毎年11月の第1日曜日に開催されるニューヨークシティマラソンは、数多くの障がいを持つランナーも含む5万人を超えるランナーが参加する世界最大級の市民マラソンです。今年の大会で、視覚障がいランナーのサポートをするという『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』の著者でニューヨーク在住のりばてぃさんが、この大会の魅力と、障がい者ランナーを支えるNPO団体アキレス・インターナショナルについて紹介してくれます。
障がいを持つランナーを支える団体アキレス
今年も世界的に有名なニューヨーク・シティ・マラソンの季節がやってきた。長く走ると腹痛になるなど体調不良が続いたので今年は出走しないが、日本からやってくる盲目ランナーさんのお手伝いをすることになっている。
せっかくなので、過去に書いた体験談を加筆・修正する形で以下改めて障がいを持つランナーさんたちを支える非営利団体のアキレスについてお届けする。
(1)世界最大規模のNYCマラソン
11月3日、毎年恒例の世界最大規模の市民マラソンであるニューヨーク・シティ・マラソン(以下、NYCマラソン)が開催される。参加ランナーは毎年5万人超。ニューヨークの地元のランナーたちはもちろんのこと、世界中から数多くのランナーが集結する一大イベントだ。
コースは、ニューヨーク市の5つの区を走り抜けるというもので、マンハッタンからフェリーで川を越えて渡った先にある「スタテン・アイランド」からスタート。
そして、アメリカ国内の吊り橋としては最長のベラザノ橋を走り抜け、「ブルックリン」、「クイーンズ」、「マンハッタン」、そして「ブロンクス」にわたり、再びマンハッタンに戻って、セントラル・パークを抜けてゴールするというもの。
沿道の応援は途切れることがない。沿道どころかコース沿いに立つビルやアパートのバルコニーや屋上からも手を振って応援してくれる人たちがたくさん。
小さい子どもからお年寄りまで手を振り、ハイタッチをしてくれる。切れ間のない励ましが続くのだ。しかも、声だけじゃない。カードボードに勇気付けるメッセージを書いて掲げた応援も。
例えば、「Keep it up!!」(頑張れ!!)とか、「You can do it!!」(君ならできる!!)、「This is the last damn bridge!!」(これがにっくき最後の橋だ!!)
解説:このコース内に出てくる橋はたいがいアップダウンが激しく、橋の先には永遠にコースが続くという過酷さの象徴となっているため、橋に対する憎しみと橋を渡って頑張ったという想いを込めた冗談まじりの応援。
…などなどと大きく書いてある。だいたいその年に話題になったことをもじった言葉や文章も登場する傾向にあるので、今年は総じてトランプ大統領への何かしらの皮肉めいたものが出てくるのではないかと思う。このあたり毎年写真付きでニュースになるので、面白いものがあったら後日ご紹介しよう。
あと、ランのウェアに自分の名前を書いておくと見ず知らずの人たちが名前を呼んでくれるので将来走るという方はぜひローマ字で大きく名前を書いておくと良い。
他にも、大会主催者側が用意する飲み物やバナナなどの補助食以外に、一般人も蜂蜜や飴などを用意して渡してくれる。日本人が多く応援するエリアにはおにぎりも登場する。
さらに、前述のとおりニューヨーク市を形成する5つの区を走り抜けるコースは、ニューヨーク市内の様々な街の雰囲気を楽しめるものになっている。
例えば、エリアごとに応援バンドのかける音楽の種類が違う。ブルックリンはガレージロック多め。学生の多いエリアは学校の吹奏楽団。ハーレムはゴスペル。なぜか日本人の太鼓応援もハーレム付近で力強い太鼓の音に励まされる。鼓舞される感覚をリアルで得られる瞬間だ。
とにかくいろんな顔のニューヨークを体感できるレースなのである。NYCマラソンはそのバラエティの豊富さから、『世界でもっともエンターテインメントの高いレース』と呼ぶ人が多い。
なお、NYCマラソンの経済効果はなんと、4億1千5百万ドル。日本円にしておよそ500億円と伝えられている。
(2)障がい者を支援するアキレス
世界中から多くの人たちがNYCマラソンに参加するが、当然、障がいを持った方々も数多く参加する。他のマラソン大会同様に専用の参加枠が設けられているのだけど、他の多くのマラソンとの最大の違いはNYCマラソンは時間制限がないということ。どんなに時間がかかっても、翌日の朝になっても走りきることができる。
そのため、障がいを持つ方だけでなく、お年寄りや重い病気を克服した人など、時間がかかるけどマラソンを完走したいという方が毎年何人もNYCマラソンに参加している。そう、遅いという理由だけで途中で棄権しなくてもいいのだ。だから毎年、感動のゴールシーンについては話題になっている。
