MAG2 NEWS MENU

国際交渉人が強める懸念。バクダディの『死』で混乱増す中東情勢

ISのリーダーのバグダディ氏の死をトランプ大統領が発表。死そのものを疑うだけでなく、もし事実だとしてもテロの脅威が低下したとの論調は「非常に甘い希望的観測」と断じるのは、メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』の著者で国際交渉人の島田久仁彦さんです。島田さんは過去の経験から「テロの脅威が高まる」理由を述べるとともに、独自の情報網から、ますます混沌とする中東情勢について、特に米ロの関わりの変化に焦点を当て解説します。

バクダディ“死去”とテロ新時代の幕開け

現地時間10月26日夜、シリア北西部の街イドリブで、ISのリーダーであり、自らをカリフと名乗ってきたアブー・バクル・アル=バグダディ氏(以下、バクダディ氏がアメリカの特殊部隊の奇襲攻撃を受けて死亡したとのニュースが入ってきました。

トランプ大統領の発表によると、アメリカの特殊部隊の軍用犬が隠れ家に突入し、最後は自爆ベルトで自爆死したとのこと。「自爆により遺体はバラバラになったが、15分後にDNA鑑定で本人であることを確認した」と発表されました。

8年ほどISIL絡みの調停を行ってきましたが、彼らの精神的な支柱であり、かつイスラム法学者としてISILの構成員の信仰・信義の方向性を定めていた存在とされてきたバクダディ氏殺害のニュースには一瞬声を失いました。

しかし、同時に『本当かなあ?』という疑問も浮かんできました。これまで何度も死亡説が流れていますが、ずっと10月26日まで生き永らえ、世界中に散らばるISILの構成員にテロの指示を出し続けてきたことと、“爆破によって遺体がばらばらになった”とのことで死亡の確認が取れていないこともあり、どこかまだ信用できていません。

ちなみに『DNA鑑定の結果…』というのは死亡確定にはつながらず、あくまでも彼の下着などのサンプルからのDNA採取のうえでの鑑定だったようなので、自爆ベルトで自爆した男が、バグダディ氏とは限らないと考えられます。

ロシアの諜報機関によると、「バグダディ氏死亡については、確証は得られていない」としていますし、作戦が行われたイドリブには、とても優秀なトルコやイランの情報機関員も多くいるため、そこからの情報が出ていないのもまた不気味です。

国内でのウクライナ疑惑への追及をかわす狙いからの大袈裟なオペレーションなのか、来年の大統領選挙に向けて支持率が伸び悩んでいる状態へのカンフル剤なのかは分かりませんが、トランプ大統領は、今、このタイミングでこのニュースを出してきました。

では、仮にバクダディ氏が本当に爆死していたとしたらどうなるのでしょうか。日本のメディアの論調を見ていると、挙って「これでISの脅威は著しく低下した」というような方向になっていますが、私は非常に甘い希望的観測であると考えています。

あくまでもバクダディ氏は、ISILの思想的な方向性を示し、自らをアラーの声を伝えるカリフと名乗っていますが、カリフについては、当たり前ですが『神そのもの』ではなく、何らかの理由で亡くなった場合、また別のカリフが立てられ、国やグループを率いることになります。つまり、ISILの存在がバグダディ氏死亡で終わるわけではないのです。

逆に今回の“事件”で、支配地域を次々と失い、シリアやイラクからも撤退のうわさが流れたISILを、世界レベルで再度目覚めさせることになりかねないと考えています。

例えば、ブッシュ政権の時に、アルカイダを率いていたウサマ・ビン・ラディン氏を、同じくアメリカの特殊部隊が急襲し、殺害したという“事件”がありましたが(注:この時もビンラディン氏の遺体は見つかっていません)、その後、アルカイダは組織として消滅したでしょうか。それどころか勢力を増し、反米テロ勢力を拡大する結果を招くという失態につながっています。

