ここで注意しなくてはならないのは、世の中で言われる語彙という言葉は、そのあたりの線引きが厳密ではなく、なおかつ、語彙は大事、と考えている人々までも、その語彙という言葉を曖昧なまま認識してしまっている、ということです。
どういうことなのかと言いますと、例えば書店へ行って、スキル、ビジネス、啓発などのコーナーを眺めますと、本当にたくさんの「語彙関連本」が並んでいて、いかに多くの人々が、語彙に関心を持っているのかがわかります。
ここに言う語彙とは、いったい「何のための語彙」なのでしょうか?あなたはどういう「〇〇の語彙」を求めているのでしょうか?その点を意識しないで、単語の知識だけ増やそうとしても、あまり意味がない、ということです。
実際にその語彙関連本のひとつを開いてみますと、ほんとうに、びっくりします。私もこれまでの人生で、一度も口にしたことのないような言葉がずらりと並んでいて、なかには、意味すら知らない単語もいっぱいあります。
こういう語彙関連本が、売れ筋として平積みされているわけですから、日本にはものすごく勉強熱心な方が、多いのでしょうね。先述のように、理解語彙が多ければ、国語のテスト問題を解いたり、人の話や書物の意味の理解に役立つことでしょう。
でもそういった語彙と、自分が話すときの語彙を混同してしまい、国語テストのような語彙関連本で、話し方の語彙を増やそうとしても、自分でも初めて知るような言葉を、覚えられますか?使えますか?ましてや、それを聞いて、相手が理解できますか?…ということなんですよね。
いっぽうで、私が話し方のレッスンのなかで質問したり説明を求めたりしたときに、生徒さんが、何と言ったらいいかわからなくなって、言葉に詰まった時、みなさん、「語彙が足らないんです!」とおっしゃいます。
ここにいう語彙とは、どういう性質のものなのでしょう?理解語彙、つまり知っている単語を増やしても、おそらくこの問題は解決しませんよね。この場合に求められているのは、「知っている単語の中で、適切に今の頭の中を表現する方法」なのではありませんか?
もちろん、「使える言葉を知る」とか「便利な表現をテンプレートとして持っておく」ことも大事ですけど、もっと必要なのは、その都度、適切な表現を「ひねり出す」能力なのではありませんか?
つまり、厳密にいうと、語彙の問題ではないのですが、これを語彙不足と誤認したまま、新しい単語を覚えようとしてしまう…これは時間の無駄なんですよね。
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