さて、NYCマラソンに特定の障がいを持つ方が参加するためには、その障がいの内容次第で参加方法が変わるが、今回は、盲目の方や、様々な障がい(知的障がい、聴力の障がいなど)を持つ方々をサポートするNPO団体のアキレス・インターナショナル(Achilles International 以下アキレス)についてお話しよう。
アキレスは1983年にニューヨークで設立された団体。全米31の支部、世界42ヶ国に111の支部を持っている。特に本部があるニューヨークでの活動は非常に活発で、毎年1回はアキレスを支援するためのレースがセントラル・パークで開催される。
だから、ニューヨークでマラソンをしたことある人は一度はアキレスのロゴを見たことがあるという人は多い。ランナーの間では知名度が高い有名な団体なのである。
有名な理由はその活動内容だけでなく、アキレスの設立者がすごいからでもある。設立者はディック・トラウム(Dick Traum)さん。現在もアキレスの会長を務める。
ご参考:
● アキレス・インターナショナルのディナー・ミーティング
ディックさんは自らも障がいを持っている。1965年、交通事故で右足を膝上から切断。当時、24歳だった。もし、皆さんが24歳の若さで片足を切断することになったらどう考えるだろうか。それまでの生活は当然のことながら大きく激変する。仕事を続けていけるのか?恋人や友人との関係はどうなるのだろうか?
健常者であっても悩みの多い20代半ば。人によっては悲観的になりすぎて心の病にかかってしまっても少しも不思議はない。そうならなかったとしても、片足を失う以前のようにはいかない…と誰もが思うだろう。ところが、大学時代からレスリング選手だったディックさんは不屈の精神の持ち主だった。
足を切断することになった交通事故から7年後の1972年、健康のためという理由でなんと義足で走り始めたのだ。健常者でもなかなかジョギングを習慣づけられる人はそうそういないのにハンデがある中で走り始めた。
そして、4年後の1976年にディックさんはNYCマラソンに参加。義足ランナーとして史上初の完走者となったのだ!タイムは7時間24分。1キロ10分半で走っているが、当時のゴールシーンの貴重な映像がCNNのヒーロー特集に映っているので以下どうぞ。
ご参考:
● CNN Hero: Dick Traum
動画に登場する障がい者の方々の笑顔はとても素敵だ。そして、その中心にいるのが一際暖かい笑顔のディックさんなのである。ディックさんは上述の動画で「It was probably best day of my life」(おそらく人生でもっとも素晴らしい日だった)…と初めて完走したマラソンについて振り返っている。
右足を失くしていなかったときにだって楽しいこと、幸せに感じたこと、ベストと感じる日はたくさんあっただろう。でも、右足を失くした後に初めて完走したフルマラソンを走った日が人生でもっとも素晴らしい日だったとディックさんは語っている。
マラソンの完走からさらに7年後の1983年、ディックさんはアキレス・インターナショナルの前身である、アキレス・トラック・クラブを立ち上げた。この年、アキレスを通してNYCマラソンに参加した障がい者ランナーは6名。完走した。
そして、徐々にアキレスの活動はアメリカ国内外で知られるようになり、1984年にはニューヨークに続く2つ目の拠点としてバーモント支部が設立。翌年1985年には、初の海外拠点としてニュージーランド支部が設立された。
日本にアキレス支部ができたのは、1995年。1995年(平成7年)は、阪神・淡路大震災が起きた年。死者は6千名を超え、負傷者は4万人超。説明するまでもなく非常に大きな震災だ。この悲しいニュースを聞いたディックさんは、神戸市から障がい者をNYCマラソンに招待(2名が参加)したのである。
そして同年8月、代々木公園で第1回目の練習会が開催。12月には、日本のアキレス初のイベントとして『阪神淡路大震災チャリティー6時間走』を開催。障がい者40名を含む112名参加したとのこと。
ディックさんという存在なしではもしかしたら今のようなアキレスはなかったかもしれないし、日本から障がい者ランナーが数多く参加することはなかったかもしれない。それだけディックさんの様々な人への影響や功績は大きい。
ちなみに今でも東京のアキレス支部の練習場は代々木公園で、月に何度か練習しているのでご興味ある方はぜひアキレス・ジャパンに問い合わせてみると伴走の手助けができると思う。
障がいを持っていたとしても足の速さは関係ないので、ものすごく足の早い選手もいれば、ゆっくりの方もいる。様々な速さに対応できるように一緒に走ってくれるボランティアは多い方が良い。
ご参考:
● アキレス年表
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