MAG2 NEWS MENU

1週間で進化の系統を再現する「胎児の世界」が示す人間の可能性

メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』を発行するジャーナリストの高野孟さんは、「インテリジェンスを発揮させるためには、人間が進化の最終段階で獲得した言語機能や論理的思考のみでは不十分である」と、哲学者パスカルも忘れていた「進化の記憶」を再現する「胎児の世界」を自身のメルマガで紹介しています。そして、人間が心身ともに高みへと到達するためには、進化の歴史を忘れてはならないと指摘します。

自分の祖先は魚類や爬虫類だったことを思い起こさないと──インフォメーションとインテリジェンス《その4》

このシリーズの第1回で、インテリジェンスは直感力、想像力、論理力の三角形の中に宿ると述べ、第2回ではそれがポール・マクリーン『3つの脳の進化』の言う爬虫類的な反射脳、前期哺乳類的な情動脳、新哺乳類的な理性脳に照応しているのではないかと指摘した。 その3つの脳が本能、感情、理性を司って三位一体脳をなしているというのに、これまでの認識論は、新哺乳類的な理性脳である大脳新皮質の言語機能や論理的思考にばかり過大な期待を寄せて袋小路に入ってしまった、とマクリーンは言う。

さて、生物進化の長い歴史が重層的に埋め込まれているのは、脳だけではない。ヒトを含むすべての動物のからだには、30億年前にこの地球で生命が誕生して以来の進化の歴史が「生命記憶」として埋め込まれ受け継がれていると、三木成夫『胎児の世界』(中公新書、83年刊)は述べている。

●固体発生は系統発生を繰り返す

地質年代で言う始生代に多細胞動物の進化が始まり、原生代の海に原初の無脊椎動物が現れるが、それはホヤのようなもので、体軸は垂直で上に向かって口を開けた腸が尾の部分で海底に着地しているほとんど植物に近い姿をしている。

ところがそれが、波に揺られて口を開けて食物を待つだけでは飽き足らなくなり、横倒しになって海底から離れ、獲物に向かって泳ぎ寄っていくようになり、4億8000万年前の古生代シルリア紀に今のヤツメウナギのような最初の脊椎動物が誕生する。それが1億年かけて鰭と顎をもつ魚類に進化しさらにその一部は古生代終わり近くに両生類に変わる。次の中生代は恐竜≒爬虫類の時代で、その終わりに哺乳類が一挙主役に躍り出て新生代を迎えた……。 という、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類という系統発生の進化史の概略は誰でも知っているけれども、その痕跡が実は、我々1人1人が母親の胎内に宿ってすぐに成長し始めて10カ月後に誕生するまでの胎児の個体発生の過程に、ものの見事に再現されているという驚天動地の事実を説いたのが三木前掲書である。「胎児は、受胎の日から指折り数えて30日を過ぎてから僅か1週間で、あの1億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する」。 

受胎32日目、ということは母親が月経が来ないので妊娠したのかと気づく頃であるけれども、その時の胎児はアズキ大で、正面から見た顔は鰓(えら)を持つ魚である。2日後の34日目になると鼻や唇の形成が始まり、これが魚類から両生類への過渡なのだろう。さらに36日目には真横を向いていた瞳が正面を向くようになると共に、鼻が1つにまとまり、その上に脳が発達して前頭葉が顔にのしかかってくる。

38日目には鼻と両眼が真横に並び、その下の口もほぼ完成して、獅子舞の獅子頭そっくりの原始哺乳類の域に達する。そして40日目となると、これはもうヒトそのものである。

