では、理解語彙と発表語彙、両者の違いについて考えてみます。発表語彙が、理解語彙に含まれるのは、すぐにわかりますよね。理解、認識していなければ、文字で表したり、発言したりできないからです。
そして、理解語彙のうち、ほとんど発表語彙にならない言葉も存在します。著述や会話などで、使うチャンスがほとんどないものもありますよね。さらに、文字で書くことはあっても、口にすることがまずない言葉もあるでしょう。
そう考えますと、当然のことながら、理解語彙>発表語彙>話し方における発表語彙、ということになります。
発表語彙のなかでも、話し方における発表語彙が少なくなる理由は、まず第一に、会話など、言葉を音声にする機会においては、文字にするような場合と比べて、話の内容の範囲が極端に狭いということ。
誰も日常的に、ヒメカツオブシムシの生態について会話しませんけど、図鑑にはちゃんと載っています。ざっくり言うとそういうことです。
第二に、音声にしてしまうと通じにくくなる言葉もあること。第三に、音声での発表では、必ず聞き手が存在するということ。
つまり、話し方における発表語彙とは、聞き手に通じることが前提になっているんですよね。逆に言うと、聞き手に通じない語彙を豊富にしても、無意味だということです。
それなのに、聞き手に通じない、相手が理解できないような言葉を、わざと使ってしまうような話し方は、その人の品位が疑われかねません。
その話し手に対して、特に悪感情を抱いていない中立的な聞き手ならば、
- 何を言っているのか、わからないことが多い人
- 聞き手のことを考えず、勝手に話す人
- 自分とはちょっと別の世界を持つ人
そういう部分はスルーしておこう、ぐらいの印象にとどまるでしょうが、ちょっと批判的な精神を持った聞き手にとっては、
- そんな言葉を知っているのかと尊敬されたがっている
- 威圧感を与えようとしている
- 相手を混乱させようとしている
- 相手より上位に立つ者であることを誇示している
- あえて意味が伝わらないようにしている
- あの言葉よく使いたがる(笑)
このような、話し手の下心が見え見えの、とても恥ずかしい状態になっていると、認識しておいたほうが良いでしょう。
もっとも、その相手が、ほんとうになーんにも考えていなくて、聞いた話を鵜呑みにすることに慣れている聞き手であれば、「そんな言葉を知っていて、すごいな!」と、無条件に尊敬してくれたり、話の本旨を曖昧にしたまま、煙に巻くことはできるかもしれませんが…。