ガンダーラ仏が日本の仏像より若く凛々しく逞しい肉体である理由

 

仏教の始まりは定かではないが紀元前6世紀とも5世紀とも言われている。当時インドではバラモン教(古ヒンドゥー教)が最大宗教勢力だったから、新興の仏教は弱小であった。そこに外部から強大な勢力が現れた。紀元前326年、アレクサンダー大王率いるマケドニア軍(ギリシア人)がインダス川まで東征して来たのである。

その後すぐに大王は死んだがギリシア人の入植は進み、ギリシア系の支配が確立した。外部勢力と土着弱小勢力は親和性が高い。仏教はギリシア人という大きな後ろ盾を得るために教義の摺り寄せを図ったのである。

本来、仏教は具体的な偶像を持ってはいなかった。信仰の対象たるブッダは法輪という車輪のような形をしたものに抽象化されていた。しかし、これではゼウスを主神とした多神教のギリシア人には到底受け入れてはもらえない。ギリシアの神々は人間と同じような姿をしており、故にそこかしこで彫像にされ信仰の対象となっていたからだ。

ならば、とここに来てブッダは見事なギリシア彫刻になった訳である。このギリシア仏像がインド土着の造形美と合わさってマトゥラ仏像を生み、東へと移動し始めるのである。

さらにガンダーラにおいて、ギリシア多神教の影響を受けたからこそ、仏教の「ほとけ」は「如来」「菩薩」「明王」「天」という序列の下、実にバラエティに富んだものになったのである。こと「天」に至っては、例えば「毘沙門天」や「阿修羅」のようにそれ自体キャラの濃いものが多く面白い。

前にガンダーラをアジア仏教文化の西端といった。しかしガンダーラ仏像にギリシア彫刻の面影を見る時、ガンダーラはヘレニズム文化(ヘレネスとはギリシア人のこと)の東端でもあることが分かる。

紀元前、アレクサンドロス三世(アレクサンダー大王)は僅か10年でギリシアとオリエント、二つの世界を統一支配し、ヘレニズムはインダス川まで及んだ。彼はインダスを渡ったところで力尽きたけれども、ヘレニズムという文化は行く先々でその様式を変えつつもじわりじわりと東進し、例えば今回論じた仏教美術という形ででも六世紀には日本までやって来た

この歴史的事実を思う時、改めて「Europe」+「Asia」=「Eur-asia」という大きな世界史地図が見えて来るような気がした。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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