三木は「あとがき」で、この胎児の世界を公開することに躊躇いがあったと述懐している。「やはり人間社会には『見てはならぬもの』があろう。母胎の世界はその最も厳粛なものの1つである。……やはりそれは、永遠の神秘のかなたにそっとしまっておくというのが、洋の東西を超えた人情の常ではなかろうか」。と言いながら「しかし」と思い直して本書を上梓したのは「ユダヤ・キリスト教の人類至上主義(ヒューマニズム)に象徴される、あの根強い人間精神の存在……そうしてさらに、同じくいわゆる『左脳』の所産である自然科学が、ここでいう〔母なる海の〕『おもかげ』──直観の世界の排除にひたすら努め、そうした機械論に明け暮れてきたこと」への憂慮のためである。

古代の海がそのまま母親の羊水となり、その中で脊椎動物5億年の進化史がわずか1週間で再現されることを通じてしかヒトが生まれてこないことを知ることが、人間観・文明論の出発点でなければならない。

●運動論・身体論からのアプローチ

脳だけではなく、それを含む我々のからだそのものが魚類→両生類→爬虫類→哺乳類という系統発生の進化史を抱え込んでいる訳だが、それを自覚的に遡ることでヒトの運動能力極限まで開発することが可能であるとするのが、高岡英夫『究極の身体』(講談社α文庫、09年刊)である。序章「人間の身体はどこまで高められるのか?」の要旨はこうである。

● 人類は単細胞動物からずっと進化を繰り返し、今日の姿に至ったわけだが、その進化のルート上で経験したものは、その重要なものについてはすべて人間のDNAの中に保存されていると考えられている。そして私は、人間の「身体能力」というものも、構造上の制約があるためすべてではないにせよ、人類の祖先たちが経験した多くのものを内包していると考えている。

● 人類は最終的に「人間という形態」としての新しいDNAを持つに至った。その新しく持った人間らしい構造と機能によって、人間は広い意味での「身体文化」を創造してきた。たとえば日本舞踊やクラシックバレエは、安定的かつ直立的に屹立できるという人間のみが持っている能力がなければ成り立たないし、テニスも手がラケットを握ることができなければできない。同じようなことが、料理にも裁縫にも陶芸にも建築にも、他の一切の「文化」にも当てはまる。そういった「文化」というものは、人間の段階になって初めてできあがったもので、もっとも人間らしい運動機能によって生み出されたものなのだ。

● そして「文化」は広がり、「高度化」していく。この文化の高度化というものは、個人の段階で見ると「上達」という言葉で表現できると思う。「上達」はある段階までは人間らしい身体構造・機能によって担われる。しかし、そこからさらに上の段階になると、人体の中に温存されてきた過去の遺産、つまり魚類や四足動物から伝承されてきたDNA情報や身体構造、あるいは潜在的な機能というものを、進化の流れとは逆に、発掘し直していく作業が必要になるのだ。

● 「四足動物」からさらにさかのぼって、爬虫類、さらにはその先の魚類の構造・機能まで開発すれば、不世出と呼ばれるような選手になれるはずだ……。

内なる自然への回帰である。「人間は、自然のうちで最も弱い1本の葦すぎない。しかしそれは考える葦である」とパスカルが言ったのはとんでもない間違いで、内なる動物性を捨て去って最も弱い葦に成り下がったこと自体を問題視せずに、それを論理的思考能力の優位性でカバーできると思い込んだのである。

新哺乳類的な理性脳である大脳新皮質の言語機能や論理的思考は確かに人間が人間であることの証ではあるけれども、それにばかり頼って、実はそれが爬虫類的な反射脳や前期哺乳類的な情動脳と連動することで初めて成り立っていることを忘れてしまうと問題が発生する。 脳だけではなく身体の全体も同じで、二本足歩行は間違いなく人間であることの証であるが、それによって四足歩行や爬虫類や魚類の時代に持っていた背骨のうねりによる優れた運動の能力を失ったことに気づかないと、本来持ち合わせているはずの力を発揮できない

image by: Shutterstock.com

高野孟この著者の記事一覧

早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料お試し登録はこちらから  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 高野孟のTHE JOURNAL 』

【著者】 高野孟 【月額】 初月無料!月額880円(税込) 【発行周期】 毎週月曜日

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け