言った通り、これには成功者・失敗者の別はない。酒が何かの「代用品」なら、高級酒か安酒の違いがあるくらいである。
こういった「代用品」の数々が、人間を幸福にするものなのかどうかは正直分からない。それでも眼前の不幸を吹き飛ばしたり、一時的に忘れさせたりするくらいの力はあるに違いない。それ故にこの「代用品」は趣味の域を超え、しばしば悪癖化するのである。
人は哀しい生き物なのであろう。それでも、いや、それだから「代用品」を求め続けるのである。改めて自分の周りの「代用品」を数えてみてもらいたい。その「代用品」の数々が何よりも雄弁に自分を物語っていはしないか。もしそうなら、一見哀しいこの逆説こそが人生の本質なのかもしれない。
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