結果、生まれてきた組織の一つがISILであり、その後、欧米人をはじめ、多くの観光客やジャーナリスト、NGO職員などが誘拐され、最悪の場合、酷い拷問や性的な虐待の末、無残に殺害されています。

ゆえに、私が今回の件をうけて懸念するのは、沈静化したかに見えたテロの炎が再燃することです。トランプ大統領が誇らしげに言ったように「これで皆、安心して眠れる夜を迎える」のではなく、逆に世界中いたるところで“テロ”に分類されるような蛮行が増発することになるかもしれません。言いたいことは山ほどありますが、これ以上恐怖をあおるのは止めますね。

混乱の中東情勢と大国の影

この“事件”とほぼ時を同じくして、もう一つの変化が中東地域、特にシリアに起きています。それは、シリア北東部におけるシリア政府軍とトルコ国軍の武力衝突です。

アメリカ軍が“撤退”し、その隙を狙ってか、トルコ国軍が、クルド人武装組織が拠点とするシリア北東部に進撃し、一気に緊張が高まりました。シリア政府軍が同国北東部に軍を送り、庇護を求めてクルド人勢力は敵であるはずのアサド軍の庇護下に入り、トルコ国軍と対峙する図式になりました。

そこでロシア・プーチン大統領の“仲介”の下、クルド人勢力を同地域から追放し、当該地域をSafe Zoneに設定して、シリアからトルコに逃げた難民の居住エリアにするという打開策が出され、アサド大統領も同意して、停戦が成立したはずでした。

しかし、バグダディ氏死去のタイミングで、アサド政権軍とトルコ国軍が直接的に戦火を交えたとのニュースが入ってきましたが、これはどういうことでしょうか?トルコとシリアの間を取り持ったロシア・プーチン大統領の影響力の低下を示すものでしょうか?決してそんなことはありません。逆にロシアのプレゼンスは高まる一方です。

実際には、この当該地域はシリア領内で、かつ、内戦時にクルド人勢力にアサド政権軍が奪われた地域であったため、アサド大統領としては、「これはシリアの領土の一部であり、トルコは領土的な野心を持ってはならないぞ」という、エルドアン大統領へのメッセージだったのではないかと考えます。

ニュースにはなっていませんが、トルコも同じように考えているようで、すぐさまエルドアン大統領からアサド大統領に対して、「合意の通り、あくまでもトルコ領内に逃げてきたシリア人難民を帰国させるためのエリアとの認識で、当該地域をトルコがコントロールする意図はない」とのメッセージを返しているようです。

しかし、アサド政権側としては、まだ内戦は完全には終結しておらず、まだ支配できていない地域もあることから、“トルコに領土的な野心がないこと”を確認したうえで、アサド政権が完全に再度全土掌握するまでは、当該地域の安定を保つためのトルコ軍の協力を歓迎する方向のようです。何ともデリケートな緊張関係です。

今回のバグダディ事件と、シリアとトルコの“表向き”のいざこざの影には、アメリカとロシアの影が色濃く伺えます。

まず、アメリカですが、トランプ大統領からの指示でシリア北東部から確かに米軍は撤退しましたが、実際にはシリアからは撤退していません。すでに世界1位の原油・天然ガス生産国になっているアメリカですので、中東地域における原油・天然ガスへの経済的な野心は以前に比べて低いものの、シリア国内の主要油田施設の周りは、いまだにがっちりと米軍で固めています。

これは、シリア領内で濃度を増していくロシアのプレゼンスへの警戒と、イラン情勢におけるトルコ・シリア・イラン・ロシアのカルテットへの警戒が背景にあるようです。今回のバグダディ氏殺害のオペレーションに携わった特殊部隊はイラクからヘリコプター8機でイドリブに向かっていることからも、まだまだ地域における軍事的なプレゼンスとプレッシャーは保持しています。

次にロシアですが、今回のバグダディ氏殺害に関する件でも、またトルコとシリアの軍事的な衝突の件でも、非常に不思議な対応をしています。バグダディ氏殺害については、先述のように、アメリカ軍の特殊部隊がイラクから8機のヘリコプターでイドリブに侵入しましたが、そのヘリコプターが飛行したルートは、実際はロシア軍の支配地域の上空になるにもかかわらず、ロシアは一切軍事的な反応をしていません。

