偉人たちでも“未知”な「50歳からの人生」をどう生きれば?
ところがここに大きな問題がある。 人類が誕生してから今まで、つまりわずか70年ほど前まで、人類は「0歳から50歳までの人生の経験」しかもっていなかったのだ。だから、私たちは生まれてから50歳までの人生を詳細に描画することができる。生まれて10歳まで子供の時代を過ごし、親のもとで元気に成長する。10歳ぐらいになると物心がつき、勉強や運動もしなければならない。思春期にもなり、悩みも深刻になる。
そして20歳で一応の大人として体と心、それに常識もついて社会にでる。若い時代を一所懸命に生き、悩み、結婚し、子供ができ、育て、心配事と夢の中を行き来しながらの必死な人生の期間を超えていく。
40歳になると子供もある程度の年齢になり、分別もつき、徐々に自分から離れていく。でも、家も買わなければならないし、ローンもある。子供の交友関係や職場での問題にも翻弄される時期である。それでも50歳になると、すべてが一段落して、人生の終わりが見えてくるものだ。
自分が若いころ、まだ経験もないのに、自分の人生に何が待っているのか、どういう困難があるのか、ほとんどわかっているのは周囲の大人を見たり、小説を読んだり、お釈迦様の教えを勉強したりするからだ。先人の人生の行動、栄華、悩みは膨大な人間の記録として私たちに提供されている。
ところが、50歳になると、何が見えるだろうか? 自分や家族の定年のことをまず考える。それまで可もなく不可もなく商売やサラリーマン生活を送り、できれば65歳ぐらいまでは働きたい。それから15年たつと平均年齢になるので、そのぐらいを考えておけばよいだろう。でも、一方では国が「健康寿命」というのを発表していて元気で自分一人で生きることができるのは70歳ちょっとという。そうなると、あと5年しかないではないか!
病気がちで人の助けを受けながら10年も生きるのか?それも新しいことも夢もなく、ただ、死ぬのを待つだけの時間なのだろうか?それに年金も気になる。貯金も少しはあるが、なにしろ銀行の定期預金など利子はないようなものだ。自分がいつ死ぬかわかれば、それでも計画的に余生を送ることができるが、もしかすると80歳でうまく死ぬことができず、100歳になってしまうかもしれない。
image by: Shutterstock.com