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疑似体験が進化しても、切り傷と火傷の痛さと熱さはわからない件

人類だけが文明を持ち得たのは、知識を教育という形で次世代へ伝えることができたからと考えるのは、メルマガ『8人ばなし』の著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、人間以外の動物はできたとしても経験から学ぶだけなのに対し、人間はいまや疑似体験により経験していないことまで経験したかのように「わかる」域に到達していることを指摘。ところが、切り傷と火傷の痛さと熱さは実体験でしか「わからない」ということの皮肉の可笑しみを綴っています。

切り傷と火傷のこと

人間は地球上で唯一、文明というものを持ち得た生き物である。それは人間が唯一、知識を蓄えることができたからであり、さらにまたその知識を教育という形で効率よく次世代へ伝えることができたからである。

例えば、物を食べるということ1つを取ってみても、最初は食用不可の食材でもそのうちに調理法が確立し、安全においしく食べられるようになる。今、我々が安心してフグを食べることができるのは自分の経験からではなく、先人達から伝えられた知識あってこそである。

当たり前のようだが、これが如何に特異なことかは他の動物を見れば分かる。例えば、海辺に住む猿の中には、海水の塩分で味付けをしてサツマイモを食べる群れがあると聞く。しかし、何世代を経てもやはりそのままで、今後どれだけ待ってみてもフライパンやオリーブオイルを持ち出す猿は絶対に現れない。彼らは真似てみるという経験からしか学べないのである。

一方、人間は先人の経験の蓄積である知識の中から適宜その状況に相応しいものを選んだり組み合わせたりしては擬似的に自分の経験として利用する。言うまでもなく、この方が遙かに効率的である。その上、知識は常に更新されているから、理論上この効率はますます良くなっていく筈である。これをビスマルク風に言えば「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」となるのかもしれない。

とは言え、横並びの愚者として経験しなければできないこともある。車の運転などがそうである。しかしこれも、例えば「オートマチック限定免許」の登場によって経験習得すべきことは昔に比べて随分と軽減したように思う。今後、一部自動運転や完全自動運転のテクノロジーが確立すれば、車に関してはいよいよ経験習得すべきことはなくなって行くであろう。

これだけではない。拡張現実や仮想現実といった技術に人工知能を組み合わせれば、安全な自室内でほとんどの擬似体験ができるようになる。よく「何事も経験」などと言うが、実際経験しない方がよいことなどこの世には山ほどもあるから、これは歓迎していいことである。しかも余程際どい経験も安全にできるから、君子であってもこれを大いに利用できる。これから基礎体力が降って行くばかりの自分としては正直非常に楽しみである。

ここで少しばかり話を換えるが、自分には知り合いになった人に必ずする質問がある。それは「今までに刃物で手や指を切ったことがあるか」という質問と「今までにやけどをしたことがあるか」という2つの質問である。状況的に差し障りがありそうな場合を除いて高校1年の時からずっと続けている質問なのだが、答えは両方とも「yes」が100パーセントである。どんなお嬢様でも、どんな乱暴者でも変わらずにである。

極めて私的なリサーチの結果だから何の役に立つ訳でもないが、この事実には何だか気持ちをほっとさせるようなおかしさを感じるのである。おそらく我々人類の祖先が他の動物種と明らかにその進化の行方を分かつべく最初に手にした利器が刃物と火であったろう。

その、人類を人類たらしめた2つの利器にはどれだけ進化を重ねても、痛さと熱さを以て知る他ないという皮肉がこの上もないユーモアに思えてならないのである。どんなにVRやARの世の中になってもこのことだけは何故か変わらないような気がするのである。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

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