それには、(バグダディ氏殺害については伝えられていなかったが)支配地域の通過については、事前にアメリカから通知されていたという理由があるようですが、非常にデリケートなシリア上空の自国の支配地域の上をアメリカの特殊部隊が移動するというのは、通常であれば、看過していないはずです。何があったのかは謎ですが、非常に不可解な事態です。

そして、シリアとトルコの衝突については、先述のように、ロシアの両国への影響力の低下ではないかと訝る声がありますが、それどころか、中東地域へのロシアのプレゼンスの拡大は加速しています。シリアのアサド大統領の後ろ盾として君臨し、シリア内戦におけるアサド政権軍の勝利をサポートしたことから、シリアは確実に今後、ロシアの中東進出の拠点の一つとなります。

そしてトルコについても、アメリカとのカウンターバランスとして、S400を2020年にも配備し、アメリカがトルコを制裁対象にした際にも、あからさまにトルコを支援しています。そして、イランへの肩入れにより、中東におけるロシア親派を増やしています

その表れに、今週プーチン大統領は特別機でモスクワから中東各国を訪れる際、まずシリア上空を飛行して様子を眺め、その後、サウジアラビアに入って、ロシアのビジネス界のdelegationとともに、ロシア企業とサウジアラビア王国の経済的な結びつきの強化に乗り出しています。

サウジアラビアとしては、ロシアの輸出品である原油や天然ガスには魅力はないですが、航空宇宙産業の技術や、核兵器を含むロシアの軍事技術などを得たいとの考えから、最近は非常に密接度を増しています。

その裏には、先日のサウジアラビア東部の原油施設が同時に攻撃された際、アメリカから買わされたシステムが全く役に立たず、今後は、対イランの観点からも、自国での武器開発や核兵器の開発に乗り出そうとの意欲があります。そのため、今回の訪問において、まず航空機リース事業を共同で立ち上げることに合意しています。ここにもロシアの影が濃くなってきています。

そしてもう1か国がUAEです。こちらも同じくロシアの軍事技術の導入と協力に魅力を感じており、その引き換えにロシアの鉄道整備への出資を行う旨、発表しています。つまり、中東地域におけるロシアの影響力は、低下するどころか、一段と強まっています。

アメリカの勢力が縮小し、かつロシアのプレゼンスが高まる事態に加え、イランとイスラエルの対決姿勢は高まる中、国内の政治的な安定性に大きな懸念があるイスラエルのグリップ力と、出口の見えないイラン情勢、サウジアラビアとUAEの仲違い、そしてクルド人勢力を見捨てることで“安定”へと向かうシリア情勢と、混乱要因に事欠くことない中東地域ですが、そこにISILのリーダーであるバグダディ氏爆死がもたらすことになるだろう予想もつかないほど大きなカオス…。

中東地域がより混乱の度合いを極める中、以前のように欧州各国の介入は期待できず(域内でのいざこざで手いっぱい)、米ロに後押しされた様々な利害が絡み合う状況は、もしかしたら、次の世界的な戦争の火種となるのかもしれません。

島田久仁彦(国際交渉人)この著者の記事一覧

世界各地の紛争地で調停官として数々の紛争を収め、いつしか「最後の調停官」と呼ばれるようになった島田久仁彦が、相手の心をつかみ、納得へと導く交渉・コミュニケーション術を伝授。今日からすぐに使える技の解説をはじめ、現在起こっている国際情勢・時事問題の”本当の話”(裏側)についても、ぎりぎりのところまで語ります。もちろん、読者の方々が抱くコミュニケーション上の悩みや問題などについてのご質問にもお答えします。

有料メルマガ好評配信中

    

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』 』

【著者】 島田久仁彦(国際交渉人) 【月額】 ¥880/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 金曜日(年末年始を除く) 発行予定

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け