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日本語の特性を考えてわかった、日本人が「ノー」と言えない理由

日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんが今回取り上げ論じるのは、気持ちを伝えることに長けた「日本語」という言語について。山崎さんは日本人が「ノー」と言えないのは、そもそも日本語の運用において相手の提案などを直接否定するような機能がないと説明。日本人が入念に物を包む習性と、日本語表現の共通点を示しています。

伝達の言語のこと

日本語は伝達の言語である。分かり易く言えば「私が、あなたに、今、ここで」といった話者の気持ちを豊かに伝えられる言語ということである。一方、英語に代表される印欧語は認識の言語と言っていい。これらは心情よりも概念を伝えるのに適した言語である。

日本語が伝達の言語である以上、そのネイティブスピーカーたる日本人は常に話者として、聞き手である相手のことを意識しているということになる。そういった意識が態度として顕現したものの一つが、日本人の礼儀正しさ(慇懃無礼も含む)である。

よく日本人は「ノー」と言えないなどと言われて来たが、そもそも日本語の運用形式の中に相手の提案などを直接的(頭ごなしに)に否定あるいは拒否するという機能はないのである。無論、理論上はあり得るが、どうだろう「No, it isn’t.」的な否定の認識のみを以て回答することは実際にはないと言っても差し支えないのではないだろうか。

それは「ノー」という否定の内容よりも「私が(思うに)、あなたに(分かってほしいのは)、今(だから)、ここで(はこうなんです)」といったような気持ちを伝えることにどうしても寄り添ってしまいがちな日本語の言語特性からである。日本人自身が言うと実に言い訳がましいが、決して相手を煙に巻こうという魂胆などからではない

しかし、一方で内容が分かりにくいというのもまた事実である。中味を直接的に見ることができないからだ。そういったあからさまな表見を避けるのは言語においてだけではない。というより言語だけである筈がなく、それを育む日本人の精神風土そのものであり、例えば「慎む」(古語では「つつむ」)という動詞からも分かる通り、ある種の礼節として我々の美徳の根幹をなしている。

思えば、日本人ほど入念に物を包む民族はいない。例えば、現金を包む際にも紙幣の表裏を確認し、

といった具合である。

同じように日本語も美しく包まれた言語である。

「ねえ、どうやら二人は結婚するらしいよ」

この何の変哲もない普通の日本文も実に折り目正しく包まれているのである。その間の事情が分かり易いように敢えて段差を付けて図式的に書き改めてみると、

となり、見事なまでに、

さらにそれを

といった、実に美しい包含関係が成り立っていることが分かる。

このように、日本語は叙述内容以上に「私が、あなたに、今、ここで」を伝えることに豊かな言語なのである。まさしく伝達の言語である。

そう考える時、面倒くさい礼儀作法や段取りも、「ねえ」と呼びかける程度には、あるいは「どうやら」と判断するくらいには身近に感じてもいいのかもしれない。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

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