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池田小無差別殺傷事件の遺族が記す「生きろ」というメッセージ

平成13年、大阪教育大学附属池田小学校で発生した児童殺傷事件。犠牲者のひとりに、当時小学2年の女子児童がいました。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、事件で我が子を失った本郷由美子さんが、自分の中で一旦は消滅した「生きる意味」を取り戻すことができた体験を記しています。

附属池田小事件で逝った愛娘とともに

最近刊行された月刊『致知』の中で、非常に大きな反響を呼んだのが、『致知』7月号に掲載された本郷由美子さんの記事です。

いまから18年前、平和な学校に押し入った一人の男の凶行により、8人もの児童の命が奪われました。附属池田小事件です。この事件で7歳の愛娘を失った本郷さんはいま、さまざまな喪失体験に苦しむ人々を支える活動に邁進しています。

一時は死を思い詰めるほどの絶望の淵から、本郷さんはいかにして新たな運命を開いてきたのか。『致知』7月号の記事の一部をお届けします。

ラジオから飛び込んできた声

「大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男が乱入。低学年の児童が多数刺された模様です……」

近所のお店で買い物を済ませて車に戻り、エンジンをかけた途端、異様にテンションの高いアナウンサーの声が、カーラジオから耳に飛び込んできました。

えっ、大阪教育大附属?まさか優希の学校じゃないわよね……。

運転席の私の胸に、黒い染みのように不安が広がっていきます。

付近に響き渡るパトカーのサイレン、ヘリコプターの操縦音。ラジオから繰り返されるアナウンスに、同校2年に在籍する長女の身の回りで、何かとんでもない事件が起きたことを確信した私は、学校へハンドルを切り、一直線に車を走らせました。付近には既に人だかりが見え、正門前には婦人警官が立っています。

優希、どうか無事でいて!

祈るような気持ちで門を抜けると、私は校舎へ向かって全速力で走りました。その視線の先に、倒れて動かない子供の姿が小さく映った気がした刹那、雪崩を打ったように負傷した児童たちが校庭に運び出されてきて、私は茫然とその場に立ちつくしました。

飛び交う悲鳴、鳴り響く救急車のサイレン、慌ただしく走り回る先生、警察、救護の方々?辺りはまるで戦場のようでした。

「優希が、優希がいない!」

自分の子供の無事を確認できたお母さんにも手伝ってもらい、校庭に避難してきた児童の間を血眼になって捜し回りましたが、娘の姿は一向に見当たりません。心臓は早鐘のように鳴り続けています。

仕事先から駆けつけた主人が、優希が負傷したらしいことを同じクラスの男の子たちから聞いたものの、学校は大混乱で、いま、どこでどうしているのかも掴めません。

優希が病院へ搬送されたのを知ったのは学校に駆けつけて一時間も経過してからでした。崩れ落ちそうになる体を周りの方に支えられ、私は救急車に乗り込んで病院へ急行しました。

個室で医師からの呼び出しを受けるまでの時間を、どれほど長く感じたことでしょう。ようやく通された処置室には、僅か5時間前に笑顔で登校して行った優希が、既に事切れ、静かに横たわっていました……。

病院の皆さんのおかげで、優希の体は深い傷を負ったとは思えないほど綺麗になっていました。その顔は微笑んでいるようにさえ見えます。

私は主人と二人で優希に語りかけながら、まだ微かに温かみの残るその体を、何度も何度も擦ってやりました。乱れた髪を手ぐしで整えると手が赤く染まったので、看護師さんに入浴剤をお借りして血糊を丁寧に洗い流してあげました。

司法解剖が行われるため、せっかくの親子の対面も僅か数時間で切り上げなければなりませんでした。

再び優希と対面し、一緒に報道陣の押しかける自宅へ帰ってきた頃、辺りは既に真っ暗になっていました。

平成13年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に押し入った一人の男の凶行により優希たち児童8人の尊い命は嵐のように奪い去られたのです。

69歩からは一緒に手を繋いで

あの事件の最中、現場にいたのはほとんど子供たちばかりだったために事件の詳細はなかなか明らかになりませんでした。我が子がどこで倒れたのかも分からず、もどかしさを募らせる私たち遺族は、学校や警察の協力を仰ぎながら毎晩のように報告会を開き事実を解明していきました

その結果、体に負った傷の深さから間違いなく即死だと思われていた優希が、最後の力を振り絞って廊下を歩いていたことが分かったのです。

それを知った時のショックは、とても言葉では言い表せません。誰も助けの来ない場所でたった一人、途轍もない苦痛と恐怖と絶望の中で最期を迎えた娘の心中を思うと、身悶えするほど胸が痛みました。

その廊下には、優希の流した血が黒く変色し、大きな血だまりとなって染みついていました。主人と一緒に頬ずりをし、手で擦り続けるうち、その床板が優希そのもののように思えてきました。

襲われた場所から教室を出て、倒れた場所まで血痕を辿ると、私の歩幅で68歩。事件当初からずっと私たちの気持ちに寄り添ってくださっていた刑事さんも、「あれほどの深手を負いながらここまで歩くとは何という生命力でしょう」と驚かれていました。

以来その廊下は、私たちにとってかけがえのない聖域になりました。事件から守ることはできなかったけれど、優希が頑張ったこの廊下だけは何としても守りたい。先生方にお願いして周囲を机で囲み、私たちは何度も何度もその廊下に通いました。優希が最後にどんな思いでそこを歩いたのか。何でもいいから知りたい何かを感じ取りたい。そう願ったのです。

最初は苦しむ優希の顔しか浮かびませんでした。けれどもその68歩を辿り続けてひと月経った頃笑顔で走って来る優希が見えてきたのです。

「よく頑張ったね、優希……」

胸に飛び込んできた小さな体を、私は思い切り抱き締めました。

実は廊下に通い始めた頃私はそこで命を絶とうと思っていました。「優希、お母さんは苦しくて、苦しくて、とても生きていられないわ」と心の中で訴えかけ、優希と同じように傷を負って、同じように歩いて、ここで死にたいと密かに思っていたのです。

優希はそんな弱い母親に、「お母さん命ってこんなに素晴らしいものなのよだから与えられた命を精いっぱい生きてね」とメッセージをくれたのです。真っ暗な私の心に、ふっと光の点る思いがしました。

それまでは優希を殺めた犯人を、心の底から憎んでいました。極刑を求めて署名運動もしました。私はほとんど人を憎んだことのない人間でしたが、そこで自分の心は崩れてしまったもう元の心は取り戻せないんだと思うと、そういう自分が嫌で仕方がありませんでした。

でもその光に出会ってそれって変えられるよねと思うことができたのです。憎しみや悲しみからは何も生まれないし、自分をどんどん苦しみに追いやってしまうだけ。そういう破壊的な思いを生み出しているのは自分の心なのだから、生きる力とか希望といった建設的な思いにも変えることができるかもしれない。

私が誰かを恨んだり憎んだりしていて、優希の魂が救われるはずはありません。私が鬼のような顔をしていたら、心の中の娘も鬼のような顔をするし、泣いていたら娘も泣いている。そうだ、私が笑顔になれば優希も笑顔になるし、私が癒やされることで、優希も癒やされるのだと気づいたのです。

辛い、辛い68歩だけれど、そこから学んだことを何かに繋げられるかもしれない。学んだことを伝えていくことで失われた命を未来に繋ぐことができるかもしれない。68歩までは優希が一人で頑張った。69歩からは私も一緒に手を繋いで歩かせてください。そう神様にお願いして、私は再び生きていこうと心に決めたのです。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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