部下の裁量権や時間を邪魔する上司が「パワハラ認定」される日

 

OJTも実はパワハラ?

2つ目は「指導」です。
では「指導」は良いのかというと、実はこれも深刻な問題を含んでいます。昭和的な日本の職場では何の疑問も感じていないかもしれませんが、OJTというものがあります。「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」の略語ですが(アメリカではほとんど死語だと思いますが)、実際の仕事をさせながらトレーニングするというのは、日本ではまだまだ行われています。

そのOJTでは、上司、あるいは指導役は部下にタスクの命令をして、そのタスクを担当させながら、そのタスク遂行に必要な知識を教えていきます。ですが、そのように業務知識の指導者が同時に業務の命令者であるというのは、実はダメなのです。

昭和の日本的な発想からすると、リアルな責任を持たせながらどんどん足りない知識を入れていけば習得も早いので良いじゃないか、となるわけです。また、部下が頑張れば部下は伸びるし、部門全体としては成果も出るし、良い事ばかり、そんな風に思いがちです。ですが、そこに落とし穴があるのです。

OJTでは、部下の人格は否定されています。原則としてそうです。どうしてかというと、部下にはまず「タスク」が振られます。でも、OJT中の部下はその時点ではタスクを遂行するだけのスキルと知識がありません。ですから、上司または先輩がそのスキルと知識を入れていくのです。

その場合の部下は、2重に人格を否定されます。まず、時間を拘束されて命令を受け、その命令を遂行する義務(苦役)を負わされます。勿論、この苦役は給料と相殺されてチャラになるので、労働契約によっていいことになっていますし、部下としても労働契約にサインしているので拒否できません。

問題は、にも関わらずスタート時点ではタスクを遂行できる力がないということです。ですから、「足りない状態」だとして上司や先輩に教えを請うことになります。その場合に、タスクは振られているので既に人質は取られています。しかし、自分だけではできないので教えてもらわねばなりません。

そこに完全な非対称性、不平等性が発生します。上司や先輩は、タスクの命令者として優越するだけでなく、自分が教えないとタスクが完了できないということで、義務付けたタスクを人質に「スキル習得を強要」しているのです。

更に言えば、スタート時点では「タスクを完了できないスキルのレベル」であるにも関わらず、会社としては給料の支払い義務があり、それ以上に「スキルのない」人材にタスク遂行を期待して給料の約束をしているのは、その人材に一種の債務を負わせているような形にもなります。

この構造は、実は全体が非対称であり、人格の否定であり、パワハラそのものです。そうした非対称性を緩和するためには、新しい人材がスキルを持ち、スキルを評価されて、つまり本物の即戦力として入る、つまりOJTというのは止めなくてはなりません。

百歩譲って、そのスキルをキチンと教えるノウハウが大学などの開かれた教育機関にはなく、また体系立って先に教える指導法の開発もサボっているということで、OJTしかノウハウの継承方法はないということだとしましょう。仮にそうであっても、OJTという構造そのものが、実は本質的には人格否定でありパワハラの温床になるという「自覚」は必要です。

もっと言えば、職場における「指導」というのは全て人格否定とパワハラの温床になるのです。そうした自覚に基づいた「自制」が指導する側には求められると思います。

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