今回の件で最も怖いのは、一緒にいじめに参加した人がいたこと以上に、周りが止めなかった(止められなかった)ことである。これは、子どものいじめの根幹的な問題点と完全一致する。「言うべきを言う」というのは、本来他人を大切に思うからこそ発露する行為である(だから親は我が子に厳しくなりがちだし、真逆の「甘やかし」は言うべきを言わないので、子どもを不幸にする)。
いじめ自体は、前提として、どんな小集団にも発生し得ると考えるのが現実的である。しかしながら、それが深刻化するか否かは、その集団のモラル一つにかかっている。当事者ではなく、周囲が「悪いものは悪い」とはっきり認識し、止めることができるかにかかっている(ちなみに当事者は、何かしら問題を抱えているので、そういうメタ認知の視点がもてないことが多い)。
ここが全てである。
「愛の反対は無関心」という偉人の言葉の指す通りである(マザー・テレサの言葉だとかそうでないとか、諸説あり)。
学校における、職員の在り方。学級というものの在り方。競争から、共生へのシフト。
今回の事件は、全国の学校の抱える問題点が、かなり悪い形で表出した、氷山の一角である。全国の学校関係者は、他山の石として、自分自身の働き方や在り方を見直していくべき機会である。
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